12

 夏もますます盛りになっていく中、教室内もどこか落ち着きがないというか、心ここにあらずといったように浮ついた雰囲気が充満している。


「ねえ、ヒロは夏休みどっか行くの?」

「特に予定はねえけど……盆休みはばあちゃん家行くかもな」

「そっかあ。じゃあさ、それ以外の日だったら空いてる? 海とか山とか行こうよ。あとフェスも行きたいよね~」


 俺の周りでも、カオルのテンションがここ最近徐々に高まっているようである。ちなみにナオヤは俺のノートを略奪して必死に課題の回答を写しており、そして俺の周りはこの二人がすべてだった。


 そう、夏休みが近づいているのである。


 ゴールデンウイーク以来の久々の長期休暇を前にして、若者たちは浮足立っていた。たとえその前に期末試験が立ちはだかっているとしても、だ。


「海かあ……湘南の暴走族にカツアゲされそうだから嫌だな。山も熊に食い殺されそうだし」

「なんでそんな悲観的になるかな……」

「でも実際よぉ、海も山も危険でイッパイじゃねえか。あと家出るのダルいし」

「またデュナオン?」

「そうは言ってねえだろ」


 とは言いつつも図星なので、俺は頬杖をついたままそっぽを向いた。


 窓の外には、校舎からグランドへ向かって敷かれたコンクリの道のそばから生えたケヤキの木が、青々と陽光を照り返しており、その向こう側から、スズメか何かの鳥の鳴き声が、葉表を滑って窓を透かしている。


 眩しいくらいの緑、眩しいくらいの7月であった。


 そしてワイシャツ、肌着をもじっとりと湿らす汗もまた、夏だった。


「あっちぃ……」

「まあ、確かにねえ……」


 さっきまではしゃいでいたカオルも俺の一言に反応し、一気にげんなりしたテンションへ急落。中性的な顔をしかめ、真っ白なワイシャツを右手ではためかせる。


 たちまち集まる女子生徒の視線。やっぱコイツムカつくくらいイケメンだよな。


 むしゃくしゃした俺は、さっき登校中に熱された腕を、カオルの首へ巻き付けた。ヘッドロックの形である。


「オラァッ!!!」

「うわっなにすんだよ!」


 想像以上に良いリアクションをしてくれたカオルにしてやったりとほくそ笑みつつ腕を解くと、俺とカオルの汗がぐっしょりとついていて後悔した。


「なんか面白いことしてんね~?」


 そんな馬鹿なことをしていると、石川がニヤニヤ笑いを浮かべて声をかけてきた。そして短く折られたミニスカートに隠された尻を、俺の机の上に載せる。


 デッケエ……石川五右衛門もきっと黒ギャルのデカケツを見て、思わず「絶景かな、絶景かな」って叫んだんだと思う。


「なんだよ」

「ん~いや、暇だったからさあ。綾香もまだ来てないし、天音もどっか行っちゃったし」

「おいおい、ならほかの女子のとこ行きゃあいいじゃねえか。なんでこっち来んだよ」


 とか口では殊勝なことを言いながら、他方で俺の両眼は机の上で柔らかにたわむ石川の臀部にくぎ付けだった。


 コイツが去った後にほおずりでもしてみようかな。


「石川たちも夏、どこか行くの?」

「う~ん、ウチは学外の友達とも結構遊び行くからな~。意外と天音たちばっかと遊ぶわけじゃないかも?」


 カオルの問いかけに、石川がそう答える。それを聞いた俺は、鷹宮たちはいつも一緒にいるから、てっきり夏休みも3人で遊ぶのかなあとか思ってたから、意外に思った。


「へえ、意外だな」

「ウチ、友達めっちゃいるし?」


 と言ってヘラヘラ笑う彼女を見ると、あっ、ギャルっぽいなと改めて思った。続けて、


「んでさあ、今中島たちと海行こって話してんだよねえ」


 中島はサッカー部の爽やかイケメンで、鷹宮と双璧を成すクラスの中心人物である。ソイツらと海に行こうという話をしているということは、恐らく煌びやかな美男美女が、あられもない水着姿でキャッキャウフフするということなのだろう。


 羨ましすぎる……!


 日焼けしたマッチョDQNに絡まれてほしいと願うばかりである。


「海ねえ。僕らも行きたいんだけどねえ」

「あ、吉崎たちも行くんだ?」

「ヒロが渋っててさ。湘南の暴走族にカツアゲされるとか言って」

「ふ~ん。ま、確かに笠井は海ってガラじゃなさそうだしね」

「アァン? なんでだよ。俺と言えば血と暴力と海だろうが」


 照れ隠しに思わずそんな言葉が出てしまう。


「やっぱ行きたいんじゃん……そうだ、だったら僕らもそこに入っていいかな?」

「ん~? いいよ~?」

「……え、ちょっと待てよ。中島たちと一緒に海行くってことか?」

「うん。ヒロも今海行きたいって言ったじゃん」


 思わぬところであだとなった俺の反骨精神に思わず頭を抱えた。


「いや、でもさ、中島たちは嫌だって言うかもしれないじゃん」

「俺がどうかした?」


 と、背後から聞こえてくる声。振り返ると、やや天然パーマのかかった黒髪、気だるげだが鋭さを感じる整った顔立ちの、顔面力の高い男――中島が立っていた。


「え、いや……」

「あ、ヨウジ。いやね、吉崎たちも海行きたいってゆーからさ、ウチらと一緒に行かん? 的な?」


 いや行かねーよ的な? と俺が言うよりも早くカオルが、


「うん。どうかな? せっかく同じクラスになってるんだから、交友を深めるためにもさ」


 と助太刀する。


 とはいえ、カオルはともかく、俺やナオヤは中島との接点をほとんど持っていない。あると言っても、次の授業の場所とか先生からの伝言だとか、そういった事務的な会話がほとんどだ。


 そんな仲だから、中島もうんとは言わないだろう。


「……まあ、俺はいいけど」


 いやいいんかい!


「お前らもいいだろ?」


 いつの間にか近くに来ていた取り巻きに中島が問うと、「まあいんじゃねーの? 今まで吉崎たちとあんま絡みなかったし、いい機会だべ」などと100点満点の回答を言う茶髪。


 いい奴らだなあ……今だけはラノベでよく見る嫌な陽キャであってほしかった……。


「決まりだね! んじゃライングループ誘っとくね」


 石川の言葉がまるで確定判決のように響いた。あまりの残酷な運命に、内心で神を呪う言葉を吐いていると、石川がこそこそと俺に耳打ちをしてきた。


「ちな、天音も来るよ」

「……なんの関係があんだよ俺によ」

「幼なじみでしょ? 海の悪い男に絡まれないよーに守ってあげなよ」


 アイツだったら絶対零度のひとにらみで撃退すんじゃねーかな。と思ったが、先日のオフ会でチャラ男に絡まれた際の体たらくを思い出すと、そう楽観視もできなさそうだ。


「……ったく、しょうがねえなぁ」

「頼んだよ、彼氏クン?」


 ギャルにからかわれるのってなんかこそばゆいな。


 そんなことを思いながら、俺は石川や中島たちが自分の席に向かうのを見送り、彼女がさっきまで座っていた机の一区画を見た。暑いからか、なんとなくぼんやりと輪郭が残っているような気がする。


 汗だろうか。


 ……誰も見てないよな。


 カオルは自分の席で読書しているし、ナオヤは宿題を写し終わったのか、腕枕で爆睡している。中島たちももういない。


 恐る恐る、ゆっくりと、気配を殺しながら顔を近づけていくと、声をかけられた。


「何してんの?」


 鷹宮だった。


 肘が見えないくらいにワイシャツをまくった腕を組み、不機嫌そうに目を細めながら俺をにらんでいる。


「……いや、別に」

「ふうん。なんか動きキモかったから」

「いやそんなわけないだろ……あるのか?」

「知らない。……ねえ」

「なんだよ」


 鷹宮は少しためらう様子だったが、


「海、行くの?」

「ああ。行く」

「……そう」


 短く答えると、彼女は自分の席へ戻っていった。


 なんだったんだ一体。


 スマホでもいじるかと思ってスリープモードを解除すると、チャットアプリにメッセージが入っている。送り主はアネモス。ついさっきのことだ。


 回りくどいことすんなと思って開くと、


『土曜、買い物付き合って』


 という短い文面だった。


「はあ? 買い物って、なんで俺が……」


『え、なんで?』

『いいからついてきて』


 なんとも傲慢な物言いである。


 だが、同時に俺は嬉しさを感じていた。昔のように――とはいかないが、こうしてわがままを言いながら予定を立てられるというのは、いかにも幼なじみらしいやり取りだ。


『分かったよ。何時?』

『10時。家行くから』

『分かった』


「何スマホ見てニヤニヤしてんだよ、お前」

「は? ニヤニヤ?」


 不意にナオヤに話しかけられうろたえる。


「めっちゃキモい笑顔してたぞ。好きなアニメのR18二次創作イラストでも流れてきたか?」

「喧嘩売ってんのか?」

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