第15話 テロル
冷たい午前中の風を切って自転車ですっ飛ばすこと二十分。
道に迷うことは無かった。
今は携帯電話一つで、世界中のストリートを覗き見れる時代なのだ。
クリーム色の、工場のような外観の建物。
某製薬会社の研究施設入り口に、俺は難なく辿り着いた。
周囲に神経を研ぎすます。
騒ぎになっているような気配は無い。
裏口から侵入したのでは無いか、とわざわざ回ってみてみたが、そちらは厳重に鍵が閉まっていた。
俺はしばし逡巡したが、堂々と入り口から正面突破してみることにした。
野鳥を胸ポケットに隠して自動ドアを開けると、すぐに受付の、垢抜けない若さの女性が形式ばった微笑を向けてきた。
俺はユウの特徴を詳細に伝えて、
「そいつ、妹なんですけど、先に来ているはずなんですが……」
仰々しく訊いてみる。すると受付の女性は、
「ああ、先ほどお弁当を持って来られた――そちらの応接室で、お父さんをお待ちいただいておりますよ」
親しげに答えて、受付のすぐ近くの部屋を手で示した。
ユウめ、家族のフリをして研究員を呼び出したのか。
安易な作戦だが、あっさり通りやがった。
なんとゆるい危機管理意識だろう。
本人確認もしないなんて、ザル警備すぎる。ウイルス兵器を開発している施設でもなし、内部に潜入するのでなければこんな物なのだろうか。
子どもだし。
まあこれなら、労せずユウを引きずって帰ることが出来る。
俺はへこへこと頭を下げて、応接室に向かった。
ノックもせずに、ドアを乱雑に開ける。狭い室内でセカンドバッグを抱えて、目の下に真っ黒な隈を作ったユウが、ソファに座っていた。
びくりと顔を上げて、俺の顔を見上げてくる。
放たれた窓の小さな隙間から、そよそよと秋風が頬をくすぐる。
「幹……! どうしてここに?」
「自分でここに来るってメールしてきたんだろ? 嫌なら、知らせてくるなよ」
俺はため息と謝罪をこらえて、ユウの隣に腰を下ろす。
ユウは体をずらして遠のいた。
「知らせても来ないと思ってた……もう、会ってくれないと思ってた。信じてもいないのに、どうして来たの?」
ぎゅっとバッグを抱き、ユウは目を伏せる。
いじましい態度だ。
これではまるで、俺が振ったみたいじゃないか。絡みにいったのは俺なのに。
「信じるとか、信じないとかそういう問題じゃ無かっただろ? 知り合いがテロリストになろうとしてるのに止めなかったら、飯が不味くなる」
「テロ、か……そう見られるだろうね。でも、そう見られないと意味が無いんだ。ただの殺人だと思われないようにしておかないと。ここの研究自体に、偽りでもいいから、疑いの目が向くような――そういうやり方じゃないと」
「……ん? 殺人どころじゃない?」
研究員を殺して自分も、とかそういうことじゃないのか。
「えーと……ユウ、お前が考えてるのは、いつもの彫刻刀を武器にして、研究者を人質にとって、とか……そういう、子どもじみた作戦なんだよな?」
「…………」
無言で目を伏せたまま、ユウはのそのそとセカンドバックを持ち上げた。
ジジジ、と死にかけた蝉の鳴き声のような音を立てて、ジッパーが開かれる。
その中には。
見慣れたタイムカプセルが入っていた。
「それがどうした。弁当箱のつもりか?」
「爆弾が入ってる」
さらりとユウは告げた。
耳を疑った。
悪い冗談だ。
冗談であって欲しいが、冗談を言っている顔では無い。
ユウが冗談を言ったことなど一度も無いし。
そうだ、ノリツッコミとか、そういう系統だ。
「……爆弾おにぎりか?」
「中身は、時限式の爆弾。もう10分ぐらいで起爆する。爆発の規模は小さいけれど、この部屋ぐらいなら……」
駄目だった。
冗談じゃなかった。
爆弾テロだった。
ザル警備どころの話じゃねーぞ。
「な……な、なんで、お前にそんな技術があるんだよ!」
「カマルが知ってた……暇つぶしで作ってみたんだ。あっちでは土木工事に使う知識だったし、人を傷つけるのはスズメに禁止されてたけど……こっち側にはスズメがいないから」
以前神社に行った時に、暇つぶしで未来の知識で工作をしていた、と訊いた気がする。
よりによって爆弾だったのか。
「スズメちゃんはいなくても、警察がいるだろうが! 人殺しはどこだってタブーだ」
「……未来に比べれば小さなことだよ」
ユウは口の端を上げて、自嘲するように微笑む。
胸の奥がぎりぎりと軋んだ。
こんな笑顔をする奴だっただろうか。
俺がそうさせたのか。
「何も知らない人間を殺すことが、本当に小さなことだと思ってるのか? ここの研究員の誰一人として、殺人ウイルスを造ろうだなんて考えていないぞ」
「順番が変わるだけだよ。多くの人を救える現実がこの先にあるなら、そっちのが重大だ」
ユウは淡々と告げて目を細める。
違う。
これは大きすぎる齟齬だ。
そんなのは――。
「そんなことは――最低最悪のフラグロストだ」
「フラグロスト? 違うよ。これは、幹が言ってた、大切なフラグ立て……」
「違う」
可能な限り声を低く重くして、ユウの言葉を遮った。
「どんなゲームでもマンガでも、フラグは主役が命を賭けて立てるもんだ。だが、命を捨てて立てられる旗なんか無い。そういうのはな、『死亡フラグ』って言うんだ。BADEND直行の、救いようの無い選択ミスだ」
「未来はゲームやマンガじゃ……」
「現実だからこそ、リセットが効かないんだよ。未来でよろしくやるだと? カマルは、お前の記憶を受け継ぐんだろ。大勢の人間を殺して、自分まで殺して、そんな記憶を受け継いで、未来でどんな希望を守れるっていうんだよ? 大体この時代に何をしても、歴史は変えられないって断言したのはお前だろ」
俺はたたみかける。
ユウが狼狽し、目を白黒させる。
何をしても変わらないのなら、死病を避けることは不可能、不可避なのだ。
ここで失われる命に、意味など無い。
ユウは小さな体をより縮めて、床に視線を落とす。
「それでも……それでも、私は、わ、私は……」
迷う意味など無いってのに。
「この時代は、この時代の人間のものだ。今のお前も、その一人だろ!」
俺の絶叫に、ユウがびくりと肩を震わせる。
シルバの時も黙って見送ってやったのに、俺を感情的にさせるとは、難儀なコミュ不全だ。
……違うか。
他人の希望を自分の絶望の代替品にして、消費しようとしていたのは、俺だった。
帰ったら、詫びなければいけないのは俺の方なのだ。
もう一押し、ユウの決意を揺らがせたい――
俺が口を開こうとした時。
かつん、かつんとリズミカルな足音が、ドアの向こうから近づいてきた。
ユウの体が微動し、瞳孔が開く。
まさか、呼び出した研究員か? 来るな。
このタイミングはまずい。
迫り来る足音が、カウントダウンにしか聞こえない。
ユウは、荒い息を吐きながら。
「幹、私はここまで来て、何もせずに帰ることは出来ないよ……」
震える声で告げて、バッグの中に手を突っ込んだ。
タイムカプセルの蓋が、かぱりと開く。
手の平サイズの、たこ足配線のコードが絡みついた物体。
ありがちな秒針などは無く、ピンのようなものがコードの隙間から生えている。
「ゆ、ユウ……待て、それに触れるなよ!」
とは言ったものの、どうすればいい?
俺が覆い被さって――
いや鋼の体じゃあるまいし、意味が無い。
手に持って逃げる?
どこに。外に?
入り口はドア一つだ。
こつこつとノックの音。
カウントゼロ。
タイムオーバー。
ユウが、ピンに手をかけた。
かちり、と無情な音。
駄目だ。諦められない。
俺は、ユウを諦められない!
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