「そういえば、土曜のデート相手ってどこで知り合ったの?」


 唐揚げラーメンをペロリと平らげ、おまけにデザートでアイスクリームを追加した怪物的な胃袋の持ち主・カオルは、ティッシュで口周りを拭いながらそんなことを尋ねてきた。


「あ?」

「だからデート相手との出会いだよ。ヒロ、高校で女の子と全然接点ないよね? それとも中学時代の誰か?」

「あ~……」


 言うべきかな、と逡巡する。


「ゲームで知り合った相手」なんて正直に答えるのもなあ……カオルなら許容するとは思うが、何かの間違いで誰かに伝わると面倒な気がする。


「言ったほうがいいか?」

「いや、言いたくないならいいけど。……かわいい?」

「いや~どうだろう……」

「顔知らないの?」

「ああ、うん」

「なんだそれ、ますます分かんなくなってきた……そうだ分かった! ヒロ、出会い系やってんでしょ?」

「はあ? やってねえよ」

「いやいや、隠さなくてもいいって。顔も知らない相手と初めて会う、でも無難なコーディネートで行きたい……それは出会い系しかないよねえ」


 どうやらカオルのような人種にとっては「ネトゲのフレンドとオフ会する」という発想は出てこないらしい。それもそうかと得心する。俺だってデュナオン以外のネトゲをやったことがないし、月額制というのも相まって高校生にとってネトゲは手が出しにくいものだ。


 ところで、出会い系とネトゲ、どちらで出会ったと説明した方が印象が良いかというと……後者かなあ。後者だよな?「今時の高校生なら出会い系やるのは普通!」とかいうトリビアないよね?


「いや、実はネットゲームのフレンドでな」

「……ああ、デュナオン?」

「ああ」


 ガタリ、と硬質な音が聞こえた。


 音のした方を見ると、硬さとは無縁そうなしなやかな身体を持つ鷹宮が、膝を抑えて顔を伏せていた。


「あれ、天音ダイジョーブ?」

「膝ぶつけた?」


 二人の友人が心配する中、「大丈夫だから」とクールに答えて何も無かったかのようにふるまう。俺も試しに首を90度ほど傾けて彼女の膝小僧を見たところ、かすかに赤くなっているような気がした。さらに奥へ目を凝らすと、すべての人類が望んだ黄金郷エル・ドラドが見えそうな気がした。


「何してるの?」

「いや……見える気がしたんだ」

「はあ……でもネトゲか。それってさ、大丈夫?」


 カオルの言う「大丈夫」とは、つまりそういうことだろう。昨今、出会い系を通じて高額なぼったくりバーやら、マルチ商法やらに誘う輩が後を絶たないと聞く。ネトゲも出会い系ほどではないが、そのような被害に遭うリスクがないとは否定できない。


「まあ、大丈夫だろ。ヤバそうだったら泣きながら土下座するし」

「それで済めばいいんだけどなあ」


 え、それで済まされないようなやばいことに巻き込まれるの? 今更ながら不安になってきた。


 遺言とか書いとこうかな……「犯人は姉ちゃん」とか。


 そんなことを思っていると、


「へえ~。天音週末デートするんだ」


 という石川の弾んだ声が聞こえた。チョコミントのアイスを頬張りながら、前のめりで鷹宮の顔を覗いている。


「デートって……そんなんじゃないから」


 ブレスレットをいじりながら、呆れたように鷹宮が言うが、石川は感慨深げに腕を組んでうんうん頷き、


「いやいや、男と女が二人で出かけるのはデートだって。……でも天音がデートか~」


 と言う。


「何? その反応」

「だってさ~、天音ってチョー美人なのに今まで男の影なかったじゃん? 親友のアタシとしてはこれで安心って感じで親の心子知らずってゆーか」

「そうだよね。……天音、父さん安心したぞ。ちょっと寂しいけどな」

「ちょっと! やめてよ!」


 鷹宮が顔を真っ赤にしてテーブルを叩き、石川と池田がゲラゲラ笑っている。俺はと言えば、池田の鷹宮の父親モノマネが思いのほかツボにはまり、必死の形相で笑いをこらえているところだった。ちょっと似ていたのだ。


「だ、ダメだまだ笑うな……こらえるんだ……」

「ふう~ん、鷹宮に彼氏か」


 カオルは頬杖をつき、いつの間にか買ってきたカップのジュースをストローで吸った。


「荒れるね」

「は?」


 カオルはカップをテーブルに置く。中にはメロンソーダらしい緑色の炭酸飲料が入っていた。


「鷹宮、めっちゃ美人じゃん。でも彼氏今までいなかったでしょ?」

「そうなの?」


 そのような情報は無意識にシャットアウトされていた。余計に気まずい思いしちゃうし。こっちが。


 そうか、鷹宮は今まで彼氏いなかったのか。


 意外だった。彼女ほどの美人であれば、男を取っかえ引っ変えしているものだと思っていたが……。晩婚化が指摘される昨今、層が厚くなりつつある絶食系女子の一人なのかもしれない。


 俺はというと……いや、何も言うまい。


「で、ワンチャン感じてる男どもがわんさかいるんだ、これが。そんな鷹宮に彼氏ではなくても親しい異性がいる――今からでも数多の屍が学校に発生する光景が思い浮かぶねえ」

「大げさだろ……」


 そんなスプラッター、漫画の中だけで充分だわ。神さまの言うとおりとか。

 カオルに眠っていたゴシップ根性に驚きつつ、繰り広げられる隣の会話に傾注する。


「で、どんな人なの?」

「いやどうでもいいでしょそんなこと……」

「え~だって気になるよね~」

「うん。気になる」


 石川と池田は親戚の叔父さんみたいな絡み方をする。鷹宮は観念したとばかりにため息をつき、


「……優しい人だけど」

「あとは?」

「強い」

「天音ちゃん、前に好みのタイプ聞いたときに『強くて優しい人』って答えてましたもんね~」

「ばっ……そんなんじゃないから!」


 強くて優しい人……ジャングルの王者かな?


 今日は珍しく、鷹宮の表情が豊かだった。二人にいじられて顔が真っ赤だ。教室で見かけるときのような女王っぽさは微塵も感じられず、むき出しの17歳の少女が制服を着て、フードコートの安っぽい椅子に座っている。


 俺は驚きやら感心やらの感情を胸の内に浮かべつつ、カオルとの会話に意識を戻した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 午後9時32分。


 俺は机に向かって勉強――などもちろんせず、プレステを起動して今夜もデュナオンにログインしていた。


 デイリーミッションを消化するためにダンジョンをプレイしていたが、どこか上の空でイマイチ身が入らない。普段はありえないミスを連発している。


 高難易度コンテンツの攻略を終えたからというのもあるだろうが、それを言い訳にすることは難しい。というか、それはほぼ関係がない。


 間違いなく、オフ会のせいである。


 俺は気もそぞろにフレンドリストを開いた。アネモスさんはログインしていない。安堵するような、がっかりするような相反する気持ちがぶつかりあってできたよどみを飲み込む。今夜だけで何回同じ動作をしたか数えきれない。


「意識してんなあ~、俺」


 独り。


 誰もいない部屋へつぶやき、苦笑いを浮かべる。


 今日はカオルとショッピングをして、鷹宮が週末男とデートすることを聞いたりしてと、いろいろあった。いろいろあったのに、こうして液晶モニターの前に座り、電気信号が生み出す幻像を操作していると、それらがすべて遠い夢の彼方で起こったことのように思えてくるのが不思議だ。


 そして俺の中には週末のオフ会だけが輪郭を持って浮かび上がり、焦燥をかき立てるのだ。


 アネモスさんはどんな人だろうか。


 ちゃんと二人きりでも話せるのだろうか。


 詐欺に引っかかったりしないか。


 俺はアネモスさんがどんな人なのかを想像していた。デュナオン内でのは無口というほどではないものの控えめな性格をしており、パーティー内で雑談のチャットをしている時も自分から積極的に話に入ってくる方ではなかった。しかし、攻略について相談している時のは打って変わって、解法の立案から取りまとめまでを引き受けていたから、内向的というわけではないのだろう。


 目を閉じると、俺の脳が作り出したアネモスさんの虚像が浮かび上がる。謙虚で知的なクールガイだ。しかし、デュナオンの話になると子供っぽく熱っぽく語る……そのギャップにやられる女性も少なくないのではなかろうか。


 そう考えると親しみが湧いて、オフ会に対する警戒感も薄れてくる。


 大丈夫、アネモスさんはきっといい人だ。


 再びフレンドリストを開くと、アネモスさんがログインしていることを示す☆マークがついていた。俺がリアクションを取る暇もなく、ダイレクトメッセージが届いたことを知らせる通知音が鳴る。


『土曜はよろしくお願いします!11時に池袋駅前集合で!』


 オフ会のリマインドメッセージだった。


『はい、こちらこそよろしくお願いします。楽しみです!』

『自分もです。実はデュナオンコラボカフェに行くのも初めてで……』

『俺もなんですよ~。あそこ一人だと入りづらいというか』

『わかります。そうなんですよね~』


 最初こそ若干肩肘張ってしまっていたが、チャットが進むにつれて気心知れた友人と会話しているかのような心地よさを覚える。


 そうだよ。何ビビってたんだよ俺は。相手は病める時も健やかなる時も、一緒にコンテンツを攻略した仲間じゃないか。


 話は弾み、デュナオンに関する話から自分たちの身の回りの他愛もない話へと移っていった。顔を知らないのがかえって話に弾みをつけているのだろうか。


 ふと、今日のことを思い出した俺は、軽い弾みで、


『最近、人間関係って難しいなということが多くて』


 という趣旨のテキストを打つと、すぐに返事が返ってきた。


『クラスメイトですか?』

『そうなんです。どうも嫌われてるみたいで……』


 こんな感じで、気づけば俺はアネモスさんに鷹宮との関係について悩みを打ち明けていた。


『向こうは俺みたいなゲームオタクが嫌いらしくて辛辣な態度をとられるんですけど、こっちとしてはそんな態度とられるのもしんどいんで』

『ふむふむ』

『仲良くとはいかなくてもほどほどの友達みたいにはなりたいんで、どうにかしたいんですけどどうすればいいのかわからないんですよね』

『ああ~~なるほど』


 しばらくチャットが止まる。やがてこんな返事が返ってくる。


『実は自分も同じ経験があるんですよ』


 俺はキーボードの上で構えていた手をぴたりと止めた。


 今日は初夏の夜にしては蒸し暑く、本格的に夏用の半そで半ズボンに衣替えしたにもかかわらず、肌にはじっとりとした汗が浮かんでいる。「そうだ、水分補給しないと」と脈絡もなく考え、ペットボトルの麦茶を飲み干す。


 扇風機の音が意識の外から頭の中心を占め、そしてまた意識の果てへと消えていく。


 何故かアナログの壁掛け時計を見た。10時5分。良い子は寝る時間だった。


 視線が再びモニタへと吸い寄せられる。


『そうなんですか?』

『地蔵さんとは事情が反対なんですけどね。ちょっとある人に、失礼な態度とって微妙な関係になっちゃって』

『へえ~そうなんですか』


 アネモスさんもそういうしくじりをするんだな、と俺は新鮮な驚きを覚えた。ところは如才なくこなしているイメージだった。


『それで関係改善もできてないってところですか?』

『そうですねえ。結局謝れてなくて……』

『なるほど』


 コミュニケーションの難しさというものだろう。つくづく人付き合いというのは分からないものだ。


 とはいえ、自分から投げた話題とはいえ、ここからどうやって発展させようか……。


 と思っていると、


『というかこんな暗い話題喋るのやめましょ! デイリーミッション消化しに行きません?』


 ありがたいことに、アネモスさんから話題を変えることを提案してくれた。


『そうしますか。それじゃあデイリーがてら、俺が最近読んでる漫画の話でもします? 世界最強の不良が中東で女装して天才クリスチャンハッカーと死闘を繰り広げるやつなんですけど』


 チャットをするたびに心理的な距離が縮まっていく。


 もう俺たちは既にどこかで会っているんじゃないのかと思うほどに気心が知れていく。


 悪い気はしない。


 俺はアネモスさんにもっと自分のことを知ってもらいたいし、アネモスさんのことをもっと知りたいと思っていた。


 そして夜が更けていく。

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