心を落ち着かせるためには当初予定通りの行動を取るべしということで、俺たちはとりあえず当初予定通りにデュナオンのコラボカフェに入った。


「あ、二名で予約してた笠井です」


 と店員に伝えてスムーズに窓際の二人掛けの席へ案内されると、なんだか虚しさを感じた。


 店員がメニューを持ってくる間、俺たちの間には重苦しい沈黙が漂っていた。


 まあ、鷹宮にしてみれば、嫌いな幼なじみとは露にも知らずにMMOでつながってしまい、あまつさえオフ会の約束もしちまったんだからな。心中は察するにあまりある。


 店内は20代~30代くらいの女性客が多く、男性の姿は少ない。和気あいあいと飲み食いし、映えそうな料理は写真を撮ったりと、心底満喫しているようだ。


 窓から外を見下ろすと、行き交う人や車が、流れ星のように浮かんでは消えていく。


 その全てがなんだかつくりもののようで、俺たちとは無関係に思えた。俺たちは俺たちだけの空間にいるかのような錯覚を覚えた。


 店員がメニュー表を持ってくる。


 折りたたまれたメニューを屏風のように広げると、鮮烈な彩りのフードとドリンクが整然と並んでいる。


「お、いろいろあんなあ。な、鷹宮」


 気を利かせて話を振ってみたが、鷹宮は眉間にしわを寄せながら水を飲むだけで、何も答えない。


「このオムライスとかいいな~。鷹宮はどうする?」


 鷹宮はと飲んだ水から口を放してテーブルにコップを置き、唇についた水滴を拭った。


 何も言わない。


 俺たちの間に漂う異様な空気を目ざとくも察した店員は、「そ、それではごゆっくり~」と青ざめた呟きを残し、そそくさと退散していった。


「鷹宮」

「……」

「なあ、鷹宮」

「……」

「あ、地蔵さんこんばんはです~」


 俺が声色を変えて鷹宮のゲーム内キャラクターの物まねをした途端、机を叩いてすさまじい音を立てて椅子から飛び上がった鷹宮の手が、俺の首元めがけてコブラのようにすっ飛んできた。


「うぐ、ぐるじい……」

「次やったら殺すから……!」

「ごべんなざい……」


 魂の謝罪をしたところで、ようやく窒息死の危機を免れた。


 唐草模様のような意匠の施された椅子の背もたれに再び背中をゆだねたところで、周囲の客の注目を引いていたことに気が付き、彼女は赤面した。


 そんな羞恥心があるなら白昼堂々殺人未遂を犯さないでほしい。俺も別の意味で顔が真っ赤だしな。


「顔、赤いぜ」

「ッ――! ッ――!」


 叫びを押し殺して、自制しながら思い切り睨んでくる。なんか面白いな。


「……帰る」

「まあまあまあまあ」


 カバンを持って席を立とうとする彼女を制し、


「せっかくだし食ってこうや。腹減ったし」

「あのさあ――」

「お前、楽しみだったんだろ? ここ来るの。メッセージのやり取りでも分かったよ」

「それは……」


 鷹宮は所在なさげに言うが、俺がメニュー表を無言で差し出すと、少し逡巡した後に受け取った。


「決まったか」

「…………うん」

 

 案外素直に従ってくれた。


 店員に注文を済ませると、すぐにコーヒーが二つ運ばれてきた。口をつけると、頭を冷ます苦みとさわやかな酸味が広がった。


「美味いな」

「そうね」

「そうねって……砂糖ドバドバ入れて甘ったるくならないのか?」


 鷹宮はすまし顔で、テーブル備え付けの砂糖壺から、ティースプーンでひたすら角砂糖をすくってはコーヒーへ投入していた。


 そういえば、コイツは大の甘党なんだっけ。


「いいでしょ、別に。こうして飲むのがアタシ流だし」


 流派とかあるんですかね?


 もはや砂糖水と区別がつかないコーヒーを飲み、鷹宮は涼しげだ。


 さて……。


 俺の小粋なトークで場の雰囲気も和んだことだし、そろそろ本題に入るか。


「にしても意外だったよ。鷹宮がアネモスさんだったなんて」


 鷹宮は手をぴたりと止め、


「………………悪い?」

「いや、悪いとかじゃなくてさ。ゲームとか漫画とかオタクとかめっちゃ馬鹿にしてそうな感じだったから」

「そんなことないし」

「しかもオフ会とか誘うような積極性も持ち合わせてるし」

「それは……! 地蔵さんがアンタだって知ってたらアタシだって誘わなかったわよ!」


 鷹宮はまた羞恥に顔をゆがめ、


「そういうアンタも、デュナオンやってるなんて知らなかったわ」

「俺はバリバリやってるアピールしてただろ。教室でも」


 よくデカい声でデュナオンの良さをカオルやナオヤに語っては陽キャから冷めた目を向けられている。好きなことを語るとつい熱が入っちゃうので許してやってほしい。


「そうなの? 無意識に遮断してたから知らなかった」

「……」


 恐怖に震える手でコーヒーを飲んでいると、注文した品が運ばれてきた。


 俺が頼んだのはオムライスだ。サリヴァンという準レギュラーの似顔絵が、ケチャップで描かれている。


「なかなかうまいな」

「まだ食べてもないじゃん」

「いや、サリヴァンの絵……」

「……」


 俺がスプーンを入れようとすると、


「ちょっと待って。写真撮らせて」

「ああ」


 スマホを横に構えてパシャパシャ撮りまくってる鷹宮。俺はスプーンを構えた赤ちゃんのように静止している。


「インスタに載せて鬼バズらせんの?」

「何言ってんの。デュナオンじゃバズらないよ」

「え、そうなの?」

「当たり前じゃん。はい、いいよ」


 待てを指示されていた犬のようにワンワンかきこんでいく。


 オムライスは卵がトロトロの半熟で、中に包まれているご飯もケチャップがよく絡んでいて普通に美味い。コラボカフェだからどうせ手抜きなんだろうと思っていた自分を恥じ入る限りだ。


 鷹宮はなんの代わり映えもないナポリタンのパスタを頼み、フォークで少量をくるくると巻き付けては口へ運び、その度に満足そうにうなずき、目の奥をかすかに輝かせている。


「それさ、普通のナポリタンだよな?」

「そうだけど、何?」

「いや、せっかくコラボカフェに来たんだから、キャラっぽい料理頼むもんだと思ってたわ」


 鷹宮はふんと鼻で笑い、


「浅すぎ。メインはしっかりしたものを食べて、スイーツとドリンクでコラボ色が濃いものを頼むのが常道でしょ。じゃないと食欲もデュナオン欲も満たされないし」


 俺は雷に打たれたようなめまいを覚えた。


 彼女の脳内は映えとワンチャンが98%を占め、残りの2%には女の子の秘密(今一番潰したいチョーシコイてる奴とか)が詰まっているのかと思っていたが、そうではなかったようだ。


 やがて二人ともメインディッシュを食べ終え、サイドメニューを選ぶ段になった。ぱっと見ただけでも何十もの種類があってなかなか選び難い。


「いろいろあるなあ」

「そうね」

「お前はどうすんの?」

「アタシの目当てはクラインだから」


 クラインとは、デュナオンのメインシナリオ第三部に登場するボスキャラクターの男性だ。主人公とは相対する思想を掲げて対峙するが、彼のバックグラウンドや考え方に共感するプレイヤーも多く、人気投票では上位にランクインしている。


「なんつーか、王道だな」

「いいじゃん王道で。あんたは?」

「俺は……あんま考えてなかったな。無難に『エミリアの水属性シュワシュワソーダフロート』にしとこうかな」


 爆乳お姉さん系キャラの名前を冠したメニューの名前をつぶやくと、鷹宮は露骨に引いたようでかなり納得がいかなかった。



* * *



 コラボカフェでのひと時を堪能して、俺たちは店を後にした。


 空には泥水を吸ったような雨雲が漂っていて、今にも降り出しそうな模様だった。道行く人たちも傘を持っていないらしく、狭い歩道を小走りで目的地へと急いでいる。


「降ってきそうだなあ。お前傘持ってる?」


 横を見ると、折しも鷹宮が瀟洒なバッグから黒色の折り畳み傘を取り出すところだった。彼女は俺をギロリと睨むと、


「『お前』って言うのやめてくれる?」

「え、じゃあ何て呼べばいいの? アネモスさん?」


 鷹宮は袋から取り出した傘で俺のわき腹に一突き入れた。あばらを持っていかれるかと思うくらいには痛い。


「ぉうっ」

「鷹宮でいいから」

「……いいのか?」

「なにが?」

「お前、俺のこと嫌いなんだろ」


 鷹宮が何か言う前に、バケツをひっくり返したような通り雨が降り始めた。


 街路樹の青々と茂った葉叢はむらを打つ飛沫しぶきが、昼間のビルから漏れ出した灯りの中で乱反射している。


「降ってきたな」

「うん」

「俺傘持ってなくてさ、今めちゃくちゃずぶ濡れなんだけど」

「……」

「入れてくれよ」

「絶対に無理」


 一度出てきたカフェに引き返すのもアレだろうということで、一旦雨をしのげる場所に行くことにした。俺がラーメン二郎を提案したら殺人的な目線を向けられつつハイヒールのブーツでローキックをお見舞いされたので、鷹宮が行きつけという喫茶店に行くことになった。


 ギャル行きつけの喫茶店……? DJでもやってるのだろうか。


 道すがら俺は考える。


 中学の途中からこの方、鷹宮にはかなりキツイ態度を取られ続けていた。辛辣な言葉は勿論、露骨に無視されたこともある。俺が過去に何かしたからなのか、それとも顔が生理的に受け付けないのかは知らないが、俺はこの関係のまま高校3年間どころか人生が終わると思っていた。


 ところが、今日、不幸な行き違いの末に出会ってから、コロコロと変わる表情を見せてくれたり、普通に会話に答えてくれたりと、何年も憎まれ口を叩かれてきた立場とは思えないような経験もした。


 正直な話、俺は少し混乱しているのだと思う。


 鷹宮の考えていることが分からない。鷹宮が俺に何を要求しているのか分からない。嫌われ者の役回りをすべきなのか、親しい友達になるべきなのか分からない。


 分からないことだらけだった。


* * *


 喫茶店へインする頃には雨も多少弱まるかと思っていたが、かえって雨脚は強さを増していた。


 せっかくセットしてもらった髪を濡らしてなるものかと頭に被っていたカーディガンを絞りながら空を見上げると、曇天を遮って頭上に張り出た赤いテントから、大量の水が零れ落ちている。まだ降りやみそうもない。


 昼時を過ぎた店内はがらんとしている。電気もついておらず、閑静というよりは閑散という言葉が当てはまりそうだと思った。


 店員らしい男性が、こちらに背を向けて木製のダークな茶のテーブルを拭いている。扉のベルが鳴りだすとこちらを振り向き、


「いらっしゃいませ。……おや、天音ちゃんか」

「二人、今いいですか?」

「どうぞ。今メニュー出してくるからね」


 にこやかな笑顔が似合う、初老の男性だった。白髪交じりの頭を揺らしながら、店の奥に引っ込むのを見送った。


「オシャレな店だな」


 天井からつり下がったランプは穏やかな暖色の光を投げかけており、路地に面した窓といい、ブラウンを基調とした家具といい、俺のオサレセンサーがビンビンに反応している。


「でしょ」


 行きつけのスポットを褒められたからか、心なしか上機嫌な鷹宮。あ、今年相応っぽい顔したな、と勝手に心の中でシャッターがプッシュされる。


「でも、華のJKが通うにしては渋すぎる気もするが」

「ここ、凛音りおとか綾香あやかみたいな学校の友達とは来ないから」


 鷹宮はスマホをテーブルに置いて伸びをし、


「なんか、一人になりたい時に来るんだよね。うまくいかないことがあったりするとさ。で、ここでカフェオレ頼んで、頭からっぽにして、時間が過ぎるのも気にしないでぼーっとしてんの」


 なんかジジくさいことしてんなとか、そんな場所に俺と来てよかったのかとか、言いたいことはあったが、運ばれてきたアイリッシュコーヒーと一緒に胃の中へ飲み込んだ。


 雨が降り続いている。


 雨音とマスターの鼻歌ばかりが空気にこだましているが、そんな空間に心地良さを覚えた。


「……いい店だな。コーヒー美味いし」

「当たり前じゃん。アタシの行きつけなんだから」

「それなら砂糖ドバドバ入れるのもどうにかしろよ。こっちまで甘ったるくなってくるわ」

「……うっさい」


 喫茶店の代名詞とも言えるコーヒーにこれでもかとばかり砂糖を入れるのを見れば、誰だっていじりたくもなるだろう。


 ……カフェオレだよな、それ。

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