第6話 誰が殺した
「これで証明された。知性を備えての行動ならば、やはりやつらは獣にも
「だから申したのだ。即刻、同盟など破棄すべきにある。いや、むしろ破棄されたものとみるべきか」
彼女は下半身の衣服がはぎ取られたように近くへ打ち捨てられ、うえの衣服も大部分が破かれて乳房も露出しているような状態で発見された。股が少し開いたかたちで
また近くの道には彼女の身につけていた物が落ちていた。
黒翠は
彼女は、道から少し入った茂みに横たわっていた。しかし首飾りが落ちていたことで早期の発見につながったというのが発見者の話だ。
彼女の遺体は、四百五十二年前に殺された、次期君主のそれと
だが違う点もあった。
次期君主の首には痕があり、
しかし咲耶は胸に短剣が突き立てられていた。首に
さらに遺体には気になる点があった。
月魔が去った後、発見直後に検分させていた部下に報告を受けた。明らかになったことがあったのだ。当初は須佐ノ坊も現場に来て死体を見ており、彼も求めなかったことから、部下は検視の結果を言うようなことはしなかった。しかし後日須佐ノ坊が見落としている可能性に気づき、気になって報告してきたというわけだ。
また死にざまが伏せられている次期君主と異なり、咲耶が発見されたときの状態は周知の出来事となっていた。半生紀前、彼女が
そうならなかったのは、次期君主の
しかし屈強で有能な戦士とはいえ、次期君主と彼女ではやはり扱いが違った。咲耶の女性としての誇りは無視されているようだ。感情の
世情も違う。各国領土を広げた。人口を増やし、力がすでに
「いや」
と否定する声に、須佐ノ坊の思考は中断された。二番目に
「
第一、と場で若年の天狗が言った。
「人間の仕業だとは決まっておりません」
須佐ノ坊は、実は現場で気になるものを発見していた。首飾りのほかに、整えられた黒翠の粒が彼女の
そう思い、彼は口を閉ざしていた。
若年の天狗の発言に、年長の天狗が強く反応を示した。
「我らを
「わたくしは、『人間の仕業だと決まったわけではない』と言ったまでです。天狗がやったなどとは申しておりませんよ」
人は鏡だな、と思った。
反論、口調、態度――無意識に応える。表われる。証拠に――。
「勝手に天狗と断言するなど、あなたこそ発言に気を付けるべきでは?」
と彼は言った。挑発だ。
須佐ノ坊は間を取り持ちたかったが、できない。事は自身の
油断があった。気を許しはじめていた。信頼を手にしていた。
責められて当然であり、むしろ望んでいる。人間を見誤ったと、脳の一部が
だが彼は、進んで
自ら告白して苦しみから解放されようなどとは甘えに過ぎない。追及されなければ後悔の海に
「須佐ノ坊殿の管轄で起こった出来事。あなたは、どう見る」
心情を察したわけではないだろう。必要な確認事項、とでも言うように銀髪の天狗が問うてきた。
須佐ノ坊は、彼が人間の仕業だと考えているような気がした。
いや、彼だけではない。
場の空気がそう言っている。須佐ノ坊自身、その可能性を強く頭に描いていた。
しかし、と思う。
発見時と違い、理性が
雰囲気や思考に
「同盟に対する反対の声強く、わたしは同行するにあたり、人間が危害を受けることばかり
ふん、と鼻を鳴らす年長の天狗をよそに須佐ノ坊はつづけた。
「その見方に誤りがあったこと、認めねばならぬ。彼らが去り、息をついて気を緩めたのも事実。
と言葉を継いだ。
「先に申した通り、人間の仕業だと決定づける
首飾り以外の黒翠が落ちていたことは言わず、検分で明らかになった不可解な点を須佐ノ坊は口にした。
「――遺体が、陵辱を受けていたかも不明だ」
瞬時に、眉を顰める者の視線や開かれた眼が、須佐ノ坊の一身に注がれた。
「発見直後に検分した結果だ。このような場で口にすること
人間と天狗の間に子どもができることは、皆が知っていた。
沙女が『
当然だ、と年長の天狗が言った。
「人間に欲情するほうがどうかしておる」
彼も、沙女に嫌悪を抱いている口なのだろう。
「逆もなかった、ということですね」
若年の天狗が
「馬鹿な」
年長の天狗が吐き捨てるように言った。
「なにもせず、辱めの姿だけを
「生前の彼女を最後に見た者の
須佐ノ坊は彼女を預けた家を訪れ、待ち合わせの時間からしばらく咲耶を待った。部屋にいる間、人が行き来する物音も何度か聞いた。三度だったと記憶している。
「家の者が戻ってからわたしが駆けつけたとき、彼女はまだ硬直していなかった。そして改めて検分した部下が到着するまで、それほど時間は経っておらぬ」
「
若年の天狗が、須佐ノ坊の言わんとしていることを汲み取った。
「いずれにせよ、沙女様の御帰国は、中止にせざるを得まい」
二番目に年長の天狗がそう言った。
「無論」
と須佐ノ坊は答えた。
誰が咲耶を殺したかはわからない。
しかし人間の仕業だと考えている者が大半を占めている。須佐ノ坊も疑っているのだ。そんな状態で彼らが来れば、なにが起こるかわからない。膨張した理論が拡大した思想を生み、沙女に危害が及ぶ危険さえある。
だが、誰が彼女を殺したのか。
黒翠は、森羅特有の鉱物だ。
エルフの仕業か。さらに邪馬台よりの地方――月魔が治めている一帯が産地にあたる。
しかし月魔派の仕業と考えるのは、理解が及ばない。
咲耶は、月魔の刃だったのだ。
ならば継承問題が浮上している今、君主の権力を
希少な特産とはいえ、黒翠も出回っている。陽光派が、月魔派の仕業と思わせるために黒翠を落とした。そう考えれば道理がつく。
しかし現場は国境付近。
人間との貿易も行われている。彼らへの疑いを外す理由もない――。
結論をだすには足りない。
そう思考を整理する
「これで決まりですね」
銀髪の天狗が言った。
「次の君主は月魔様。もはや異論はないだろう」
――やはりきたか。
嫌な予感、その一つ目が的中した。先日なされた議会の内容から、この流れは予想できた。
須佐ノ坊は冷静を崩さず反論する。
「それでは、邪馬台へ攻め込むという話が白紙になる。同盟があるからこそ、背を気にせず戦が行えるのだ」
「それは彼らが、同盟をないものと認めた場合のことだ。
銀髪の天狗は須佐ノ坊を
「それともなにか、人間の仕業だという証拠があるとでも?」
嫌な流れだ、と須佐ノ坊は思った。
――流れ、か。思想の動き。築くために咲耶を殺したとすれば頃合いだ。
そして彼は『証拠』と言った。
「あるのならば、わたしが提示してほしいくらいだ」
須佐ノ坊は答えた。それに、と加える。
「君主は
「いや」
と二番目に年嵩の天狗が痛いところを突いてきた。
須佐ノ坊にもこの言い訳が苦しいことはわかっていた。
「君主は病に伏せ、指揮を
やはり逃げられない。
慶天の意見に彼も心のうちでは同意だった。
客観するなら慶天は中立。
今までの発言を並べ、そうみるべきだと須佐ノ坊は判断した。
「証、証、と言うならば――」
と続く者がいる。
年長の天狗だ。まるで水を得た魚のように口を開く。
「月魔様が継承して邪馬台へ攻め込み、我らの背に人間どもが戦を仕掛けてくるのならば、それこそ咲耶を殺したという証だ。こちらが同盟破棄を口にしておらぬのに、向こうがそう思っているということは、やつらが陵辱を
強引な意見、継承と殺人を力づくで結んだように思える。だが、結果が伴えば証となるのも事実だった。
反論しても意味はないだろう。
銀髪の天狗が訊いてきた。
「あなたはかつての
すれ違いざま、月魔に危うさを感じ取った。印象でしかない。しかし確かなものがあった。
だが、口にしても立場を悪くするだけで効果はないだろう。
「反対はしている。しかし
「それは、同盟がなくても同じことではないですか」
若年の天狗が言った。
彼こそ中立に物事を見ているのかもしれない、と目を向ける。
「
「いや違う。たしかに、鬼たちの進行に対してはそうだろう。だが、平河と同盟を破棄すれば、
年長の天狗は鼻をならした。
「だから元々同盟など組むべきではなかったと言っておるのだ。そうすれば、平河の進行を勝手に寒河が牽制していたのだからな」
彼をちらりと見た若年の天狗が、話を戻す。
「同盟破棄が難しいことはわかりました。しかし、人間の仕業だとして、なぜ今になって?怒りに任せて同盟を破棄させ、今描いてみせた構図を現実のものとし、我らの領土に踏み入ろうとしているとでも?」
その可能性はあった。
寒河と平河が密かに示し合わせ、森羅をはめる構図というわけだ。
だがやはり危険がある。阿毘の勢いが強いからこそ、三国で盟を結ぶことになったのだ。
仮に森羅が消滅したとして、その国土は平河のみではなく、阿毘にも奪われるだろう。
それでも、二国で守れるというのか――。
「決まっている。本性だ。やつらの繁殖力をみればわかるだろう」
「それでは、行為の痕跡がなかったことに説明がつきません」
「知ったことか。なかにはそういう人間もおるということだろう。あるいはかまわず襲ったものの、まったく欲情しなかったかだ」
「わたしは彼らと言葉を交わしたこともありますが、とてもそのような生物には見えませんでしたが……」
本性――。
そう問われると、人間の本性は須佐ノ坊にもわからない。
「これだから、おぬしはまだ若輩だと言われるのだ。やつらの本性をまったく解しておらん。なぜ戦がはじまった?やつらのせいだ。我らはそのときを生きている。おぬしは、現実をしらんのだ。儂は、咲耶にも忠告をしてやっていたのに――」
やはり、と鋭い眼を向けそうになった自分を、寸でのところで須佐ノ坊は
年長の天狗は、前回の議会が行われる
亡くなった次期君主が陵辱されていたという
だから咲耶が人間を認めるような発言をしたことに、彼は過剰な反応を示したのだ。
事前に言葉を交わし、その内容から確証を得ていた。彼女が人間を否定し、月魔が君主となる確固たる予想図を持っていた。しかし
人間を嫌悪すべき存在だと主張するに違いないと確信し、彼女の言葉を決定打として選んだ。
その読みが外れて顔に表れたわけだが、しかしそうなると、『彼らには知性があります』と言った咲耶の発言が
「忠告?どんな忠告を?」
若年の天狗が疑問を口にした。殺された陽光と月魔の姉が犯されていたというのは伏せられている。彼は知らなくて当然だ。
「……同胞が敗戦場で陵辱を受けた話ぐらい、おぬしも聞いたことがあるだろう」
歯切れ悪く年長の天狗はそう答え、つづけた。
「とにかく、やつらは
このままでは、かつての時期君主が陵辱を受けていたことも
「人間についての議論は、現状で結論をだすこと
彼の言葉を、須佐ノ坊殿、と銀髪の天狗が
「
思うところはあった。気がかりの二つ目だ。
だが――。
「どういう意味かな?」
とあえて須佐ノ坊は問うた。
「あなたなら、わかっているはずだ」
彼の言う通りだった。
須佐ノ坊にはわかっていた。
銀髪の天狗は、
継承問題が長引けば、強行的な手段を選ぶ者が現れるかもしれない。
陽迦を亡き者にして、強制的に月魔を君主とする方法だ。
沙女に対して不穏な空気が流れていることから、時間の経過とともに、
誰が殺した。
「しばし、時間を頂けぬか」
結局、こう言って提案することしか須佐ノ坊に残された道はなかった
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