第5話 遺体

 安置所の精巧せいこうな石壁は膚色はだいろで、光沢を放っていた。壁と同じ材質で造られている冷たい台座に月魔が歩み寄っていく。採光の窓は小さい。普段は薄暗くて物悲しい部屋だが、今は違った。月魔が来訪するとあって、四方の燭台しょくだいにやわらかな火がともっている。台座のうえでふくらみを作っている白い布を、彼は真ん中あたりだけ少しめくった。


 白い肌が見えた。傷ひとつない。血の気を失ってなお、奇麗な腕と思わせる。戦にまみれようとも、彼女は女性なのだ。その認識が胸をつかんだ。


 月魔が手を重ねた。冷えた手から、彼はなにを感じ取っているのだろうか。須佐ノ坊にはわからなかった。


 月魔は布を戻し、顔だけみえるようにした後で、横たわる咲耶さくやをじっと見つめた。


 静寂せいじゃくだった。


「もうよい」


 はっとした。


「もう、宜しいので……?」


 須佐ノ坊は疑問を口にした。


 月魔は、彼女の腕と顔しか見ていない。全身を確かめたわけではない。月魔の声は、普段と変わらぬように聞こえる。感情の起伏きふくをつかむことも許さない。そんな調子だ。


「ああ」


 と答える月魔の本音はどこにあるのか。彼は遠慮がちに言ってみた。


「やはりわたくしは、外でお待ち致しましょうか」

「いや、いい」


 ぴしゃりと言いきる月魔を、須佐ノ坊は解すことができなかった。


 なぜ月魔は、彼女の姿を確認しようとしないのか。それが彼女に、さらなる屈辱くつじょくを与える行為だと思っているのか。月魔は、どのような状態で彼女が発見されたかすでに報告を受けているはずだ。納得できたのか。感情は動かなかったのか。微塵みじんも――。


 いや、と胸のうちでかぶりを振った。


 仮にそうでも、彼なら報告を鵜呑うのみにはしないだろう。その目で観察しなければ納得できないこともあるに違いない。


 ならば、彼がそれをしないとは考えにくい。咲耶も、他ならぬ月魔ならば全身を見られても許すだろう。あれほど親しく想っていたのだ。慧眼けいがんの月魔が、彼女の気持ちに気づいていなかったとも思えない。


 そこまで考えて、須佐ノ坊は誤ちに気がついた。


 彼女にとって、月魔にこそ見られたくない姿なのだ。月魔も、咲耶の想いに応えたのかもしれない。隠しているが、男児に比べて女性の天狗は情動じょうどうの動きが強い。


 以前はそうらしいという程度の認識だった。今は確信している。服が破かれて大部分の素肌が露出された彼女の顔に、雨に消される前、涙のわだちが残っていたことを思いだす。


「なにが最良だ」


「はっ――」

 と須佐ノ坊は反射的に答えた。自然、疑問の響きが混ざる。不意の質問だ。月魔が意見を求めることは稀で、質問というよりは、呟きに近かったかもしれない。


「彼女は今、なにを望んでいる」


 喉が絞まった。胸がつかえる。重い。自問に反応したことで、月魔は問うてきたのかもしれない。


 咲耶から目を離さない月魔の背が、なぜだか悲しげに映った。


 彼が姉の死に直面したときには、決して見ることのなかった背中だ。


 ふたりの死にざまは似ているが、あの時は彼に、悲しみの姿を認めることはなかった。深海の光届かぬ怒り――それが全てに見えた。


 須佐ノ坊は観念した。思うところを素直に吐きだす。


「月魔様と共に……。きっと、そう望んでおられるかと」


「そうか」


 月魔は短く答えた。振り向いて歩きだす。


 彼はやはり須佐ノ坊に目を振らなかった。出口だけを見つめている。


 瞳がより強固な決意を含んでいた。奥にあるのは彼女の死か。深い悲しみか。


 目に映る彼の姿が、不思議でならなかった。

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