18
俺が何か言いだす前に、母さんが「ホラホラ上がって上がって」と鷹宮を促し、家へと入れてしまう。鷹宮も鷹宮で全然遠慮することなく、つっかけていた安物っぽいサンダルから白い足をすくいあげ、リビングへ入ってテレビに向かい合ったソファに座り、チャンネルをいじり始めた。
久々に我が家に来たとは思えない練度の高さだ。
どうしてくれようかと考えていると、階段から誰かが降りてくる音が聞こえてきた。
「あ~喉乾いた……ってあれ? 天音ちゃんじゃん!」
姉ちゃんだった。
「あっ、こんばんは、晴菜さん」
「こんな時間にどうしたの~? あ、さてはヒロに呼び出されたなあ?」
このこの、と姉ちゃんが肘で俺のわき腹をつついてきやがる。控えめに言って超ウザい。
「そんなとこです」
「そっかそっか。……じゃあさ、せっかくだしヒロの部屋見る?」
「え?」
「は?」
何を言いだすんだこのメスゴリラは、と思う間もなく、人間の皮を被った類人猿は鷹宮の腕を引っ張り、2階へと連行し始めたので、慌ててついていく。絶対コイツ面白がってるな。
さっき慌てて出てきたからドアは開いていて、二人はするりと入っていってしまう。
「ちょいちょいちょい! エッチな本とかはないんだからね!」
「ここがヒロの部屋。天音ちゃん何年ぶりかな~5年ぶりくらい?」
「まあ……そんくらいですね」
鷹宮はテンション低めに答えてはいるが、目だけはあちこちへせわしなく動いている。と、ある一点――俺の机の上に置かれた23インチのモニタに目を止め、「あ」と小さく呟いた。それを姉ちゃんが目ざとく拾い、
「あ、それ? ヒロってさ~サッカー辞めちゃってからゲームに熱中し始めてんのよねえ。ほんと何が面白いんだか」
「そうなんですね」
鷹宮はシラを切って答える。
「あ、私勉強再開しないと! じゃ、天音ちゃんはごゆっくりね~。ヒロ、ちゃんとおもてなししなさいよ?」
俺に人差し指をビシッと突き刺してそう言うと、姉ちゃんは「おやすみ~」と残して去っていった。
いや、おやすみじゃないが? 残された俺たちは全然おやすめる雰囲気じゃない。
鷹宮は興味深そうに俺のモニタを見続けている。
「どうしたよ?」
「いや、笠井ってこれでデュナオンやってるんだって思ってさ」
「アァ? そうだよ。むしろどうプレイしてると思ってたんだよ」
スマホでやってるとでも思われてたのだろうか。
「いや、それは言葉の綾っていうか……」
鷹宮は当然のように、さっきまで俺が座っていたチェアにどかりと座ると、「キーボードとマウスこれ使ってんだあ」とか「椅子結構座り心地いいね」とかいう品評を始める。
「金かけたからな。お年玉貯めてバイトしてさ、このあたりのもの揃えた。ほんとはもっといいモン欲しいんだけどな」
「へえ、バイトなんてやってたの? 受け子とか?」
「短期のイベントスタッフとかだよ」
「笠井がバイトって……マジ?
バイト感覚でやれるもんじゃねえだろ。
というか、鷹宮は俺が時折短期のアルバイトをしていることを知らなかった、という事実に今更ながら気づいた。カオルとかナオヤには言ってるんだけどな。何なら一緒に働いたこともある。
んで、俺がバイトしてることを鷹宮が知らなかったってことに、改めて二人の間にできた時間という溝を認識させられた気分だ。
「逆に鷹宮はどんな機器使ってんの?」
「アタシは普通に、ゲーム用じゃないキーボード使ってる。あとパッド」
「パッドォ?」
俺は鷹宮の、決して慎ましやかとは言えない胸部を凝視する。
そうか、これパッドだったのかあ……。
みぞおちのあたりに不意に衝撃が加わったかと思うと、鈍い痛みが下腹部全体に広がり始めた。
「ぐぼぉ……」
「何見てんのヘンタイ。あとこれ天然だから」
「ゲームパッドね、ゲームパッド。分かる分かる、分かってるからその振り上げた拳を納めてくれると非常にうれしい」
「まったく……んでさ、誰知らないの?」
「え?」
俺が呆けた返事をすると、鷹宮は不機嫌そうに組んだ腕を指でトントンと叩きながら、
「だから、海行くメンバーで顔と名前一致してない奴いんでしょ? 誰?」
「ああ、えーっと、色々いんだけど……え、そのためにここ来たの?」
「だったら何?」
「いや……なんでもない。サンキュー」
ギロリと睨まれ、タジタジになってしまう。
俺がベッドに腰掛け、パジャマのポケットからスマホを取り出すと、鷹宮が椅子から立ち上がり、何故か俺の隣に腰掛けてきた。
ドキッとして横を見ると、鷹宮は涼しい顔つきで、俺のスマホをのぞき込んでいる。
「……あ、ああ、この山本ってやつとか」
「ああ、山本は隣のクラスの男子。野球部の」
「うへえ、野球部かあ。苦手なんだよなああの辺」
「アタシもそんな得意じゃないけどさ、いい奴だよ。……ちょっと待ってて、写真あったと思うから」
そう言うと、鷹宮は自分のスマホを取り出した。それからふと思い出したように、
「あ、ねえ」
「ん?」
「喉乾いたからジュース頂戴」
「ああ……冷蔵庫に何あったっけ」
「甘いやつね」
下の階からキンキンに冷えたミルクティーを持ってくると、鷹宮はあろうことか、我が物顔で俺のベッドの上にうつぶせに寝っ転がりながら、スマホをいじっているではないか。
「遅い」
「いや、んなこと言われてもな……」
とりあえず、俺の机にコップを置いて、ベッドに腰を掛ける。鉄骨を渡るカイジのように恐る恐る寝転がる鷹宮の肩越しに、スマホをのぞき込む。機械から発せられた白い光を照り返す、鷹宮の白い、むき出しの肩。
「山本ってどれよ?」
「えーっと……あ、これこれ、コイツ」
私服の男女が入り混じった集合写真が表示されており、そのうちのひょうきんそうな笑顔を浮かべた丸刈りの男に、彼女の指が当てられていた。
「ふーん、いかにもって感じだな。てか、これお前とか他のやつらも写ってるよな?」
「うん、これ去年の球技大会の打ち上げの時の写真」
へえ~、打ち上げとかやるんだ。去年鷹宮とは違うクラスだったけど、俺のクラスではそんなことは一切やっていなかったと思う。
あ、でも写真の右側にいる奴らとか、確か去年同じクラスだったような……。これ以上は考えないことにした。
「隣、鷹宮だよな。結構距離近いじゃん。仲いいの?」
「あー……仲いいっていうか……」
鷹宮は気まずそうに頬をかきながら、「告白されたんだよね、アタシ。去年」と付け加えた。
「……え、マジで?」
「マジ。嘘つく意味ないじゃん」
俺は急な色恋話に純情な少年っぽくどぎまぎしながら、「で、どうしたのヨ?」と尋ねる。
「……断ったよ、普通に」
「なんで?」
「なんでって……タイプじゃなかったし。なんでそんな聞いてくんの?」
「や、だって気になるじゃん、鷹宮の恋愛遍歴」
幼なじみだし、学校でも一目置かれてる女子生徒だしな。むしろ興味が湧かない男子の方が珍しいだろう。
鷹宮は嫌そうな表情を浮かべる。
「普通に話したくないんだけど」
「頼むよ~そこを何とか」
「絶対にやだから。そんなこと言うんだったら海のメンバーも教えてあげない」
「そう言われると弱いんだよなあ」
にしても、そっか。
やっぱ鷹宮ってモテるんだよな。
外見はハイスペックもいいとこだし、中身だってちょっと近寄りにくい感じを出しつつも、打ち解けた相手にはカワイイとこも見せちゃうもんだから、男子も女子もメロメロになってしまうのだろう。
俺だって、仮に幼なじみじゃなかったら、ちょっと言葉交わしたくらいで好きになって、放課後に校舎裏の湿った空き地に呼び出して「好きです、付き合ってください!」とか言ってみたりして、フラれて、その夜カオルとかナオヤとかに泣きながら電話して、やがていい思い出になったりしていたんだろう。
「このRIOって誰?」
「凛音は凛音じゃん。いつも一緒にいる子」
「……………………あ、あぁー! あの黒ギャル!? 石川!?」
「うっさいなあ! 耳元で叫ぶな!」
「陽気なブラジル人留学生かと思ってたわ」
「なにそれ、ウケんだけど」
声を殺してクツクツと笑う鷹宮は、確かに小学生の時に見たことがあったような気がするものだった。
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