9.ミエト家を訪ねる

 オーケルマン伯爵。

 それがミエト侯爵家から所領を奪い取った伯爵家の名前だった。


 オーケルマン伯爵家は、ミエト侯爵家の遠縁にあたる。ミエト侯爵家に従う伯爵家の一つだったのだが、ロヴィーサ嬢のお母上が亡くなって混乱したロヴィーサ嬢のお父上が商人から借金を即座に返せと言われているときに、ちょうど居合わせた態で、借金を肩代わりするので所領を預かるという証文を書かせてしまったのだ。


 そのときのミエト家には膨大な額の借金を支払うだけのお金はなかった。

 ロヴィーサ嬢も同席していない中で、亡き妻の醜聞を広められたくなければ借金を返せと詰め寄られ、ロヴィーサ嬢のお父上も混乱していた。

 所領をかたに金を借りる証文にサインした後で、ロヴィーサ嬢が気付いたときにはもう遅かったのだ。


「オーケルマン伯爵と商人はグルだったのだと思います。オーケルマン伯爵にも到底払える借金ではなかった」

「ロヴィーサ嬢のお父上は?」

「ショックを受けてその後は公の場に出ておりません」


 ミエト家は長女が家督を継ぐので、ロヴィーサ嬢が今の当主ということになるが、それにしてもまだ十八歳のロヴィーサ嬢に全てを任せて表に出てこないお父上というのも気になる。


「お父上にも出て来ていただいてオーケルマン伯爵との話し合いを進めたいですね」

「はい。王子殿下たちの見ている前で真偽をはっきりとさせたいのです」


 ロヴィーサ嬢のお母上は借金などしていない。それなのに嘘を吐かれたことをロヴィーサ嬢は非常に怒っている様子だった。


「母は常に質素倹約を尊んでいました。侯爵家としての体面も大事だけれど、贅沢は求めませんでした。宝石や豪奢なドレスを大量に買い集めたと商人は言いましたが、我が家にはそんなものは一切ありません」

「商人の嘘をどうやって暴けばいいものか」


 僕はミエト家を訪問することにした。

 ロヴィーサ嬢のお父上に会ってみたかったのだ。


 馬車でロヴィーサ嬢と一緒にミエト家に向かっていると、途中で不穏な気配を感じる。

 道が封鎖されているのだ。

 林に挟まれた土を踏み固めた道は、王都の中でも端の方になる。


「貴族様、この道を行かれるのは諦めた方がいい。シードラゴンが迷い込んでおります」


 道を塞いでいる警備兵の一人が僕たちの馬車に近付いてきて告げる。

 シードラゴンといえば、海に出る首の長いドラゴンだ。全身を鱗に覆われていて、魚に近い内臓器官をしていると聞く。


「海からシードラゴンが来たのですか?」

「海辺で冒険者たちがシードラゴンの捕獲を試みたようなのです。新鮮なシードラゴンの肉を王子様に捧げると言って。それが、逃がしてしまって、シードラゴンは王都に迷い込んだようです」


 警備兵の話を聞いたロヴィーサ嬢が止まった馬車の中で髪を結ぶ。髪飾りをつけるとロヴィーサ嬢の艶やかな黒髪は真っ赤に染まった。


「わたくしは、冒険者クラスSSの『赤毛のマティルダ』です。シードラゴンの対応にあたらせていただきます」

「『赤毛のマティルダ』様! どうかよろしくお願いします」


 スカートを翻して馬車から駆け下りて行ったロヴィーサ嬢に、僕も恐る恐る馬車から降りる。

 塞がれた道の向こうに見えたのは、林道の中でうろつく首の長い鱗のある巨大なドラゴンだった。

 シードラゴンという名前なのでドラゴンの一種なのだろうが、魚のような味がするのだろうか。ワイバーンやブラックベアー、サラマンダーやミノタウロスなどは、畜肉の味がする。

 シードラゴンが魚の味がするならば、僕はぜひ食べてみたかった。


 ものすごい勢いで駆け寄るロヴィーサ嬢に、シードラゴンが咆哮を上げる。僕はその咆哮に怯んでしまったが、ロヴィーサ嬢は全く怯まない。

 そのまま駆け寄って、シードラゴンの太い尻尾を掴んだ。


「わたくしの生活費ー!」


 叫びながらロヴィーサ嬢がシードラゴンの身体を放り投げる。強かに頭を打ち付けたシードラゴンは、脳震盪を起こしたようだ。

 素早く駆け寄ったロヴィーサ嬢が脳天にナイフを突き立てる。

 脳天から頭蓋骨を貫通して顎まで達したナイフに、シードラゴンは倒れた。


 ナイフを抜くと吹き出した血がロヴィーサ嬢の頬を汚す。

 ナイフを拭いて戻ってくるロヴィーサ嬢に、僕はハンカチを差し出した。


「頬に血がついています」

「ありがとうございます。服も汚れてしまいましたね」


 水に濡れたシードラゴンが土の道をうろついていたので、そこら中に泥の水たまりができていた。それを踏んだロヴィーサ嬢は泥が跳ねて服も汚れているし、返り血も浴びている。


「エドヴァルド殿下を汚してしまいます。わたくしは走って参りますわ」

「ロヴィーサ嬢、馬車に乗ってください。僕は気にしません」

「シードラゴンも持って行かねばなりませんし」


 軽々とシードラゴンの小山ほどもある巨体を担ぎ上げたロヴィーサ嬢が、そのまま走っていくのを、僕は見送るしかなかった。


「ロヴィーサ嬢、なんて素敵なんだろう」


 うっとりとしている僕に、爺やが「無事に婚約できるとよいですな」と声をかけてくれていた。


 ミエト侯爵家の庭には、絶命したシードラゴンが長々と伸びていた。ロヴィーサ嬢はシードラゴンに切り目を入れて、内臓を取り出し、血抜き作業をしている。

 内臓を取り出したお腹は綺麗に冷水で洗って、清潔に保っている。


 馬車よりも早くシードラゴンを担いでミエト侯爵家に辿り着けたことも驚きだが、ロヴィーサ嬢が自分でシードラゴンの血抜きや内臓を抜いて下処理をしてしまうのも驚きだった。


「新鮮なシードラゴンの肉は刺身にもできますぞ」

「爺や、本当!? 刺身、食べてみたい!」


 僕の要望に応えて爺やが包丁を握る。シードラゴンの肉の一部を切り取って薄く切っていくと、身が透明に近いのが分かる。

 お箸を持ってお醤油をつけて食べれば、口の中でぷりぷりとした食感と甘みが強い美味しいお刺身だった。


「ロヴィーサ嬢、シードラゴンも全て王城で買い取らせてください」

「もちろんです。モンスターを倒すことに抵抗があった時期もありました。全部美味しくいただいてくださるなら、倒されたモンスターも本望でしょう」


 本来はモンスターはひとのいない自然界で暮らしている。それがひとや家畜を襲うようになったのは、ひとが自然を切り崩し、彼らの領域に入ったからだ。

 分かっていても、今更できた町や村を解体することはできないし、解体したところでそこは元の自然には戻らないのだ。


 お刺身を食べ終わると、応接室にロヴィーサ嬢のお父上が現れた。相当やつれている様子で、僕を見ると崩れ落ちるように床の上に額を擦り付ける。


「エドヴァルド殿下、どうか、ミエト家から侯爵の位を取り上げないでくださいませ」

「僕はそういう用事できたのではありません」

「それでは、どのような?」


 泣き崩れそうなロヴィーサ嬢のお父上をソファに座らせる。

 ロヴィーサ嬢は僕のために紅茶を淹れてくれた。他の使用人ではなくロヴィーサ嬢が淹れてくれるというのは、モンスター由来のミルクを使うからだろう。他の使用人にとっては、それは毒になりえてしまう。

 ミルクティーを飲みながら、僕はロヴィーサ嬢のお父上が落ち着くのを待った。


「僕が魔族というのはご存じだと思います。僕の成長と生命の維持にはモンスターの血肉が欠かせない。ロヴィーサ嬢はそれを僕に与えてくれます。僕はワイバーンの襲来からロヴィーサ嬢に助けられました」


 僕はロヴィーサ嬢と婚約したい。


 僕の要求を伝えると、ロヴィーサ嬢のお父上は目を見開いている。


「ロヴィーサとエドヴァルド殿下が婚約ですか!? 我が家にはロヴィーサしか子どもがおりません。ロヴィーサはミエト家の当主です」

「僕がミエト侯爵家に臣籍降下する形になると思います」

「臣籍降下!?」


 あまりのことにロヴィーサ嬢のお父上は仰け反って気絶しそうになっている。

 僕はロヴィーサ嬢のお父上に静かに問いかけた。


「オーケルマン伯爵とのこと、お話し願えますか?」


 僕とロヴィーサ嬢が婚約するためには、ミエト侯爵家が所領を取り返さねばならない。それが越えなければならない難関だった。

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