13.家庭菜園の開墾

 ミエト侯爵家に帰ると、ロヴィーサ嬢が畑を開墾していた。手に持った鍬で軽々と土を掘り返す様子は、鬼の力の指輪があるからだろう。

 僕も急いで部屋に戻って爺やに着替えを揃えてもらった。


「畑仕事をするのならば、日除けが大事ですな。長袖のシャツを着て、長ズボンをはいて、帽子も被るのですよ」

「僕じゃないみたい」

「平民のような格好ですが、そちらの方が動きやすいでしょう」


 刺繍の入っていないシャツやズボンを身につけて、帽子も被った僕が庭に出ると、冒険者のときの格好と同じく、踵の低い靴に細身のパンツ、地味なシャツを身につけたロヴィーサ嬢が手を振っている。

 家庭菜園を作る場所に入ると、ロヴィーサ嬢が教えてくれた。


「この畝に種を植えます。蔓が伸びる植物には、支え棒が必要です」

「何の種を植えるのですか?」

「マンドラゴラと書かれていたような……」


 種の入っている袋を僕が確認すると、人参マンドラゴラ、大根マンドラゴラ、南瓜頭犬、トマト猫、キュウリ狐と様々な名前が書いてあった。

 マンドラゴラといえば、魔力を持つ植物の典型だが、この国では栽培されていない。毒も少量ならば薬になる。マンドラゴラは薬にもなるので、使い方を誤らなければこの国でも栽培すればかなりの収入にはなるだろう。


「南瓜の犬、トマトの猫、キュウリの狐……どのように育つか楽しみですね」

「これから夏になりますからね。トマトもキュウリも旬ですよ」


 畑仕事をするのもロヴィーサ嬢と一緒だととても楽しい。

 ロヴィーサ嬢の作った畝に僕は種を植えて行って、水をかけた。

 水をかけるとポンッと芽が出て来る。


「もう芽が出たのですか!?」

「僕は何もしていないのですが……」


 戸惑う僕に近くで見守ってくれていた爺やが僕の手を取る。じっくりと手を見て、爺やは僕に言った。


「エドヴァルド殿下は緑の指をお持ちかもしれない」

「緑の指ですか?」

「魔法の一種で、植物の成長を促し、収穫を増やす能力です」


 僕に魔法の能力が開花した。

 能力自体は派手なものではないが、僕にとってはありがたい。自分で家庭菜園で自分の食べる野菜や果物を作るのだから、緑の指があれば植物の世話は完璧になる。


「そんな素晴らしい能力をエドヴァルド殿下はお持ちなのですね。驚きました」

「僕の食卓を豊かにする能力を持っていたなんて嬉しいです」


 ロヴィーサ嬢と僕は二人で喜び合った。


 晩ご飯も僕はロヴィーサ嬢と一緒に食べる。

 ロヴィーサ嬢は研究課程の帰りにトゥレラグルニという豚のモンスターを狩って来てくれていた。

 トゥレラグルニは巨大な豚で、ひとが飼っている犬や猫を襲って食べたり、農作物を荒らしたりするようなのだ。

 トゥレラグルニの肉は僕のお皿の上に乗っている。


「それはトゥレラグルニの肉を薄く叩いて衣をつけて、チーズを振って、バターで揚げ焼きにしたものです。魔力を帯びたトマトのソースでお召し上がりください」

「いわゆる、トンカツというやつですか?」

「それに近いですが、調理法を少し変えてみました」


 微笑みながら説明してくれるロヴィーサ嬢に、僕はトゥレラグルニの肉にフォークを入れる。バターで揚げ焼きにしているので、とてもいい香りがする。

 トマトソースをつけて食べると蕩けるような美味しさに僕は歓喜の声を上げた。


「とても美味しいです」

「少し遠出をして狩って来た甲斐があります」

「遠出をしたのですか?」


 ロヴィーサ嬢には研究課程の授業があって、モンスター狩りもしていて、庭の家庭菜園の世話もある。あまりにも忙しすぎるのではないかと僕は不安になっていた。


「僕が来たためにロヴィーサ嬢は無理をしていませんか?」

「無理ではありませんよ。わたくしは、鬼の力の指輪を母から受け取ったとき、こんなものが何の役に立つのかと泣きました。それよりも母が生きていてくれた方がずっといいと。ですが、鬼の力の指輪を受け継いだのは、エドヴァルド殿下が我が家に来るためだったのだと確信したのです」


 鬼の力の指輪などいらない。

 お母上に生きていて欲しい。


 その気持ちは僕には痛いほど分かった。

 僕も魔族として生まれたくなどなかった。母上が生きていて、僕が普通の人間であった方がどれだけよかったことか。


「僕も母上を亡くしているので、ロヴィーサ嬢の気持ちが分かる気がします。魔族として暮らしていくのはつらかった。でも、僕はロヴィーサ嬢と出会って、生まれて来て良かったと思えました」


 ロヴィーサ嬢は僕のためにモンスターを狩って来てくれる。

 義務でも嫌々でもなく、喜んで狩ってきてくれるのだ。

 それだけではない。ロヴィーサ嬢は僕のために庭に家庭菜園まで作ってくれようとしている。


 ロヴィーサ嬢と出会って僕は生きていることが楽しくなった。

 ヒルダ姉上とエリアス兄上とエルランド兄上と父上の愛に包まれて、なんとか自分を卑下せずに生きてはこられたが、人生を謳歌していたかと問われれば、そうではないと今は言える。

 ロヴィーサ嬢の前では僕は自然体でいられるのだ。


「パンもトマトソースにつけて召し上がってください。小麦も魔族の国から輸入したもので作った、エドヴァルド殿下のためのパンですよ」


 嬉しそうに言ってくれるロヴィーサ嬢に、僕はパンを千切ってトマトソースにつけて食べる。コクのあるトマトソースがパンの旨味を引き立てる。


「もしかして、ロヴィーサ嬢は、僕の料理を作ってくださっていますか?」


 ずっと聞きたかったことを口にするとロヴィーサ嬢が頬を染める。

 海のように深い青い瞳と白い肌。紅潮した目元が朱鷺色でとても美しい。


「わたくしは、貴族なのに獲物を解体したり、料理をしたりすることが好きなのです。家庭菜園も、ずっとやってみたいと思っておりました。エドヴァルド殿下を口実に、わたくしは自分のやりたいことをやってみているのです」


 僕の食材は常人には毒なので、厳重にマスクをして手袋をしないと扱えない。

 王城にいた頃は、厨房に僕のためだけのスペースが確保されていて、オーブンもコンロも姉上や兄上たちや父上とは別になっていた。


「わたくしは魔族の血を引いているので、実は、味見ができるのです」

「ロヴィーサ嬢は僕の料理を味見してくださっているのですか!?」

「味見をせずに分量だけで厨房の料理人に作らせた料理を、エドヴァルド殿下にお出ししたくなかったのです。それに……胃袋を掴めと……」

「へ?」


 胃袋を掴めとはどういうことなのだろう。

 狩りでモンスターの胃袋を破壊すると倒しやすいということなのだろうか。


「胃袋を掴めとは……?」

「エドヴァルド殿下、言わせないでくださいませ!」


 あ、また背中を叩かれた。

 僕は吹っ飛んで壁にめり込みそうになったけれど、怪我は一切していなかった。

 ロヴィーサ嬢が悲鳴を上げている。


「申し訳ありません、エドヴァルド殿下!? わたくしとしたことが!」

「全く痛くなかったです。ロヴィーサ嬢は照れ屋さんですね」

「恥ずかしくて、つい」


 胃袋を掴むの意味は分からなかったけれど、僕に関することだとは理解できた。

 晩ご飯を食べ終えて、僕はシャワーを浴びて部屋に戻る。

 僕の部屋は二階の奥で、日中は日当たりがよく、風通しがいいので窓を開けていれば夜も涼しく寝られる場所だった。


 パジャマに着替えて高等学校の宿題をしていると、部屋のドアがノックされた。


「はい、どなたですか?」

「私です。ロヴィーサの父です」


 ロヴィーサ嬢のお父上は、ロヴィーサ嬢にミエト侯爵家のことは任せて、離れの棟で静かに暮らしている。

 自分の過ちで所領を失ってしまった負い目があるのだろう。公の場には出て来ることはなかった。


「ロヴィーサがエドヴァルド殿下に乱暴なことをしたと聞きました。どうかロヴィーサを見捨てないでくださいませ」

「ロヴィーサ嬢は照れ屋さんなだけですよ。僕は少しも怪我をしていません」

「鬼の力の指輪を常につけているから……。日常生活では外せとあれだけ言っているのに」

「僕は平気です。ロヴィーサ嬢に吹っ飛ばされても、魔族なので痛くも痒くもありません」


 僕が答えると、ロヴィーサ嬢のお父上は安心したようだった。

 僕は疑問に思っていたことを口にする。


「ロヴィーサ嬢が『胃袋を掴む』と言っていたのですが、意味が分かりますか?」


 僕の問いかけに、ロヴィーサ嬢のお父上は少し笑ったようだった。


「ロヴィーサもエドヴァルド殿下がお好きなようですね。『胃袋を掴む』とは、美味しい食事を提供して、自分の食事以外を食べられなくする、恋のテクニックですよ」


 ロヴィーサ嬢がそんなことを考えていたなんて。

 僕は浮かれて椅子から飛び上がりそうになっていた。


 僕はロヴィーサ嬢に惚れて婚約を申し込んだが、ロヴィーサ嬢も確実に僕に好意を持ってくれている。

 その情報はとても嬉しいものだった。


「爺や、僕はロヴィーサ嬢と両想いだよ」


 ロヴィーサ嬢のお父上が退出してから、僕は爺やに語り掛けた。


「エドヴァルド殿下が幸福に暮らせることのみが、私の幸せで御座います」


 爺やも僕の言葉に嬉しそうにしていた。

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