21
ファミレスかどこかへ繰り出そうとしているファミリーの自動車の空いた窓から、子供の笑い声とゴキゲンな音楽が聞こえてきた。
幸せそうなBGMを右から左へ聞き流しながら、俺は中島をにらみつけた。
「……いきなり何だよ」
「いやなに。神奈川四中の10番、笠井博人っていえば、サッカー部に入っててちょっと外に興味のある奴だったら誰でも知ってるじゃねえか。1年生にしてレギュラーを獲得。2年生で既にエースナンバーの10番を背負って、しかもU-15日本代表候補に選出。トップ下に絶対的存在として君臨し、JFAからは『将来の侍ブルーを背負う存在』として期待され、栄光を約束された天才。にもかかわらず……2年生の10月、突然表舞台から姿を消した、消えたエース。そんな奴が、サッカーのそこまで盛んじゃない、毎年地区予選敗退の高校にいたなんてな」
なんか吉良の同僚の如き
「いつから気づいてた?」
「去年名前聞いて、もしかしてと思ってたんだよ。ただ、成長期のお年頃だからな、2年経ってお前がどんな顔になってるか分からなかった……名前が一緒でもな。けど、今日一緒にサッカーやって分かった。このセンス……あの笠井だってな」
「そうか……んで、それがどうしたよ」
「分かんだろ……なあ、サッカー部入れよ。お前ならすぐレギュラーとれる。どころかゲームキャプテンだって、な」
「揃いも揃って勧誘かよ。新手の新興宗教か?」
「いやさ。洋二の話も聞いてやってくれよ」
ここで岸谷が助け舟を出した。
「コイツサッカーめっちゃ好きでさ。いや、ならなんでこの高校に入ったんだよってなるんだけど、そこはほら、いろいろあってさ。でもサッカーも頑張ってんだよ。けどこの高校はサッカー別に力入れてねえし、部員も大会に出られるギリギリしかいねえ、しかも一回戦負け。だから強い選手が欲しい。そこに笠井が出てきたってわけよ。……実は俺、千葉出身だから笠井のこと知らなかったんだけどさ」
「なるほどな。……だが断る。部活は堅苦しいし、自由を尊ぶアメリカンスピリッツな俺には合わねえんだよ」
と答えたが、中島も岸谷もどうも引きそうにない。
さて、どうこの場を切り抜けようかと考えていると、鷹宮が俺の前に一歩出た。どう考えてもこちらへの助太刀ではない。
「笠井」
「……なんだよ」
「もう一回やりなよ、サッカー」
「やんねえっつってんだろ。いい加減しつけえよ。お前も、中島も」
「はあ? 何その言い方。中島も岸谷も一生懸命頼みこんでんじゃん。陰キャのくせに生意気なんだけど」
「いつもみたいに高圧的に言えば俺がイエスって言うとでも思ったか? 思いあがってんじゃねえよ、お前。男にちょっと威圧されるとすぐ泣く癖によ」
「はあ? 泣かないんだけど。意味不明なこと言うのやめてくれる? いっつも頭おかしいこと言ってるとは思ってるけどさ、ラリってんの?」
「ラリってねえよ。ヤクやるのは俺が納得できるリリックを刻めるようになってからにするって決めてっから」
「ほら、また意味不明なこと言ってんじゃん!」
「言ってねえよバーカ!」
「バカって言った!? バカって言った方がバカなんだよバーカ!」
「っせーんだよバーカ! 泣かすぞテメエ!」
「やってみろよ童貞!」
「このガキァ……言ってはならねェことを……!」
――というか、この状況、ヤバいんじゃね?
ふと我に返って鷹宮以外の人民諸君を見ると、一同は呆気にとられたように俺たち二人を見ていた。
「ねえ……鷹宮と笠井って、そんな感じだったっけ?」
池田の問いに、俺は答えに一瞬窮した。鷹宮もハッとしたように肩を震わせ、コホンと咳ばらいをした。
「……今のは違うから」
「いや無理でしょもう」
石川が全力で手を振って否定する。水橋が胡乱気な目でこっちを見た。
「ふーん……水着ショップで二人がいたのって、偶然じゃなかったんだ」
「……ああ、そうだよ。ちょっと――昔から知り合いってやつでさ」
「え、それって幼なじみってこと?」
山本の問いに、俺は首を縦に振って答えた。
「え、おい、鷹宮マジなん?」
「………………………………うん」
この世の終わりかというくらいの溜めをつくった後に鷹宮が言う。
「ウッソ、マジで!? 全然気づかなかったわ! てか学校でもそんな素振り見せてなかったくね?」
「……言ってなかったし。あと、幼なじみって言っても、仲良くとかないから」
「でも水着一緒に買ってたんじゃないの?」
「それはその……成り行きって言うか……」
言い訳下手すぎだろコイツ。
「あれだ。俺には姉がいんだけど、もともと姉ちゃんとコイツが仲良くて、水着も二人で買いに行く予定だったんだよ。けど姉ちゃんが急用で行けなくなって、俺が代打でバッターボックスに立ったってワケ」
「ふーん。なんでアンタも水着着てたの?」
「ちょうど切らしてたからな」
「にしても意外だよなあ、洋二。この二人の組み合わせって」
岸谷が中島に話を振ると、一拍置いた後、
「ああ、意外だったわ。正反対って感じだもんな、二人」
涼しい顔で辛辣なこと言うなあ。
「分かってるよ、んなこと。だから学校では関わってなかったんだろうが。てか、ここで話してても暑くねえか?」
「確かにね。どっか店入ろっか」
俺の提案に石川が乗っかってくれる。そのおかげもあって、近くのファミレスへ行くことが決まった。
夕方から夜に至る黄昏時とはいえ、夏のこの時期は普通に暑い。さっき運動したせいもあって、じっとりした汗が皮膚の下から、カマキリの幼虫のように吹き出てくる。
「あっちぃ……」
目の前には岸谷の汗みずくの背中が見える。彼は隣を歩いている水橋にいじられながら「それなー!」とか「っかーキビィわ!」とか何とか言っている。正直言って意味が分からない。
そのさらに前には山本がいて、中島がいて、池田と石川が歩いている。
「F組の松田とミカ、付き合ってるらしいよ」
「ウッソマジで!? ミカ大学生の彼ピいるとか言ってなかったっけ?」
「別れたって。向こうJCと浮気してたらしい」
「いやエグイエグイエグイエグイ! ロリコンやん!」
なんだか楽しそうだなあ。
俺は俺で楽しい青春を送っていると思ってるけど、彼女たちのやり取りを間近で見ていると、正解を突き付けられているような気分になってくる。
どの時点からか忘れたけど、俺の人生はずっと灰色のように思えた。
「あっちぃ……」
「ん」
横合いから、制汗スプレーを持った手がにゅっと伸びてきた。
「使う?」
「頼むわ」
鷹宮が人差し指を押すと、噴霧が俺の首元へ太陽風のようにぶつかってきた。
「あ”あ”~」
「なにそれ、おっさんくさ」
と言って、鷹宮は目を細めた。
「しょうがねえだろ、体育以外の運動とか久々だったし」
「やっぱそうなんだ。でもすごかったじゃん、中島とか岸谷より全然」
「それ、本人たちに言うなよ」
「言わないから。……でもさ、ほんとにいいの?」
「何が?」
「サッカー、やんなくて。あんなに楽しそうだったのに……」
俺は歩みを止めた。
つられて、鷹宮も足を止めた。
前方に聞こえていた花火のような談笑が、徐々に遠くへ離れていく。
――いい加減、この宙ぶらりんにした問題に、決着をつけないとな。
そう思った。
同時に、俺と鷹宮の、このひどく移り気で曖昧な関係にも、裁定を与えなければならない時が来たのだろう。
夕焼けの空が嘲るように赤い。その前を流れる、人間の手足を引きちぎって浮かべたかのような雲。
「やんねえよ」
「後悔してないの? 辞めたこと」
「してねえよ。これからもしねえ」
「せっかくだからやればいいじゃん。スカウトされてるんだし」
「……俺がサッカーやろうがやるまいが、お前には関係ねえだろ」
「――だっ、だってさ!」
鷹宮の顔が、真夏よりも真っ赤になった。
俺は、彼女が次に言うことが何故か予想できた。と同時に、照れと恥ずかしさで真っ赤になっていく鷹宮とは対照的に、俺の心はみるみるうちに冷え込んでいった。
「――サッカーやってるヒロ、やっぱカッコイイから! さっき試合見て、やっぱりもっと見たいって、思ったから……」
鷹宮は、勇気を奮い立たせるかのように、らしくもなく短いスカートのすそを指で握り締めていた。
目が潤み、心なしか唇が震えている。
「……そっか。サッカーやってる俺、カッコイイんだ」
「う、うん。だから、もっと……カッコイイヒロのこと見てたくて」
「ならさ」
俺は心底馬鹿にしたような表情を
「――サッカーやってない俺は、ダセエかな」
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