11.婚約式

 ロヴィーサ嬢が新しいドレスを誂えている。


 元オーケルマン伯爵のお屋敷は、ミエト侯爵家の別荘になることが決まった。

 所領が近かったのでオーケルマン伯爵夫妻はミエト侯爵家の所領を騙し取ろうと虎視眈々と狙っていて、それをロヴィーサ嬢のお母上の葬式の日に実行した。

 そのオーケルマン夫妻も今では爵位を剥奪されて、財産と所領をミエト侯爵家に慰謝料として譲っている。


 白い細身のドレスを着たロヴィーサ嬢の美しさに、僕は見惚れていた。

 僕も白い盛装を誂えたのだが、婚約式はやはり女性が主役なのだと感じさせる。

 華美ではないが、そこがまたロヴィーサ嬢の本来の美しさを引き立てる。


 マーメイドラインのドレスを着て、薄いヴェールを被ったロヴィーサ嬢は花嫁のようだった。

 このまま結婚してしまいたいが、僕は悲しいことにまだ十二歳。成人までは六年間もある。


 婚約式は王城で行われた。

 僕は倒れないように、婚約式の前にシードラゴンのフライを挟んだサンドイッチを食べていた。シードラゴンは魚に近い味わいで、コカトリスの卵で作ったタルタルソースがよく合う。

 衣装に着替える前にお腹いっぱい食べている僕に、ロヴィーサ嬢はくすくすと笑っていた。


 ミエト侯爵家に所領が戻ってから、ロヴィーサ嬢の態度は軟化した。

 僕との婚約も受け入れてくださっているし、婚約式の後は僕がミエト侯爵家に移り住むことも受け入れてくださっている。


 僕の荷物はもうほとんどミエト侯爵家に運び込まれていた。


「父上、エリアス兄上、エルランド兄上、ヒルダ姉上、これまでありがとうございました」

「別れのように言うな。同じ国なのだからいつでも会えるだろう」

「そうですね。父上、いつでも会いに来ます」


 父上に抱き締められて、僕はちょっと苦しかったけれど、父上の愛を感じていた。

 魔族の国からはダミアーン伯父上がお祝いに来てくれていた。


「その方がエドヴァルドの運命のひとか。エドヴァルドにはモンスターの血肉がまだまだ必要だ。充分に与えてやってくれ」

「心得ました。ダミアーン王太子殿下」


 声をかけられてロヴィーサ嬢が胸に手を当てて頭を下げている。

 ダミアーン伯父上を見詰めるロヴィーサ嬢の顔が赤いような気がするのは、気のせいだろうか。

 もしかするとロヴィーサ嬢はダミアーン伯父上の格好よさに惚れてしまったのかもしれない。


 急いでロヴィーサ嬢の手を引いてダミアーン伯父上から引き離すと、ロヴィーサ嬢が目を丸くしている。


「どうなさったのですか?」

「ロヴィーサ嬢は僕の婚約者です。ダミアーン伯父上をじっと見たりしないでください!」


 嫉妬のままに言葉が出てしまうと、ロヴィーサ嬢はくすくすと笑いだした。

 笑われて僕は恥ずかしくて顔を真っ赤にする。


「ダミアーン王太子殿下が、エドヴァルド殿下に似ていたので、将来はあんな風に成長なさるのかと思ったのです」

「僕のことを考えてくださったのですか?」

「エドヴァルド殿下は、お顔がとても整っていらっしゃるから」


 ダミアーン伯父上に惚れたのではなくて、将来僕がダミアーン伯父上のように成長するのではないかと思ってロヴィーサ嬢はダミアーン伯父上をじっと見ていたようだ。


「僕は顔がいいですか?」

「はい、とても」


 問いかけに素直に答えてくださるロヴィーサ嬢に僕は浮かれてしまった。


 婚約式で国王である父上の前で僕とロヴィーサ嬢は膝をついて誓いの言葉を述べた。


「私、エドヴァルド・ナーラライネンは、ロヴィーサ・ミエトと婚約し、結婚の際には、ミエト侯爵家に降下することを誓います」

「わたくし、ロヴィーサ・ミエトは、エドヴァルド・ナーラライネン殿下と婚約し、成人の暁には結婚をすると誓います」


 降下するという僕の誓いに、貴族の中からざわめきが起きる。

 それをおさめるように父上が口を開いた。


「エドヴァルドは人間の国である我が国で魔族として生まれ、幼い頃から生死の境をさまよっていた。王城ではできないことがミエト侯爵家ではできる。結婚の暁には、ミエト侯爵家に臣籍降下することを私も認めている」


 父上の一言でざわめきがおさまる。

 僕はロヴィーサ嬢の手を取って、白い手袋をつけた手の甲にキスをした。


 婚約式の後で、僕はロヴィーサ嬢と爺やと馬車でミエト侯爵家に向かっていた。

 ミエト侯爵家に僕が住む条件として父上が持ち出したのが、爺やを連れて行くことだった。


 爺やは魔族で、僕が食べられるものを見分けることができる。

 僕が生まれてからどの乳母も受け入れなかったのも、ミルクが普通のものだったからだ。爺やだけがそれに気付いて、魔族の国からミルクを取り寄せて、僕にモンスター由来のミルクを飲ませた。

 モンスター由来のミルクは常人には毒にもなりえるので、爺やしか扱えなかったのだ。

 僕は爺やに育てられて、ここまで大きくなった。


「わたくしは研究課程に週に五日通います」

「僕は高等学校に週に五日通います」

「お弁当はエドヴァルド殿下のために特別なものを作らせますね」


 ミエト侯爵家には、既にダミアーン伯父上を通じて魔族の国から塩や砂糖やスパイスが大量に運び込まれている。

 それが一緒に食事をするロヴィーサ嬢の口に万が一入ることがあっても、ロヴィーサ嬢は無事だと分かっているので、僕は安心して食事を楽しむことができる。

 王城ではエリアス兄上やエルランド兄上や父上のお皿に僕の食べるものが紛れ込んでいたらと考えると、食事の時間は決して寛げるものではなかった。


「婚約のお祝いに、オオヘラジカを取って参ります」

「オオヘラジカですか?」


 聞いたことのないモンスターの名前に、僕は興味を持つ。


「ヘラジカが数十年のときを経て、巨大化したモンスターです。所領の中で、畑を荒らして困ると冒険者ギルドに討伐依頼が来ていました」

「草食動物のモンスターもいるのですね」

「本来は大人しいのですが、山に食べるものがなくなったようで、人里に降りて来ています。大きな角で怪我をした農民もいます」


 本来ならば自然の中で静かに暮らせていたのに、人間が自然の中に入り込んでしまったがために、大人しい鹿のモンスターも人里を荒らすようになってしまった。

 僕としては草食動物のモンスターを食べられるのは嬉しいのだが、人間とモンスターの共存も考えて行かなければいけない課題なのだろう。


「夏になったら海で、クラーケンを捕まえられるかもしれません」

「クラーケン!」


 クラーケンは烏賊とも蛸とも言われているモンスターだ。

 僕は烏賊も蛸も食べたことがない。

 美味しい予感に僕は唾が出て来る。ごくりと唾を飲み込んだ僕にロヴィーサ嬢は優しく微笑んでいる。


「エドヴァルド殿下はミエト侯爵家の恩人です。エドヴァルド殿下を託されたのですから、わたくしは美味しい料理でおもてなしをしないといけませんわ」

「ものすごく楽しみです!」


 ロヴィーサ嬢と婚約をして、ミエト侯爵家で一緒に暮らせるようになってよかったと心から僕は思っていた。


 オオヘラジカの肉は、臭みがなくてとても美味しかった。

 出されたステーキを僕はお代わりしてしまった。


 高等学校に行くとアルマスが僕にお祝いをしてくれた。


「エドヴァルド殿下、ご婚約おめでとうございます」

「アルマス、敬語が喋れてる!」

「エドヴァルド殿下と学友になったって言ったら、母ちゃんに叩き込まれたよ」

「もう剥がれてるけど」

「あ、いけね!」


 舌を出して笑っているアルマスのことを僕はこれ以上注意できない。アルマスのこういう気軽なところを気に入ったのだから。


「俺より年下なのに婚約とか、王族は大変だな」

「え? アルマスは僕より年上なの?」

「俺は幼年学校に入るのが一年遅れてるんだ」


 アルマスの家は貧しかったので、アルマスを六歳で幼年学校に入れることができなかった。一年遅れてアルマスが幼年学校に入ったら、成績がとても優秀で、そのまま卒業まで成績優秀者として勉強を続けて、結果、高等学校に授業料免除で入れたのだとアルマスは教えてくれた。


 アルマスは僕より一歳年上だった。

 末っ子の僕とアルマスの気が合うわけだ。


 教室で勉強を終えて、お昼ご飯を食べるときには、アルマスは興味津々でお弁当箱を覗き込んでくる。


「それはなんだ?」

「オオヘラジカの肉の煮込みだよ」

「そっちは?」

「牛のモンスターのミルクで作ったチーズだ」


 ロヴィーサ様はミエト侯爵家でチーズなどの乳製品も作ってくださっていた。お陰で僕は健康なだけでなく、美味しいものを食べられるようになっている。


 食べ終わると僕はお手洗いに手を洗いに行った。

 僕の食べるものには常人には毒になるものが含まれているので、触れた後にはよく手を洗わないと、毒素が移ってしまうことがある。

 口もゆすいで、お手洗いから出たところで、僕はハンカチを忘れていることに気付いた。


「アルマス、ハンカチを貸してくれない?」

「あ、俺も忘れてるや」

「困ったな」


 濡れた手をどうしようと悩んでいると、見知らぬ男子生徒が近付いてくる。


「ハンカチも持たないような貧相な相手は殿下の学友に相応しくありません。私こそが殿下の学友に相応しい」


 ハンカチを差し出して言うその男子生徒は、初日に僕を避けていたのを僕はしっかりと覚えていた。

 アルマスが僕に近寄って、僕がそれほど危険でもないと見極めてから近寄って来るなんて、虫がよすぎる。


「いらない。さよなら」


 ハンカチを断って濡れた手をどうしようと考えていると、エルランド兄上が駆け付けてくれた。


「ハンカチを忘れたのか。私は二枚持っているから、一枚持って行くといい」

「エルランド兄上、ありがとうございます。僕が困っているってどうして分かったんですか?」

「私の学友が、私の可愛いエドがお手洗いの前で困っていたと教えてくれたよ」


 エルランド兄上の学友は、敬語が使えないアルマスにも親切にしてくれたし、僕のことも気にかけてくれているようだった。

 エルランド兄上と取り巻きの学友たちのような関係に、僕とアルマスもなりたい。

 僕はそう思っていた。

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