第9話 インフルエンザ陽性

 翌日の夜中。


 いきなり叔父が俺の部屋のドアをノックして、


 「幹、助けてくれ」


 と情けない声を出してきた。


 悪寒と鼻水が止まらないらしい。


 俺はタクシーを呼びつけて、叔父を連れて急患受付に向かった。


 診察結果は、インフルエンザ。陽性。


 あれだけ毎日俺に気をつけろと言っておいて、このザマである。


 予防接種も受けていなかったようで、世話が無いったらありゃしない。


 俺はユウに電話して、二~三日の間はクエストを休ませてもらうことにした。


 叔父の看病をするためだ。


 早く元気になってもらわないと、俺まで食いっぱぐれる。


 また電話口で未来への覚悟だの何だのと文句を言われるかと思っていたが、ユウは。


「そっか。私も手伝おう」


 一言告げて、がちゃりと電話を切った。


 何の冗談だろう。


 ――と思っていたら、ユウは翌日の放課後に、俺の家にやってきた。


 場所は知らせてはいたが、家に入れたことは無かった。


 俺は玄関前に立っているユウの姿に、思いっきり狼狽してしまった。


 女の子が訪ねてくるなんて久しぶりだ。


 嘘です。


 同級生の女の子が家に来たのは初めてです。


「やあ、幹。夕飯を作ってあげよう」


 スーパーの袋いっぱいの食材を両手に持って、ずかずかと入ってくるユウ。


 止める理由は無い。


 無いが。


「どういう魂胆だユウ? こんな無益なことしても、未来には何も残らないぞ」


「どういうって……一人じゃ看病も大変だろうし」


「まさかお前、俺の家族まで餌づけして、繁殖させる気じゃ?」


「カ、カニバリズムは未来でも禁忌だよっ!」


 憤怒の形相で叫ぶユウ。


 法律は破っても文化人類学的なタブーは守るのか。


 キッチンに案内したら、後は勝手にやってくれた。


 手伝うと申し出たが、いいから休んでろと命じられたので従う。


 妄想メンヘラの料理はどんなびっくり箱なのだろう? スネーク系かインセクト系のサバイバル料理だろうか。


 叔父には悪いが、不謹慎な期待が高まる。

 

 一時間後。


 居間で待っていた俺の前に出てきたのは、ごく普通のお粥やポトフ、ポテトサラダなどの家庭料理だった。ユウはそそくさと皿を並べていく。


「あまり凝ったものは、作れなかったけれど」


 ……似合わねー。


 中学時代ならまだしも、今のユウがこんな堅実な料理――と思ったが、スパッツ、純白のネクタイシャツの上にエプロン、という本日の少々変則的で反則的な美少女描写の前には、些末なことである。


 是非とも目に焼きつけておかなければ。


 叔父も並べられた料理以上に、突然やってきた息子の女友達に感激したようだった。


 寝込んでいたはずなのに飛び起きてきやがった。


 感染対策のアクリル板を置き、叔父を隅に追いやって距離を保つ。


「幹に、こんな美少女の友達がいたなんて……」


 本人を前に、堂々と述べる叔父。


 血は繋がっていないのに、さすが俺の叔父。


「四方田です。幹くんには、いつもお世話になっております」


 ユウは不器用な愛想笑いを浮かべて、無難な普通の少女を装う。


 最近ようやく周りを見ずに自分を省みない過激さが、鳴りを潜めてきた気がする。


 叔父がにやにや笑いながら、俺の耳元で囁いてきた。


「幹、お前もやるじゃないか。どうしようも無い引きこもりオタのお前も、やることはやってるんだな」


 言い草がひでえ。


「本音が出すぎだろ叔父さん。ユウとはそんなんじゃねーよ」


「私がどうかした?」


 ユウは食器にサラダを盛りつけながら、不思議そうに訊いてきた。


「「何でも無いです」」


 俺と叔父は二人揃って首を振る。


「あはは。良く似てるね、幹と叔父さんは」


 心底楽しそうにユウは笑う。


 未来や来世関連のこと以外で、ユウが笑っていることは珍しい。何度も会っているなのに、未だ知らない表情が多い。


「本当に悪いな、ユウ。家庭のことでお前に世話になるなんて予想もしてなかった」


「気にしないで。スズメの病気を看病することも、あっちではよくあるし」


「そういえばスズメちゃん、自分の怪我や病気は治せないんだったな」


 俺とユウのやりとりを、叔父は鼻をかみながら、怪訝そうに眺めている。


「……スズメ? なんだいユウちゃん、野鳥でも飼ってるのか?」


「あ、はい、まあ」


 あやふやにユウは答えた。


 野鳥は飼っているので嘘では無い。


 未来の食料庫扱いで、スズメでも無い普通の鳥だけれど。


 そういえば名前もつけていなかったな。

 

 なんだかんだで楽しい食事が終わった。


 二人が三人になるだけで、会話のパターンがこうも増えるだなんて思ってもいなかった。


 シルバのポジションは俺と叔父にとって、とてつもなく重要な潤滑剤だったんだろう。


 ――ユウがペットという意味では無く。


 病人とは思えないほどの旺盛な食欲で満腹になった叔父が、処方された薬を飲んでいる。


 白く小さな、よくある錠剤だ。


 のんびりとお茶を飲んでいた俺は、ユウがその錠剤を値踏みするように凝視しているのに気づいた。


 叔父もすぐに気づく。


「四方田さん、どうかした?」


「い、いえ……その、薬の数字が……」


 ユウが見ていたのは、叔父が飲んでいる錠剤に刻まれた製造番号だったらしい。


 巨大な製薬会社のものである。


「この薬に問題でもあるのかい?」


 叔父は娘を心配するような目つきである。


「未来に、それが……」


 何かユウは言いかけたが、ユウは深刻そうに口をつぐんだ。

 顔が真っ青になっている。


「ユウ、大丈夫か?」


「幹……明日、大事な話をする」


「お、おう?」


 低く重いユウのウィスパーボイスに、俺の声は逆に上擦った。

 嫌なフラグが、立った予感がした。

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