17

「……ああ、聞こえてる」

『あ、ほんと? よかった。こっちも聞こえてます』

「よかったわ。……なんか、その、こっちの声低かったり荒くなってたりしないか?」

『ううん、大丈夫』


 そんな、表面上なんともないような会話を繰り広げながら、俺の心は羞恥心で今にも豚肉のように白く干上がりそうだった。


 顔見知りの異性、それも最近まで会話もなかった異性とVCするのってかなり抵抗あったけど、実際にやってみると予想以上だなこれ。鷹宮は声の感じ平常運転そうだが、実際のところどうなのだろうか。


『じゃあ、パーティー募集して』

「え、俺が? いや言い出しっぺのそっちがやれよ」

『だって募集めんどくさいじゃん』


 なんという傍若無人ぷりだろうか。


 俺は仕方なく役目を請け合い、募集を立てた。こうすることで他のユーザーが閲覧可能になり、同じコンテンツに行きたがっている同志がパーティーに入ってくれるというわけだ。


 しかしながらそうすぐに集まることは稀で、だいたいは少なく見積もっても15分は待つことになる。それが最新コンテンツでザラにあるため、旧コンテンツの場合はかなりの待ちぼうけを食らうことになる。


「そういやさあ、海っていつ行くか決まってんの?」

『多分まだだと思うけど。ライン見てないの?』

「え、どういうこと?」

『いや、ライングループ作ったじゃん。今もメッセで話し合いしてるし』

「……」

『……え、なにちょっといきなり無言になってんの?』

「……」

『あれ、もしかして……』


 と言った鷹宮はそれきり口をつぐんだ。


 ヘッドホンからはゲームのBGMや効果音なんかがひっきりなしに流れているが、不思議なくらい重い沈黙に支配されているような気がする。


 やがて、


『……えーっと、グループ招待送ろうか?』

「お願いします。……あ、でも、俺お前のライン知らないわ」

『あー……そういえばそだったね。じゃあさ、QRコードDMで送るからそれで登録して』

「分かった」


 こうして、俺は鷹宮のラインをゲットしたのであった。






 その後、コンテンツをクリアしてパーティーを解散し、やることもなかったのでそのままデュナオンからログアウトした。


 鷹宮からグループへの招待を送っておくということだったので、ベッドに寝転がりながらスマホをつけると、「海水浴の集い(よく分からない絵文字の羅列)」というグループの招待が確かに来ていたので、何気なくタップする。


 グループには11人入っており、これが現時点における参加メンバーの総数なのだろう。


 思ったより多いな、と感じていると、開いていたチャットに、犬が手を振るスタンプが押された。送り主は「RIO」という人で、こんなブラジル人みたいなご機嫌な名前の人いたかなと思いつつ、俺もスタンプをもって応えた。


『RIO:やっと笠井きたー!』

『笠井博人:私が来た』


 察するに、どうやらメンバーが全員揃っていないせいで、当日の段取りを相談しようにもできていなかったらしい。申し訳ないなと思いながらも、カオルあたりがさっさと招待してくれりゃいいのになと不満に思わないでもなかった。


『いけだ:じゃあ、夏休みの予定の話しよっか』


 この「いけだ」って人は池田だな。


『中島洋二:日にちって8月4日だっけ』


 中島はフルネーム派か。


『amane:うん、そう。天気悪かったらずらすけど』


 実力派のシンガーソングライターかな? と思ったら鷹宮のアカウント名だった。


 しかし、8月4日か。


 その日空いてたっけ? と思ってスマホのカレンダー表を見たら、当日どころか前後1か月ほどは特に予定が入ってなかった。


『笠井博人:4日ね。オッケー。場所ってどこ? 湘南のビーチ?』

『RIO:いや、千葉の海水浴場だけど』


 なん……だと……?


 湘南の水着ギャルの群れにダイブし、あんなことやこんなことをした挙句、大人の階段を昇ってしまう俺の未来予想図は、ここにおいて脆くも崩れ去った。


『山本祐樹:各自電車で移動になるけど、遅れないようにな~』

『RIO:ウチは地元民だけどね!』


 このRIOという人は千葉県民なのか。ところで山本祐樹って誰だ?


 ……一緒に遊ぶ予定の人間の顔と名前が一致してないって、相当ヤバい気がするな。


 今更そんな事実に思い至り、滝のように吹き出る冷や汗を流しながら、俺は救いの女神・鷹宮に個人チャットを送った。


『たすけて』


「あ、やべ。文章の途中で送信しちゃった」


 本当は『助けてくれ。あのグループのメンバーに初見さんがいる』と送ろうとしたのだったが。


 ヌメヌメと文章の続きをしたためていると、突然スマホが着信音とバイブレーションをかまし始めた。


「……鷹宮からか」


 何気なく応答アイコンをタップしてスマホを耳に近づけると、


『ちょっと大丈夫!? 何があったの!?』


 耳をつんざく大音量で、鷹宮の声が聴こえてきた。


「うわっ、声デケエって」

『デカいも何もないでしょ! 大丈夫なの!?』

「あ~……」


 あの「たすけて」って4文字見て、慌てて電話してきたってところか。


「ははは、あれ入力ミスだわ。『たすけてくれ、あのグループに知らない人いる』って送ろうとしたら、間違って途中で送っちゃったんだよ」


 軽い調子で言うと、


『…………………………………………………は?』

「ヒュッ」


 まるで鷹宮のものとは思えない――どころか、女性のものとは思えない、スジモンみたいなドスの利いた返事が返ってきた。「ヒュッ」というのは、恐怖に震えた俺の喉から漏れ出た空気音である。


『……はあぁ~~~~~~~~そういうことね。ったく……アタシの心配返せっての』

「はい、ごめんなさい」


 ここは素直に謝っておいた方が得策だな。


 そんなことを思っていると、不意打ちに爆弾が投下された。


『心配しすぎてアンタん家の前来ちゃったじゃない』

「ごめんごめん………………………………は? マジで?」

『嘘言ってどうすんのよ。窓から外見てみて』


 俺の部屋は2階にあって、窓が玄関側に据え付けられている。


 カーテンを開いて下を見てみると、街灯のうすぼんやりした光の下、我が家に面した幅の狭い道路に、スマホを耳に当ててこっちを見上げている鷹宮の姿があった。


 本当に慌てて出てきたらしく、上はTシャツに下は短パンというスタイルで、明るい茶髪は――走って来たからだろう、千々に乱れている。


「え、え、マジ? 今すぐ下降りるわ」

『早く』


 俺がバネのようにドアに飛びつくと同時に、その向こうから、かすかにインターホンの鳴る音が聴こえてきた。


「ちょーちょーちょー……!」


 階段を一足飛びに降りていく途中、母さんの「はーい」という余所行きの甲高い声が聞こえたかと思うと、ガチャリというドアの音。


「あら~天音ちゃんじゃない! どうしたのこんな時間に?」


 階段を降り切った。


「おばさん、こんばんは。急にヒロに呼び出されたんです、こんな遅い時間なのに」

「あら、ヒロが? うそ、もしかして――ヒロと天音ちゃんってそういう関係だったのおおおぉぉぉぉぉ!?」

「誤解招くようなこと言ってんじゃねえよ!」


 リビング前の廊下から玄関に続くドアをバタンと開けると、こちらに背を向けている母さんを挟んで、玄関ドアに背中を預けて腕を組んでいる鷹宮がいた。


 鷹宮は俺の姿を認めると、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「来ちゃった♡」

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