第4話 ある雨の日――追憶と憶測――
なぜこうなったのか。
脳が固まっていた。自失していた。鈍い思考が疑いを深める。憶測が固まり、止めることができない。
彼女は、『彼らには知性がある』と言っていた。
家族の死や戦の血にまみれながら、極めて理性的であった。視野が客観だった。本質を見極めようとしていた。彼女自身が、架け橋となる存在だったはずだ。
彼女は、『彼らは知性を備え、独自の行動理念を持っている』と言っていた。
これが、知性を用いた結果なのか。
ならば断言できる。
彼ら独自の行動理念は、我らとは全く異なるものだ。
咲耶の願いを、須佐ノ坊は受け入れていた。
彼女を連れ、貿易を担っている者の家で待機させた。見舞いに来た人間たちを国境付近まで送り、平河の正室となった
咲耶の同行を、沙女も喜び、支えになるに違いないと踏んだ。
森羅の天狗たちが同盟に賛成していないことは、沙女の耳にも届いるはずだ。君主の見舞いとはいえ、
懸念はあった。
彼女が平河の正妻を迎えるために、須佐ノ坊のいる西の支城まで同行すると言いだしたときには思わず気を
しかしついに、咲耶が暗殺の仲介を頼んでくることはなかった。実行のおそれは常に頭へ置いていた。だが
そこに油断があった。
無事に人間たちを送り届け、沙女を迎え入れるまでの束の間、ほっと息を抜いたのも事実――。
だが、と須佐ノ坊の後悔が反論した。
この結果は想定外だ。予想の
そう思うことが、彼には悔しくてたまらなかった。
気づけば小雨が降っていた。
横たわる女性にかけれらた布が、時間と共に湿り気を帯びていく。濡れた美しい素肌をみても、無論、色気など感じる余地もない。さらさらと落ちゆく細い雨が、やさしく肌に触れていく。
心情と反するそれが、不快で仕方なかった。
水が雫をつくる。静かに落ちていく。
思考が整理されると、半生紀前に起こり、長く血脈をめぐり、時間をかけて沈ませていった感情が目を覚ました。
立ちあがろうとする怒りを、自覚して捉えている。
須佐ノ坊は、そう自身の変化に気がついた。
嫌な雨だ、と思った。無数の雨が視界を埋める。涙の道を消す。痕跡を消していく。次第に強まる雨が、犯人への道筋を消していく。彼はそう感じた。
「月魔様がご到着なさるまで、城の安置所に」
須佐ノ坊は諦めた。布をそっとかぶせる。づづけて命じた。
「咲耶には申し訳ないが、このままの姿で」
本意ではない。だが、できることはしておかなければならない。
部下は静かに頭をさげた。人の最期をその動きにみた。近くの者と静かに示し合わせ、彼女を大八車に乗せて運んでいく。湿った土に、ふくらみのある布を乗せた台車が、線を残して去っていく。
無数の雨がさらに落ちる速度を速め、降り注ぐ粒が強さを増した。土につけられた轍が消えていく。風を切り、葉を敲く音が響いて止まない――。
「御身体に触ります」
部下の声で、再び呆然としていたことに気がついた。脳から空白が去り、ひとつ頷いてその場を後にする。
濡れた身体がやけに重かった。
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