第7話 展望

 銀髪の彼はゆったりと間を持った。人は態度に内心をみる。如何いかにも余裕があると示すことは重要だ。


 先の会議、流れは頃合い。


「若いが、百六十歳。十分な教養が備わっていることは知っている。戦乱の世に生まれたその人生、濃度が色濃いことは認めるべきだとわたしも思う」


 命丸みことまるはあえて、会議における自らの発言を否定した。


 心理は見えない。故に、奥に眠っているものが真実に違いない。そう人は誤認する。

 建前をみた。裏を得た。だから本音に違いない。これは信じていい――そう、脳がささやくのだ。


 良質な関係の、第一歩の出来上がりというわけだ。


「では、先の議会におけるげんは、方便と申すか」


 対峙している老齢の天狗が言った。

 単刀直入――。


 だからといって、彼の思考が単純というわけではない。他国の動き、自国の展望、それらを秤に乗せ、聞いてきているに違いない。情勢について話し、また継承問題の探りも入れてきているのだろう。


 硬質な表情で、そうとも言える、と命丸は返した。


 信頼は、波長の合う者に寄せられる。硬質には硬質を。


 ――表情、言動、態度――似ている者は同志に違いない。近しい可能性が高い。ならば、話してみる価値はある。そんな無言の会話があればこそ、話し合いができるのだ。


「しかし我らの目は森羅しんら全土に配すべきだ。慶天けいてん殿は、どう見る」


 黙り込む相手をみて、命丸は滞りなく事が運んでいることを確信した。


 この中央議会で二番目に年嵩としかさの天狗は、老齢の割に素直である。重ねた年月は蓄積された経験に他ならない。特にこの四百年余りは争乱の世だ。中央議会に席があるほどの地位、築くまでには否でも応でも種々の事柄を見聞きしているだろう。数多の色が混ざり合い、純粋な水というわけにはいかない。そのなかにあって素直というのは、なかなかできるものではない。


 故に皆の信頼を得ているわけだが、素直は剣として使うに限ると命丸は考える。盾に回せば弱い武器だ。


 つまり、それとなく使い道を誘導してやればよい。


 慶天は唸った。

「皆の意見を汲む心あらば、若すぎるという胸奥きょうおうのぞけるというわけか」


 命丸は表情を崩さず頷いた。


 継承問題に、咲耶の死が関係しているか――。


 ――詰まる所、慶天がいずれの結論に達していようとも関係がない。


「事実と目に映るものが、同じとは限らない」


 真剣な眼差しで、穏やかな口調は崩さない。声の調子を落とした。


「他言無用願いたい。本音を言えば、陽迦ようか様と月魔様、どちらも君主の資質を備えているとわたしは考えている。しかし、どちらの君主が率いるかによって、森羅が歩む道はまったく異なるものとなる。世が泰平たいへいならば、わたしは間違いなく太子たいしす。若すぎるなどという世間の目は、結果を示せばいくらでも変えることができる」


 答えは自ら導きだしてこそ芯を持つ。つまりそう思わせることが重要で、すべてをこちらが言ってはならない。焦りは禁物だ。


 慶天に考える間を与えた。


 深層が作られたものであろうとも、表在している結果は同じ。


 そう示唆しさすることで、結果に目が向く。大衆たいしゅうを考える。真相がどうあろうとも、皆の意見を聴く。進む道を濁りなく見つめる。それがこの老齢天狗の素直さだ。


 過去は変わらない。結果はでている。ならば、どう汲み、注ぐか。次を考えるのだ。こちらが突き、気づかぬうちに盾として使わされていたと思わぬままに――。


 澄んだ瞳であろうとするが故に、目が濁るのだ。


「……されど争乱の世、悠長ゆうちょうなことは言っておられぬというわけか……」


 頷きで深い同意を示した。態度に現れては台無しだ。

「時世の問題なのだ」

「……邪馬台やまたい森羅しんらは、はじまりの戦から今日にいたるまで戦を続け、じりひんの現状は月魔様によって成る。しかしこの状況が月魔様の実力によるものかというと、答えは否。東の一帯しか率いることができないことが問題であり、国で当たれば打破することが可能。他国の情勢じょうせいかんがみれば、今、か」


 たった一言。


 それで言わんとしていることを汲み取るあたり、慶天もさすがだ。


 故に慢心まんしんして判断を誤るわけだが、黙して悟らせるためには、相手の聡明そうめいさと、それに対する信頼をこちらが持つことが欠かせない。


 そして相手の意見を後押しするように、新たな情報を提供する。


 今、慶天の頭に継承問題はない。


 考えても無意味だからだ。


 これからの国をどうするか、その一点に絞っているだろう。


「邪馬台との戦に終止符を打ち、国土を広げれば、単独で阿毘あびや東の三国と渡り合うことができるようになる。この意味は大きい。仮に平河や寒河との同盟が切れても、大した問題とならずに済むようになるのだからな。争う術を身につければ、他国もおいそれと我らに手だしはできない。平らかな世に繋がっていくとは思わぬか。少なくとも、森羅は一歩近づくことができる。そしてこのいしずえを築くためには時をついやす。安定を伴う頃には、月魔様もお歳を召しているだろう」


 命丸は、あえて黙った。


 脳が言葉を呑み込む、その時間を与えるためだ。


 相手の性格を読み、わざと嫌う言葉で刺激する。月魔のおとろえを勘定にいれるなど、侮辱ぶじょくに他ならない。


 心を割って話した。信頼しているからだ。そう、思わせるのだ。そして歩み寄る姿勢を示す。


「そこまで考えるのは不忠と思われるかもしれないが、わたしたちは先を考えねばならないのだ」


 考え込む慶天を残し、命丸は結論を求めずその場を辞した。


 時代は、などといっても、森羅の歴史において直系の長子ちょうし以外の者が君主を継いだ例はみない。しかし慶天ならば、咲耶の死による影響にも考えが及んでいるはずだ。『目は森羅全土に配すべき』という言葉で、脳裏は刺激してある。情勢に目が向くように仕向け、あえてまた継承問題を口にする。その行ったり来たりが、彼の結論に一本の道筋を立てるのだ。


 これからを望む彼が、過去になかったからなどという不合理を選ぶわけがない。


 いくつかの戦場で起きた人間たちの不義な行いは、周知にある。不信を抱いた森羅の天狗たちは、はじまりの戦を人間たちが引き起こしたという事実が頭に過っていることだろう。そうでなくとも、人間というものが別の種であることを強く意識していることは間違いない。慶天ならば、同じ結論にたどり着く――。


 命丸は帰りすがら、慶天のそばにいる天狗たちとも対話した。説くのではなく、対話だ。相手の考えを引きだし、こちらの考えを述べる。結論はださない。しかしそれとなく、それでいて明らかに月魔の君主継承こそが妥当だと思わせるように暗示した。

 慶天は広く聞く耳をもつ。周囲の意向も確認してから結論をだすのが彼だ。


 命丸の言葉には、虚実が混ざっていた。巧みに真実を練り込まれた嘘という実の味は、熟達した者でもその違和感に気づくのは難しい。

 彼の展望に嘘はない。だが、阿毘あびの目が東に向いているといっても、完全に北のうれいが無くなったわけではなかった。東の邪馬台やまたいを攻めれば、好機とばかりに北にいる阿毘が森羅を狙う可能性は十分にある。森羅が三国同盟によって阿毘の侵攻を阻止できているのは事実であり、平河ひらかわ陵辱りょうじょくを犯していて同盟を破棄したものと考えているのなら、阿毘に攻め込まれれば即時背を討たれるだろう。その場合、北の阿毘に攻め込まれ、東の邪馬台も敵に回し、西にいる平河が背後に襲い掛かり、平河と同盟国の寒河も相手しなければならなくなるということだ。


 また森羅が先陣をきっても後が続くとは限らない。


 他国に囲まれるのは最悪の想定だが、そこまでいかなくとも、いたずらに国力を失うだけということは十分に考えられた。


 激しく争っているといっても、それこそ森羅全土でみれば、東は、という水準に過ぎない。今度の作戦で邪馬台を攻めるのならば、相応そうおうの国力を注ぐ必要がある。それは食物や人、金銭など、様々な面で資源を失うということだ。確かに邪馬台は北に備えている。今森羅と戦を起こそうなどとは思っていないだろう。だが、西が手薄とは限らない。いた労力の見返り、その保証はない。


 彼が危険を冒して戦を起こそうとするのには、無論、国のために、という思いがあった。


 だが根底からそうかと問われれば、まったく違う。


 まさに、ここにも虚実が混ざっていた。


 命丸が戦を求めるのは、自らのためであった。


 生がある限り、存在価値が必要だ。


 そんな想いに彼は支配されていた。天狗が長寿であるからこそ命丸にとってそれはより重大な問題であり、無視できない感情だった。


 長い人生を生きるためには意味が必要で、価値が無ければ生きている意味がない。彼にとって無価値の自分と向き合う時間ほど苦痛なものはなく、それは光を見出すことのできない闇のなかで彷徨さまよい歩きつづける行為に等しい。


 しかし人として生を受けた以上、死を求めることなど彼にはできなかった。


 命丸の存在価値は、常々戦で示されてきた。


 つまり、戦が無くなっては困るのだ。

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