2.冒険者の正体
ワイバーンの肉はとても美味しかった。
新鮮なうちに調理されたワイバーンの肉は臭みが少ない。そこに更に臭みをなくすように香草を使って、心臓や肝臓などの希少な部位もたっぷりと食べて、僕は満足して別荘のベッドに入った。
翌朝には熱は下がって、体調もよくなっていた。
僕の母上もだったが、食べられるものが限られていて、とても病弱だった。それでも母上は四人の子どもを産んだ。
四番目の僕が生まれた後で亡くなってしまったので、一番上のヒルダ姉上は特に僕のことを心配して可愛がってくれたし、エリアス兄上とエルランド兄上も僕のことを大事にしてくれている。
父上は忙しくてなかなか会えないが、それでも会ったときには僕に優しく声をかけてくれる。
僕は家族に愛されて育った。
別荘の魔法で冷やす冷蔵庫にはワイバーンの肉がたっぷりと入っている。僕の滞在期間中はワイバーンの肉を食べられるだけの在庫があった。
僕が気になっていたのは、あの深い海のような青い目をした女性だった。
僕を助けてくれて、ワイバーンに勇敢に立ち向かい、ワイバーンを一瞬で倒してしまった。相当な手練れだということは分かっていた。
あのひとのことを調べるには冒険者ギルドに行かなければいけない。
僕は爺やに相談した。
「あのひとのことを知りたいんだ。冒険者ギルドに行くことはできないかな?」
「まだ体調が戻ったばかりです。出歩くわけにはいきません。それにエドヴァルド殿下が冒険者ギルドなどという下町に出かけるのは、お勧めできませんな」
「どうしても行きたいんだ。あのひとの情報を自分で掴みたい」
病弱だから自分では何もできない。周囲のものに命令するだけ。
そんな王子に僕はなりたくなかった。
爺やにお願いすると、爺やは渋い顔をしている。
「目立つことをなさってはいけませんよ。国王陛下に反逆の心を持つものがいないとも限りません」
父上は素晴らしい政治をしていると思うのだが、民衆の隅々までそれが行き届いているかと言われれば、疑問である。民衆の中には貧しいものもいて、それが父上のせいだと恨んでいるものもいる。
確かに父上の力が及ばないところはあるのだが、それはそれぞれの所領の貴族たちをどうしても完全にまとめ切るのが難しいという現実があった。
父上を憎んでいるものは、僕のことも憎んでいておかしくはない。
爺やに厳重に警護をつけられて、冒険者ギルドに向かう。
当然、爺やも一緒だ。
ナーラライネン王家の末っ子が来るということで、冒険者ギルドの長も準備をしていたようだ。
冒険者ギルドに着くと奥の部屋に通される。警護の兵士もわらわらと入ってきて、狭い部屋はぎゅうぎゅう詰めになってしまった。
「お初にお目にかかります、王都の冒険者ギルドの長をさせていただいております」
「僕はエドヴァルド・ナーラライネンです。本日はよろしくお願いします」
身分としては僕の方が上なのだが、ギルドの長には敬意を払わなければいけない。僕よりも年上で、冒険者ギルドという荒くれ者もいる場所を統制しているのは彼女なのだから。
そう、王都の冒険者ギルドの長は女性だった。
「昨日、王城から別荘に向かう途中でワイバーンに襲われました」
「家畜や人肉の味を覚えたワイバーンが山から王都にも飛んでくるようになったのです」
「それは大問題ですね」
「冒険者ギルドの冒険者に依頼を出して、ワイバーンを狩るように要請しているのですが、ワイバーンほどの大物となると、狩れるものは僅かしかおらず、困っております」
冒険者ギルドの長に話を聞いて僕は身を乗り出した。
「それならば、分かりますか? 昨日、僕を助けてくださった、青い目の女性のことを」
「青い目の女性……目の色はよく見えませんから覚えていませんね。他に特徴がありましたか?」
「えーっと、赤毛だったような気がします」
僕は目の色が印象的で覚えていたのだが、冒険者ギルドの長は目の色はあまり見ないタイプだったようだ。
鮮やかな赤毛を思い出して付け加えると、冒険者ギルドの長はすぐに思い付いたようだ。
「豊かな長い赤い髪を一つに括った女性の冒険者、それは、『赤毛のマティルダ』ですね」
「『赤毛のマティルダ』?」
「そうです。自分のことはマティルダとしか名乗らなくて、赤毛なので、この冒険者ギルドではそう呼ばれています。怪力を使える指輪を持っていて、それで戦う、SSランク級の冒険者ですよ」
冒険者ギルドの冒険者にはランクがある。
初心者がDランク。
もう少し戦えるようになってくればCランクに上がり、上級者になればBランク、Aランクと上がっていき、大型のモンスターを一人で狩れるのがSランク、その上を行く最高のクラスがSSランクだ。
鮮やかな戦いぶりの彼女はSSランクに相応しかった。
「マティルダ様……」
どんな方なのだろう。
冒険者ギルドの長に聞いてもそれは分からなかった。
「どこの出身なのか、どこに住んでいるのか、いつやってくるのかも分からない謎の冒険者ですよ。マティルダという名前すら、偽名だと思います」
赤毛のマティルダはただの偽名で、正体は全く違う人物かもしれない。
僕はその情報しか得られずに別荘に帰ることになった。
「エドヴァルド殿下、そろそろ」
爺やが僕に帰るように促したのだ。
長時間外にいて僕がまた体調を崩すと困ると思ったのだろう。
爺やの心配はありがたかったが、僕は自由に動きたかった。
別荘での療養生活は静かなものだった。
毎日庭を散歩して、部屋で本を読む。僕は体が弱いので学校には通えず、家庭教師に勉強を習っていた。
出来れば高等学校に行きたかったのだけれど、この厄介な体質がそれを許してくれない。
安定的にモンスターの肉を手に入れつつ、それを食べていれば僕の体調も安定するのだが、それはとても難しい問題だった。
僕の警護をする兵士たちにモンスターを狩らせるわけにはいかないし、僕のためだけにモンスターを狩る兵団を作るわけにもいかない。
冒険者ギルドからは手に入ったときにはモンスターの肉を分けてもらっていたが、それも毎日のことではない。
モンスターの肉を食べなければ身体を壊すなんて、僕はひととしておかしいのではないかと思ってしまうが、これが現実なのだから仕方がない。
冷蔵庫に残っているワイバーンの肉は、毎日少しずつ減っていた。
「別荘滞在中の食事の量くらいはありますが、持ち帰る量はないですね」
「そうか……。王城に帰ったら兄上たちをまた心配させてしまう」
エリアス兄上とエルランド兄上は僕が寝込むととても心配してくれる。ヒルダ姉上も隣国から駆け付けない勢いで心配する。
僕は健康でありたいのに、僕の健康にはモンスターの肉が不可欠なのだ。
「あの『赤毛のマティルダ』殿がまた冒険者ギルドに来るのを待ちましょう」
爺やは僕を慰めてくれたけれど、僕はそんなに簡単にあのひとが来るのか疑問だった。
気落ちしている僕を元気付けるために、爺やは別荘でお茶会を開いた。
周辺の貴族を招いてのお茶会は、僕にとっては煩わしい付き合いをしなければいけないので、面倒くさいだけだったのだが、爺やは僕が喜ぶと思っている。
集まったのは周辺の貴族の中でも御令嬢ばかりだった。
「ヒルダ王女殿下がお嫁に行かれて、エドヴァルド殿下は寂しいのですよ。年上の女性に甘えてくればいいのです」
誰もヒルダ姉上の代わりにはなれないのに、むちゃくちゃなことを言う爺やに呆れながらも、社交界に出るのも王子としての務めだと僕は大広間に向かった。
お茶とお菓子と軽食が用意されているが、僕は気分が悪くて食べたいとは思わなかった。
紅茶に入れるミルクの匂いだけでもう吐きそうになっている。
「エドヴァルド殿下、顔色が悪いですわ」
「大丈夫ですか、エドヴァルド殿下?」
近付いてくる御令嬢の化粧の匂いにも吐きそうになる。
逃げるようにテラスに出た僕は、地味なドレスを着た細身の令嬢の姿を見た。
艶やかな緩く波打つ黒髪に、深い海のような青い目。
「マティルダ様?」
「え……?」
同じ色の青い瞳のその令嬢に声をかけると、令嬢は明らかに戸惑っている。
「わたくしは、ロヴィーサ・ミエト。ミエト侯爵家の娘で御座います」
ロヴィーサ嬢はそうおっしゃるのだが、僕には顔立ちも、なにより青い目があのときワイバーンの尻尾を持って投げ飛ばした女性にしか思えなかった。
「僕を助けてくださいましたよね? ワイバーンの肉もくださった」
「人違いではございませんか?」
「いえ、あなたは絶対にあの方だ!」
鮮やかな赤毛で誤魔化していたのかもしれないが、僕はそんなところは見ていなかった。僕が見ていたのは海のような深い青い目だ。
ロヴィーサ嬢はマティルダ様に違いない。
僕は確信していた。
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