第8話 嘘

 部下に手綱たずなを預けた須佐ノすさのぼうは、黒髪で長い髪をした女性天狗の案内を受けてなかに入った。面会の約束は、出発前すでにしてある。


 石造りの家、玄関の広間を抜けて右に折れる。廊下を少し歩く。壁にある灯明皿とうみょうざらには植物から絞った油が注がれており、難燃性なんねんせいの植物でできた灯芯とうしんの明かりが照らしている。清涼感のある匂いが漂っている。


 右手にある大広間に通された。大樹の曲線を生かした卓に着く。彼女は茶を持って再び現れ、ふたつ置いて出ていった。


 時間が惜しかった。


 彼の詰めている城から本殿までは約十三キロで、本殿にはりゅうで向かった。乗り手がいればその速度は落ちるものの、龍の最高飛行速度は六十キロ近くまで及ぶ。馬の駆歩くほ三十キロとは差があった。


 仕方のないことだった。人を乗せての飛行は十キロ程度が限界だ。残りは走った。急な集まりで飛行した龍に往復する体力はない。馬でも全速力の襲歩しゅうほなら八十キロはでる。しかしそれでは五分走るのが限度のため、駆歩で戻るしかなかった。空で直線的な進路を取れる龍と違い、地上を行く馬では蛇行や上り下りもある。領土の大半が森林である森羅においてはなおさらだ。


 ひとり部屋で座す須佐ノ坊は気がかりだった。


 果たして火狗津知かぐつちが現れるか否か。


 馬に揺られて失った水分、取り戻すために茶へと手を伸ばす。一気に飲み干す。喉の渇き――緊張しているようだ。


 約束はした。茶もふたつ用意された。


 しかし相手の、六百歳の半ばを迎える天狗は平河ひらかわとの貿易ぼうえきを仲介する職務に就いている。


 騒動は、間違いなく彼の業務へ影響を与えているだろう。咲耶さくやの噂がどのように広まっているかわからない。だが、収拾しゅうしゅうをつけるために動き回っているに違いない。


 姿を見せない可能性が十分にあった。


 話すつもりがあったからこそを茶を用意させた。しかしどうしても忙しくて行けない。そんな意図があるのではないか。


 別の懸念もあった。


 重い雲がく。


 火狗津知かぐつちは、戦のはじまりを経験している世代の天狗だ。


 長く戦禍せんかに置かれ、剣を交えてきた者にだけ見える景色というものが存在する。経験がどのように内在ないざいするかは個々による。故に彼も要職ようしょくを任されているわけだが、須佐ノ坊は、そのしたたかで強気な姿勢が苦手だった。


 なにを思っているのか、単純に捉えにくいのだ。


 火狗津知にも確認したいことはあった。


 しかし本命は別にいる。


 まず彼の許可を得なければならないというのもまた、須佐ノ坊の気持ちに暗澹あんたんたる気持ちをつのらせていた。


 ――次期君主の死にざまを火狗津知が知らないのが救いだ。


 須佐ノ坊はそう、心のなかで呟いた。


 知っていれば道徳どうとくが邪魔をする。槍の壁ができる。するどい敵意がきだしになる。故に、平河との仲介役にそもそも選ばられるはずはないのだが。


「足労だな」


 気持ちを落ち着かせるために目をつむっていた須佐ノ坊は、火狗津知の声にそのまぶたを開いた。ひとまずほっとしたのも束の間、入室してきた彼に開口一番言葉を放つ。


「今はとかく、時間が惜しい」


 火狗津知は対座に腰を下ろた。茶をすする。彼は表情ひとつ変えなかった。れる気持ちを抑えて須佐ノ坊は言葉を待った。


「やはり、犯人にこだわるのだな」


 ――『犯人』。


 用件はわかっているということか。


 無論、と須佐ノ坊はこたえた。


 有事の際には須佐ノ坊が指揮をる側に立つ。しかし平時へいじでは同列というのが天狗たちの習いだ。年長者に対して敬意は持つが、皆が対等というのが彼ら本来の考えだった。言葉遣いも単なる性格的な特徴を示すだけのものであったが、徐々にその性質や考えは変化している。特に、若年者に強くでる傾向だ。経験は積もる。過去は体積たいせきを増す。相対的そうたいてきに、今の比率が小さくなる。生き方はみ、変化に反応が薄くなるのだ。


「同胞として、捨て置きがたきことだ。彼女の死は、先の森羅に与える影響も強い。明らかにすることが大事と心得る」


「認知される事実など、所詮しょせん、人によって成すものよ。果たして、明かすことに意味があるのか。ぬしの望む道が、先にあるとも限らぬぞ」


 須佐ノ坊は眉をひそめた。こういうところが苦手なのだ。


「なにを言うておる」


「なにも言うてはおらん。時間が惜しいと申した故、果たして意味があるのかと問うただけだ。誰の仕業か、人間か、はたまた天狗の仕業かもわからぬ現場であったというのが話を聞いたわたしの印象だ。森羅の西深く、鬼や小鬼が紛れ込んでおるとは思えぬ。この見立てに、ぬしも相違あるまい」

「だからこそ調べているのだ。どちらともつかぬ状況だが、人間の仕業と考えている者が大勢たいせいを占めている。ままでは同盟破棄の流れ強く、再び西が戦禍に見舞われるおそれが強い」


 火狗津知の言葉に、須佐ノ坊は耳を疑った。


 ――やはりそうか。


 彼はそうつぶやいたのだ。須佐ノ坊は対座の天狗をめた。


「やはり、とは?……そなたは先に、『天狗の仕業かもわからぬ』と申したな」


 相変わらず落ち着き払い、火狗津知は答えた。


「それがなにか?」


「珍しい考えだ」


「事実など、人のそれによると申したであろう。先入した観念かんねんあれば、容易にゆがむのが事実というものだ」


 つまりは、事実と表にあらわれているものが違うということか。


 ならば、人間の仕業ではなく犯人は天狗――。


 しかし、と須佐ノ坊は自身の考えを即座に打ち消した。


 せないのだ。


『やはりそうか』。彼はそう言った。『やはり』とは見立てが含まれる言葉であり、先の呟きはなげきに近い。火狗津知が天狗の仕業と知っていて人間が犯人だということを否定したいのなら、そう言えばいい。


 なぜ曖昧な言葉を使うのか――。


 仮に、と火狗津知は言った。

「先にぬしが申したように、人間の仕業とすれば同盟は即時破棄に向かうであろう。つまり、戦火が広がることは必至だ。ぬしはそれを回避するために調べていると、そう申しておるようにわたしには聞こえる。ならば、明かして人間の仕業だったならばどうする。ふたをしたまま、ぬしが箱を色付けすればよい。それで十分、外観は整うであろう」


 本当は、人間の仕業と知っているということか。


 平河の人間が犯人。


 だが言えば戦になる。


 ならばして天狗のせいにする。曖昧あいまいにする。けっすることを防ぐ。それが戦を回避する手段。そう考えているのか。


 別の話だ、と須佐ノ坊はきっぱりとした口調で言った。


「人間の本質が悪しきものならば、手を取るべき相手ではない」


 須佐ノ坊がそう返すと、視線を交わすふたりの間に沈黙が腰をおろした。対峙したまま互いを注視する。


 しかしその眼は対照的だ。鋭い視線の須佐ノ坊に対し、火狗津知は依然として落ち着き払い、どこか達観たっかんした眼をしていた。


 火狗津知が短く、深い息をついた。


「……すべての人間が同じとは限らん。そう言うたところで、意味を成さぬのであろうな」


 須佐ノ坊は顎を引いた。

「では、門女もんめと言ったか。彼女と話す許しをもらえるのだな?」


 頷いた火狗津知が、入口に目を向けた。須佐ノ坊は制す。


「いや、待て。そなたに見てもらいたいものがある」


 これだ、と言って須佐ノ坊はふところから鉱石の粒を取りだした。


黒翠こくすいか」


 失礼する、と火狗津知が手に取った。かかげて覗き込む。

「……それも、かなりの上物だ」


「相違ないか」


 火狗津知は失笑した。

「わたしが、いくつ同じ鉱物を見てきたと思う。たしかに、この地方では珍しいものだ。だが、この色合いは黒翠に相違ない。混じりがなく、純度も高い。切断も職人の技巧が伺える。これほどの物は、そうそう目にかかれるものではないな……。わたしが欲しいぐらいだ」


「そうか」


 見せた黒翠は、咲耶の遺体近くに落ちていた。火狗津知が仕入れ、誰かに売ったとすれば話が早い。そう思ったのだが――。


 残念だが、と火狗津知は言った。

「これほどの物、手にしていたら忘れるはずがない。さらに言えば、わたしなら売ったりはせぬであろう。手元に置いておく」


 ――なぜ。


 須佐ノ坊に疑心ぎしんさえぎった。


 火狗津知が口を開く。

「持ち主を探しているとは言っていない」


 彼の言葉に、そうだ、と須佐ノ坊は答えた。


「ぬしが、それと知らずにこの鉱物を手にしていたとは考え難い。ならば、わたしになにを問いたいか。商いで扱う者として、所有していた者を知らないか。推論が間違っていたとは、もう言えぬ」


 須佐ノ坊は静かに顎を引いた。鉱石の粒を受け取り、懐にしまう。持ち主はわからない。しかし得たものはあった。


 この黒翠の持ち主は、かなりの地位を築いている人物ということだ。


「もうよいか」

「ああ」

「では、入りなさい」


 彼の一言で、女性の天狗が現れた。須佐ノ坊は小さく驚く。


 入ってきたのは、案内を受けた、黒髪で髪の長い女性だった。


 先に観察されていたということだろう。


 だから火狗津知は、茶が冷めきっていることに眉ひとつ動かさなかったのだ。


「わたしは外そう」

 そう言って火狗津知は席を立った。


 だが、須佐ノ坊には彼の考えがわからなかった。彼が人間の肩を持っているようにはみえた。しかしそれがわざとかどうかと問われれば、はっきりしない。今のやり取りで、火狗津知はなにを得ようとしていたのか。はたまた、狙いなどないのか。


 いや、なにも思惑がなかったとは考え難い――。


「……あの……」


「ああ、すまぬ。そなたを呼んだ理由は、存じておるな?」 

「はい。咲耶様のことで、わたくしに確認したいことがあると聞き及んでいます」

 須佐ノ坊は頷いた。

「あの日――咲耶が亡くなった前日、わたしは人間たちや咲耶と一緒に本殿ほんでんを出立した。そうして夕刻、ここ西蘭せいらんに到着し、一泊してから彼らを国境付近まで送り届けた。帰ってひと息つき、咲耶と会う約束をしていたわたしがこの家を訪れたのが昼と夕刻の間だ。相違ないな?」


「はい、間違いありません」


「咲耶が人間たちに同行したのは、ここ西蘭までだ」


 沙女の迎えを主の目的として願ってきたため、危険を減らすために須佐ノ坊は咲耶を西蘭にとどめた。


 無論、このとき考えていた危険とは、咲耶が人間に危害を加えるという危険だ。


 彼女が内にいれば緊張は解けない。だが、外から単独でなにかをするのは無理がある。故に、前日別れてから彼女の行動を彼は知らなかった。


「わたしと人間たちがこの地を出立してから、わたしが戻って来るまでの間、彼女に会いに来た天狗はあったか」


「いえ、おりません」


 そう答え、彼女は静かに視線をらした。


 須佐ノ坊は胸をなでおろす。


 火狗津知と違い、考えがやすい。優しく言った。


「嘘ではないが、なにか思うところがあるのだな」


 門女は目をおよがせた。喉仏のどぼとけが上下する。


 はい、と彼女は答えた。


 口がかわいている証であり、緊張しているのだろう。


 目上の者と話すことに気を張っているのか、はたまた別に頭をよぎることがあるのか。


 こうも表れるのは、男女の違いもあるのだろう。


「咲耶様のほうから会いに行った人物は、いらっしゃるかもしれません」


 彼女の言葉に、須佐ノ坊は眉をくもらせた。


「彼女のほうから会いに行った人物……。な事を。咲耶の知り合いなど、この地にはおらぬはずだが」

「あ、いえ……。申し訳ありません。きっと、わたくしの思い違いです。忘れてください」

 ここで話を中断されてはたまらない。須佐ノ坊は訂正した。

「いや、失礼した。なぜそう思うたのか、お聞かせ願おう」


 彼女は一呼吸置いて、視線を左上に外した。唇を舐めてから口を開く。


「……咲耶様は、須佐ノ坊様たちが出立した後に、お出掛けになっております。しかし預かる身でしたが、わたくしは行先を問うことができなかったのです。顔を合わせたときの咲耶様の笑みが、暗に『くな』とおっしゃっていたように感じたからです。実は、咲耶様は前日――ご到着になった日もお出掛けになっているのです」


 そのとき咲耶は、町を見て回るだけだと答えたらしい。この地に咲耶の知り合いはいない。ならば見知らぬ土地を見て回ることも不思議ではない。見たことのない景色は気になるものだ。また東との違いが見つかれば、なにか活かせることがあるかもしれない。邪馬台との停戦は一時的なものだ。


 門女も同じように考えたか、案内をしようかと提案したが断られたらしい。誰かの案内を受けたほうが有効に思えるが、有りのままの姿を視察して気になる点を後から質問するのも悪くないだろう。


 ただ――。


「咲耶様は、月魔様の直下ちょっかで指揮をられている御方おかた執拗しつように御用聞きしては不躾ぶしつけにあたり、火狗津知様にご迷惑をお掛けしてはいけないと深くはお聞きしませんでしたが、単にどこかを訪れるだけなら口を閉ざす必要はないかと……」


 彼女の言う通りだ。


 町の様子を見て回るだけならそう言えばいい。


 連日同じ答えをすることに不自然さを覚えたのなら、咲耶になにか思うところがあったということになる。


 この点が門女も気になったのだ。しかし月魔と摩擦まさつを生む可能性があるため、問いただすことができなかったのだろう。賢明な判断といえる。黒翠をはじめ、東の特産物の仕入れに支障がでれば、貿易に与える影響は大きい。


 無論、訊くな、と感じたのが門女の思い違いということはある。しかし行先を告げずに出ていき、咲耶は帰らぬ人となった。さらに言えば、前日出かけていった彼女は帰りがかなり遅かったらしい。二日間の行動は確認しておく必要がある。


「では、遺体発見時の状況をお聞かせ願おう」


 あの……、と彼女は遠慮がちに口を開いた。


「須佐ノ坊様のお使いの御方に、すでにお話してあるはずですが……」


「存じておる。なにか見落としていることがあるやもしれぬ故、わたしも直接聴いておきたいのだ」


 わかりました、と彼女は答え、視線を左上に投げてから当時の様子をとつとつと語った。


 それは須佐ノ坊が既知のものと同じであったが、果たして気になる点がひとつあった。門女に問う。


「遺体の近くに、なにか気になるものはあったか」


 遺体の近く……、と繰り返した門女が視線を外して右上のそらをみる。


 彼女が目を戻した。

「いえ、なかったと思いますが……」


「そうか……。そしてそれからすぐに、屋敷に戻ってきたのだな?」

 遺体発見当日、門女に報告を受け、彼女に部下を呼ぶように言いつけてから須佐ノ坊は現場に向かっていた。


「……ええ、そうです」

 と言う彼女は眼を逸らした。


「……わかった。ほかに、なにか気になることはあるか」


 いえ、と答える門女は再び軽く目を背けた。もう一度須佐ノ坊は念を押して確認する。特にありません、と力強く見返して言う前に、彼女が軽く唇を舐めたのを見逃さない。


 彼女は嘘をついている。


 しかし二度の問いを門女は否定した。


 今問い詰めても言う気はないだろう。


「協力に感謝する」


 須佐ノ坊の言葉に再び視線を外した彼女は、深く頭を下げた。

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