しばらくすると、マスターがパンケーキを持ってきた。鷹宮のオススメなのだそうだ。


 2枚のパンケーキに生クリームが載せられ、その上からいちごソースが平城京のように碁盤状に振りかけられている。


 見るからにオシャレスイーツだ。


「へえ〜、美味そうじゃん」

「でしょ?」


 鷹宮が誇らしげに言うのを聞きつつ、パンケーキにナイフを入刀すると、何の抵抗もなく一口サイズに切り分けられる。


 口に運ぶと、クリームやイチゴの甘みが口の中に広がったが、しつこさはない。


 コーヒーを飲むと、甘みと苦味が混ざりあって多幸感が生まれた。


「美味いな」

「でしょ?」


 鷹宮が得意げに鼻を鳴らす。


「俺、あんま甘いの食わないけどこれは別だわ」

「そうそう。アンタ昔から塩辛いものばかり食べててさー、ジジイかよって思ってた」

「誰がジジイだ誰が。お前だってさきいかとか好きだったじゃん」

「誰がババアよ!」

「言ってねえよ」


 お、なんかいい感じに会話できてるな――と思ったのもそこまでで、急に俺たちの間の空気は静かになった。


 若干弱まった雨脚が窓をたたく音。俺がフォークを皿に当てる音。スマホをフリック入力する鷹宮の綺麗な爪が液晶に当たる音。


 そこに新しい音が加わったと思ったら、鷹宮が大きく息を吐く音だった。それは灰色にゆらりと吐き出されたかと思うと、俺たちの間でゆらゆらさまよったあげく、溶けるように消えていった。


「……最近どうなん?」


 やりきれない空気を変えるべく、パンケーキをもしゃもしゃ頬張りながら問いかける。


「どうって?」

「いやほら、高校生活とか進路とか」

「高校は楽しんでるけど。少なくともアンタよりかは」


 さりげなく俺へのディスを入れつつ、


「進路は――進学だと思うけど、どこ受けるかは決めてない」

「ふーん」

「アンタは?」

「俺もまあ、進学するよ。とりあえず関東の大学受けるかな」

「……それもそうだけどさ」


 鷹宮は運ばれてきたチョコレートパフェにスプーンを突っ込みながら、目線を泳がせる。


「高校、楽しい?」

「……アァン?」


 予想外の問いかけに思わず聞き返すと、彼女は焦ったように、


「いや、だって、そっちも聞いてきたじゃん。だから」

「……俺は俺で楽しんでるけど。おばさんたちから聞いてねえの?」


 俺と鷹宮こそ疎遠にはなっているものの、ウチの親と鷹宮の親は未だに仲が良く、なかんずく母親たちはたまにお出かけしたりしている。そんなんだから、親伝いに俺の現況は聞いているのではないかと思った。


 ちなみに、俺はあえて鷹宮の近況を親に聞いたりはしていない。なぜなら、


「いや……だって、同じ学校だし、聞くのおかしいから」

「まあ、そうだよな」


 聞けば「え、アンタたち同じ高校じゃないの」と言われ、続けて「もしかして喋ってないの?」と来て終わりだ。


 それが面倒だから、俺と同じく、鷹宮も特に触れてこなかったのだろう。


 俺と鷹宮が絶縁状態になっていることを、親たちは知らないのである。

 

「お前ほど楽しんではないけどな」

「そう。……ち、ちなみにさ。部活、やんないの?」

「部活? やんねえよ。つか、なんで部活?」

「いや、ほら、さ。中学までやってたじゃん。サッカー」


 鷹宮は、もなく頬をかいて、照れたように頬を染め、焦ったように言う。


「辞めたのは、お前だって知ってるだろ」

「それはそうだけど。……で、でもさ! もう高校に上がったんだし――」


 なぜか鷹宮は、目をグルグルさせながら何か言おうとする。


 一体どうしたのだろうか。なぜ俺のことを毛嫌いしている鷹宮が、こうも親身に部活入れだのと言ってくるのだろうか。


「お前、今日おかしいぞ。どうしたんだよ」

「おかしいって……。今更だけど、なんでアンタはあんな大好きだったサッカー辞めたのにヘラヘラしてられんのよ?」

「ヘラヘラはしてねえよ。あれから3年経ってるし、もう俺の中では折り合いがついてるから」

「アンタはそれでいいの?」

「……だからいいって言ってんだろうが」


 自分でもちょっと驚くほど低い声が出た。鷹宮も驚いたように、喉の奥でかすかな声を立てる。


 あ、やべと思ったものの、急にトーンをチェンジするわけにもいかず、俺はそのままの声音で続ける。


「なんなんだよお前。中2から俺のこと遠ざけて、と思ったらいきなり『キモ』とか『ウザ』とか暴言吐き始めて。すっかり嫌われちまったんだなと思ったら、今日会ったら学校はどうとか部活はどうとか、俺を気にかけるようなこと言いやがって。何なの? 何がしてえんだよお前?」

「はぁっ!? 何その言い方! アタシはアンタを心配して――」

「普段のが心配している相手にとる態度かよ!」

「それはアタシにだって事情が――」

「その事情はなんなんだよ!」

「それは――」


 と、何か言おうとした鷹宮は、しかしもごもごと言葉にならない文字の羅列を呟いた後、


「……言えない」

「はあ?」

「言えないの! 言えないけど――そんなんじゃなくて……」

「……なんだそれ、意味わかんねえ」


 俺がそう呟いたきり、沈黙が落ちてくる。


 鷹宮はうつむいたきり何も言わない。いつもの不遜な仮面が剝げ、内気でいつも俺の背中に隠れていたあの頃の鷹宮に戻っているかのようだ。


 そんな彼女を見ていると罪悪感が刺激される。


「悪い。言い過ぎた」

「……別に。いいから」


 声が震えていた。


 鷹宮が顔を上げる。


 顔は真っ赤で、目は涙で潤んでいた。


「あ……」

「アタシ、帰る」


 今日のために買ったのであろう綺麗な服で乱暴に涙をぬぐうと、肩に同じく新品のバッグをかけ、速足で店を出て行った。


「んだよ――すいません、お会計お願いします!」

「はいはい、1000円になります」

「え? いや、もっと飲み食いしたんですけど――」


 俺が財布を開きながら言うと、


「初回のお客様にはサービス価格で提供しております」


 と、ウインク付きで言う。顔だけでなく中身もダンディなおじさんだった。


 千円札を置いて店を出ると、あれだけ強かった雨がいつの間にか小降りに落ち着いていた。鷹宮はハイヒールのブーツを履いていたから、そこまで遠くまでは行っていないだろうと見当をつけたが、果たして店を出た左手の道路を行ったところで、鷹宮の姿を見つけた。


「どしたの? 君泣いてるの?」

「彼氏クンにフられたん? ひどいね~せっかくオシャレしてきたのに」


 しかし間の悪いことに、彼女はいかにもチャラそうな男二人組に絡まれてしまっていた。大学生だろうか、一人は明るいロン毛の茶髪にしたいかにもって風体で、もう一人は黒髪マッシュで塩顔系だ。ロン毛が積極的に話しかけにいっているので、キノコヘッドが親玉なのだろうか。


 まあでも、アイツならあんなナンパくらい軽くいなすだろうな。

 

 と思って眺めていたら、


「う”ぅ”っ……うるさい、あっち行って!」


 クラスでの女王っぽさがかけらもない有様で言う。170センチを超える長身かつ、見た目は圧倒的ギャルなのでギャップがすごい。


 俺がそのギャップ萌えにやられそうになっていると、ロン毛が鷹宮の露出された肩に手をかけた。


「ね、そんなヒデー彼氏忘れるためにちょっと酒でも飲もうよ」

「え? いや、ちょっ――」

「いいからいいから。俺らいい店知ってるし?」


 ロン毛とマッシュに挟まれていざ誘拐というフェーズに入り、人気のない路地裏に彼女が連れ込まれたところで、たまらず俺は、


「待てやゴラァ!」


 とあらん限りの怒声を上げて彼らに立ちはだかった。


「は? 誰お前――」

「人の女になに手ェ出してんだオラァ!」


 言うや否や、俺は右こぶしを握り締めてロン毛に腹パンをお見舞いする。怯んだロン毛が鷹宮から手を離すのを見計らい、俺は鷹宮を取り戻すように手を引っ張り、その勢いのまま抱きとめる。


「えっ、ちょっ……」


 鷹宮が何か言っているが、俺の耳は拾わなかった。


 美少女がナンパ男に絡まれるというラノベのようなシーンに当事者として巻き込まれたことにより、興奮して完全にっていたからである。


「なんだテメエ!」


 ブラックキノコもブチギレて殴りかかってきたが、それを冷静にかわし、右足でローキックをお見舞いする。


「ぐうっ」


 脚を抱えて思わずうずくまるトリュフの頭を抱え、顔面目掛けて膝蹴りをお見舞いする。


「オラァ――――――ッ!!!」


 鈍い音が鳴ったと思うと、エリンギは倒れて動かなくなった。


「タケ! テメエッ……」


 ロン毛が叫んで近寄り、俺を親の仇のように睨んでくるが、手出しはしてこない。マッシュを沈めたため警戒感を持たれているのだろう。


「どうする? まだ続けるか?」

「チッ……覚えてやがれ!」


 と言うと、ロン毛はを肩に担いで一目散に駆け出した。


「今忘れたわバァ―――――――カ!!!!!」


 俺はその背中に中指を立てることを以て返礼とした。何事かと何人かの通行人が、饐えたにおいのする小路をのぞき込んできたが、


「○×△☆♯♭●□▲★※!!!」


 俺が意味をなさない雄たけびを上げると、かかり合いは御免とばかりに散っていく。


「ったく……おい、大丈夫か?」

「あ……う……」


 鷹宮は、顔を真っ赤にしたと思うと蒼白になり――ということを繰り返している。呂律も回らないようだ。腰が抜けて、汚くぬかるんだ地べたに座り込んでいる。


 軽いパニック状態だろう。


 無理もない。今日は憧れのゲーマーとオフ会と思ったら俺が来て、そしてそこから逃げ出すとなんぱ組.incが来てと、非日常が盛りだくさんだったのだ。


 もし、俺が知っている鷹宮がまだ彼女の中にいるとしたら、それはとんでもない負担だっただろう。


 俺はへたり込んだ彼女の正面にかがみこむ。そうして両手を広げ、彼女を優しく包み込んだ。


「あっ……」

「怖かったよな。もう、大丈夫だ」


 そう言って少し強く抱きしめ、背中を叩いてやると、ややあって鷹宮は地面についた手をあげ、俺の背中に回す。泥水でシャツがひんやりとした。


 昔、彼女は内向的で怖がりだった。そしてよく泣いた。


 そんな時、鷹宮の両親や俺、そして姉ちゃんがこうして抱きしめてやると、一通り泣きじゃくった後、安心して人形のように眠りについたのだった。


 そんな昔の記憶を思い出しての行動だった。


「うっ……こわ、かったっ……」

「ああ」

「男の人、やっぱり苦手……」

「ああ。……え? マジで?」


 さらりと意外な事実をカミングアウトしたかと思うと、鷹宮はまたぐずり始めた。それもしばらくすると止む。


 腕の中を見下ろすと、泣き止んだ鷹宮の腫れた目と目が合う。今は流石に泣き止んでそのまま寝落ちはしないんだな。


「なっ、なななな……」


 彼女は顔を真っ赤に染め、震える声を出す。


「もう大丈夫か?」

「あ……アンタ何やって――」

「ん? 何って……泣いてる女の子を抱きしめてるだけだが?」

「イヤ――――――――――――ッ!!!!!」

「ぶへぇっ!」


 頬に強い衝撃が走る。


 気が付くと、俺は地面にぶっ倒れていて、腕を振り切ったポーズの鷹宮が俺のことを見下ろしていた。


「何してんのよ変態ッ!」

「なっ――俺は変態じゃねえ!」

「変態よ変態! 変態変態変態ッ!」


 助けてやったというのになんという言われようだ。


 俺が彼女の厚顔無恥こうがんむちに絶句していると、急に彼女はと肩を落とす。


「……ごめん、言い過ぎた。助けてくれたのに」

「……」

「なんか、ダメだねアタシ、今日。ダサいところ見せちゃったし、アンタには辛く当たっちゃうし」

「……まあ、そんなこと誰でもあるだろ。大谷だって毎打席ホームラン打てるわけじゃねえし」


 鷹宮が差し伸べた手を掴んで立ち上がる。曇天の過ぎ去った空には、今さっき着いたばかりのような西日がかかり、大通りを柔らかい紫で照らしている。


「帰るか。もういい時間帯だし」

「そうだね」

「母さん呼ぶけど、お前も乗る? 服濡れただろ」

「いいの? 乗る」

「たまにはいいだろ」


 たまに、というか俺が外出すること自体今までほぼ皆無だったし、して鷹宮と二人きりで遊ぶのなんて、昨日までなら考えもできないことだった。


 電話を入れてしばらく待つと、白の軽自動車が駐車場に入ってくる。ウィンドウを開けると、母ちゃんのとした顔が覗いた。


「お待たせ~。天音ちゃんもなんだか久しぶりね!」

「お、お久しぶりです」


 鷹宮が両手でバッグを前に提げ、恐縮したように頭を下げる。


 後部座席のドアを開け、乗るように促す。エスコートのできる男アピールのチャンスを逃さなかったというわけだ。


 俺が助手席に乗ると、車がゆっくりと動き出した。と同時に、母ちゃんの口のエンジンも回転し始める。


「いや~もう、ちょっと見ない間に随分綺麗になったじゃないの?」

「あ、ありがとうございます……」

「背も伸びて顔もかわいいし、こんないい子いないわよ! ねえ?」

「アァン?」


 なぜか俺に会話が振られてきたので、


「まあ、学校では一番かわいいとかで評判だナ」

「でしょぉ!? まさかあの天音ちゃんがね~。感慨深いわぁ。でも葉子ようこちゃんの娘だから遺伝なのかしらねえ?」


 葉子さん、とは鷹宮の母親である。俺の母ちゃんといくつも離れていないはずだが、見た目だけなら20代半ばというほど若々しく、とても子供を一人産んでいるとは思えない。母娘で並ぶと姉妹と言われても信じてしまうくらいだ。


「葉子さん美人だもんなあ」


 何気なく相槌をうつ。


 実際、俺は小さい頃、葉子さんの美貌にあてられたエロガキだった。俺が鷹宮の面倒を見るようになったのも、葉子さんが褒めてくれるからというのが理由の一つにあった。


 すると、後ろからと肩を掴まれた。


「アンタ、人の親を狙ってんの……?」

「え? いや、別に……」


 万力のような力で腕を締め上げ、絶対零度の瞳で凍えながら、俺は家へ輸送されていった。

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