第2話 下らねー青春
その年の夏休み、俺は引きこもった。
叔父が話しかけても返事は無い。ただの屍。
俺が住むA県A市は日照量が極端に少ない町だが、それでも真夏のうだるような日射しは気力を奪っていく。
茫洋と適当に、積んだゲームを消化していくだけの日々を過ごす俺を見て叔父も呆れていたが、強く注意してくることも無かった。
両親を失って、さらに弟であるシルバを失った俺の心境を察してくれたのかもしれないし、語るべき言葉が無いのかもしれない。
親の顔なんて覚えてないし別にいいんだけどさ。
W不倫で失踪したという、父方にも母方にも極めて不名誉な俺の両親。
残された俺を哀れんで引き取ってくれた叔父は、俺の父の、妹の夫だ。
血の繋がりは無い。
叔父は叔父で、早くに俺の父の妹――
奥さんを病気で失ってしまったため、家族のいない家庭が耐え難かったらしい。
残り者が身を寄せ合った家庭、と言うとネガティブシンキングが過ぎるかもしれないけど、別に俺は過不足は感じていなかった。
けれどもやっぱり、一緒に成長したシルバの死は堪えた。
どうにもならないのに、どうしても毎日シルバのことを考えてしまう。
出歩く気もせず、行動も起こさなかった。
勿論、何ら面白いイベントも発生せずに夏休みは終わった。
下らねー青春。
学校が始まっても鬱々とした気分は抜けず、俺は授業を抜け出した。
こんな気分で古文の教師のハゲ面は見たくない。
西日を照り返されて、体感温度が数度は上がる。
エアコンの無い教室では地獄だ。
ふらふらと特に理由も誘導も無く、俺は校庭に向かった。
こっそり持ち込んだ携帯ゲーム機で、好きなRPGでもプレイして気分を変えたかった。
作業的なゲームほど良い。
俺は人目を忍ぶために、校庭の隅に置かれた、無駄にでかい高校設立記念の石碑の裏に隠れようとした――のだが。
「な、何だお前?」
びくりと後ずさった。石碑の裏には、先客がいた。
石碑の裏にすっぽり収まる程、制服姿の小柄な少女。艶やかな黒髪のセミロング。
やや表情が固いが、顔立ちがあまりにも整いすぎている。
睫毛も長い。
その細い手には、彫刻刀が握られていた。
がりがりと一心不乱に、汗をかきながら石碑の裏に何やら文字を刻んでいる。
理解しがたい、狂気じみた光景だった。
「……もうちょっとだから、邪魔しないで欲しい」
がりがりがり。
こちらをちらりと見た少女は、特に警戒もせずにさらりと告げた。
耳に残るウィスパーボイスに、俺は聞き覚えがあった。
「お前、四方田邑(よもだ ゆう)か?」
「ん?」
少女は彫刻刀を持つ手を止め、怪訝そうに俺の顔を睨んでくる。
「そうだけど……?」
険しく眉をしかめたその表情は初めて見るけれど、やはり俺はその少女を知っていた。
四方田邑。
小学校のクラスメイトで中学も同じだが、別々の高校に進学したはずだ。
クラスメイトではあったけれど、会話は殆ど交わしたことが無い。
俺の知る四方田邑は、正統派ヒロインという感じの日本的な美少女だった。
クラスの内外に人気があり、休み時間には見物人が来る程で、俺如きは近づくことも許されない感じだった。
その四方田が――。
「何故俺の高校の石碑を、がりがり削っているのでしょうか」
懇切丁寧に、敬語で訊いてしまった。
石碑の裏面が、表に刻まれた全く暗記していない校歌以上の文字数に埋め尽くされようとしている。
「未来に、情報を残しているんだ」
がりがりがりがり。
きっぱりと答えた四方田は、彫刻刀で再び文字を掘り出した。
「…………未来?」
やばい。
何故か分からないが、しばらく見ない間にあの儚げな美少女は壊れていた。
ずばり言うと電波さんかメンヘラ。なんか口調も昔と比べて変になってるし。
俺が元クラスメイトだってことは、気づいてもいない様子だ――
いや、最初から覚えていないのか。接点が無かったんだから。
横目で彫っている文字を見てみたが、何とも出鱈目だ。こんな文字は見たことが無い。
少なくとも、日本語や英語では無い。
世界史の教科書で見た楔形文字かと思った。
「ちょっと、この辺りの水源の位置を、未来に、ね……分かるだろ」
当然のように四方田は告げる。
「全然分かんないんだけど」
がりがりがりがりがり。
答えずに四方田は、細い腕を懸命に動かす。
異状極まりない光景だと思いながらも俺は、四方田から飛び散って煌めく汗から目を離せなかった。
妙に絵になる。
「こらー! オメェら、授業中に何やってんだー!」
校舎の方から、野太い叫び声が近づいてきた。
A校のナマハゲの異名を持つ、保健体育の教員だ。
どこで買ったのか、えび茶色という悪趣味なジャージ姿(一張羅)で走ってくる。
「おい四方田、逃げないと捕まるぞ? 結構厳しいんだよ、ここの校則」
校則の問題じゃない気もするが。
一応石碑は公共物だし、器物損壊罪に当たるだろう。
「ちょっと待って、後少しだから……」
四方田はナマハゲの怒声に狼狽えながらも、彫刻刀を握る手を休めない。
「後少しって、どれくらいだよ?」
「後……三行ぐらいかな」
「間に合うわけねーだろ!」
俺は四方田の手首を強引に握って、勢いよく立たせた。
ずるずる引きずるように校門へと走る。
四方田の痩躯は、羽根でも生えているかのように軽かった。
「うわ、ちょっと、離して! まだ掘り終わってない!」
「その前にお前の人生と、俺の学生生活が先に終わるっつーの!」
ぎゃーぎゃー叫ぶ四方田を怒鳴りつけて、振り向かずに俺は手を引く。
四方田はぷっくり頬を膨らまして、悔しそうに走り出した。
俺は何をやっているんだろう。
共犯でも何でもないのだから、四方田を突き出せばいい。
ただ――家族を失った後に人を見捨てるのは、気が引けた。
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