3.同情をかうために
ロヴィーサ嬢が『赤毛のマティルダ』様に違いない。
そう考えた僕は、ロヴィーサ嬢の気を引ける方法を考えていた。
僕には第三王子の地位と、女の子のような可愛らしい容姿と、病弱なところくらいしか特徴がない。
同情をかおうと思ったのはそのときだった。
「うっ!」
わざとらしいかもしれないけれど、僕は胸を押さえて呻く。
先ほどから気分が悪かったのは本当だったし、少し休みたくもあった。
ロヴィーサ嬢は爺やを呼んで来ようとする。
それを僕はそっと止めて、テラスの椅子に腰かけた。
座る前にロヴィーサ嬢は僕が座る場所にハンカチを敷いてくれた。
優しい心遣いにますますロヴィーサ嬢に興味がわく。
「僕の母上は僕が幼い頃に亡くなりました」
「存じております。お妃様を愛した国王陛下が、再婚をなさらないことも聞いております」
僕の前に立っているロヴィーサ嬢はワイバーンを投げ飛ばしたとは思えないくらい細身で、日の光の下、流行遅れのドレスを身に纏っていた。
ミエト侯爵家には何かロヴィーサ嬢が冒険者にならざるを得ない理由があるのかもしれない。
「僕の母上は魔族でした。魔族はモンスターの血肉を食べて魔力を蓄えるもの。成長期には特にモンスターの血肉が必要です。母上はもう成人していたので、この国の風習に合わせて、モンスターの血肉を食べることはしないと誓っていました」
このことは貴族ならばほとんどのものが知っているだろう。
魔族といっても、魔力を持っているだけで、人間と変わらず、魔族だけで国を作って暮らしている。
父上は魔族との友好のために母上を魔族の国からお妃にもらった。母上は父上を愛し、尊敬し、この国に馴染もうとしていた。
「母上は成長することがなかったのでモンスターの血肉が必須というわけではありませんでした。でも、常に魔力が足りない状態で身体を壊しやすかった。そこへ、僕を産んでしまったのです」
ヒルダ姉上と、エリアス兄上とエルランド兄上は、父上に似て、普通の人間として生まれてきた。ヒルダ姉上とエリアス兄上とエルランド兄上には魔力はない。
僕は魔族の血を引いて生まれてきてしまった。
魔力が枯渇している状態で魔族の僕を産み落とした母上は、限界だった。そこからモンスターの血肉を体に取り入れてももう遅い状態で、母上は亡くなってしまった。
そのことをヒルダ姉上も、エリアス兄上もエルランド兄上も、父上も、僕に知らせないようにしていたが、僕は幼い頃から周囲の貴族に聞かされてきていた。
「僕を産んだから母上は亡くなった。僕は母上の分も生きなければならないのです。そのためにも、マティルダ様の倒すモンスターの肉が必要なのです」
「殿下、わたくしは、その『マティルダ様』では御座いません」
「それならば、マティルダ様にお伝え願えませんか? どうか、僕の命を繋ぐためにモンスターの血肉を運んで来て下さるように」
必死に取り縋ると、ロヴィーサ嬢は戸惑うように視線を泳がせている。
「『マティルダ様』という方にお会いすることがあったら、お伝えします」
戸惑った末にロヴィーサ嬢の口から出たのはそんな言葉だった。
菫色の瞳に涙をいっぱい溜めて懇願した僕に、ロヴィーサ嬢はきっと同情してくださっただろう。
僕は自分の演技力に酔っていた。
「ありがとうございます、ロヴィーサ嬢……」
お礼を言って立ち上がろうとしたとき、僕の体力は本当にギリギリになってしまっていた。これだけ喋って演技もしたのだから仕方がない。
立ち上がれずに、倒れ込みそうになった僕の華奢な体をロヴィーサ嬢が抱き留めてくださる。
「誰か! エドヴァルド殿下が倒れました!」
ロヴィーサ嬢の声を僕は意識が遠くなりながら聞いていた。
目が覚めると僕はベッドに寝かされていた。
窮屈な正装は脱がされており、ゆったりとしたパジャマを着せられている。
爺やがしてくれたのだと分かる。
普通の王子王女や貴族には乳母が着くのだが、僕には小さい頃から爺やがそばにいてくれた。
爺やといっても壮年なわけではなく、年齢は四十代前半だ。
僕が生まれたときに、どの乳母も受け入れなくて父上も姉上も兄上たちも途方に暮れていたときに、最後の乳母の夫である男性が、僕のためにミルクを作って飲ませた。
僕のオムツを替えて、僕を沐浴させて、僕の面倒を見てくれるようになった爺やにだけは、僕は懐いていた。
それには秘密がある。
爺やは母上が魔族の国から連れてきたお付きの一人なのだ。
爺やも魔族で、年を取るのが遅く、若々しい綺麗な顔立ちをしていて、背も高いのに、僕には「爺や」と呼ぶように言っている。
僕にとっては乳母代わりの生まれたときから面倒を見てくれているひとなのだ。
「爺や、着替えさせてくれたの?」
「そちらの方が楽かと思いまして。この度は殿下の体調がよくなっていたので無理をさせてしまいました。申し訳ありません」
「いいんだ。僕は出会うべきひとに出会えたからね」
爺やの前では僕は敬語が抜けて甘えた喋りになってしまう。
これも爺やが僕のことを可愛がってくれて、命よりも大事に思ってくれていると分かっているからである。
お嫁に行ったヒルダ姉上も、王城にいるエリアス兄上もエルランド兄上も、父上も、爺やも、僕を可愛がってくれて、僕は愛に包まれて育った。
僕が魔族であることをヒルダ姉上もエリアス兄上もエルランド兄上も、父上も、全く気にしていなかった。
「少し食事をとりましょう。牛のモンスターのミルクのミルクティーと、ワイバーンの肉のローストを挟んだサンドイッチを作らせました」
そうなのだ、僕がお茶会のミルクティーで気分が悪くなってしまったのも、僕は普通のミルクをほとんど飲めないのが理由だった。僕はモンスター由来のものしか口にできない。
大人になればそんなことはなくなると母上や爺やの振る舞いで知っているのだが、まだ僕は十二歳。体が成長し終わるまでは長かった。
牛のモンスターのミルクのミルクティーは甘くスパイスで味付けしてあり、ワイバーンの肉のローストを挟んだサンドイッチは香草で臭みが消してある。
ミルクティーを飲んでサンドイッチを食べ終わる頃には僕はすっかりと元気になっていた。
「爺や、『赤毛のマティルダ』様は、お茶会に来ていたロヴィーサ・ミエト様だったんだ」
「ミエト? ミエト侯爵の御令嬢ですか?」
嬉しそうな僕の声に反して、爺やの表情が曇る。
爺やは何か知っていそうだ。
「ロヴィーサ嬢のことを知っているの?」
「ミエト侯爵はお気の毒なことですが……所領をほとんど失って、侯爵の地位に相応しくないと言われております」
ミエト侯爵は所領を失っていた。
ロヴィーサ嬢が『赤毛のマティルダ』様に変装して冒険者としてお金を稼いでいるのもこれで分かった。
ワイバーンの肉を言い値の二倍で買うと言ったら、ロヴィーサ嬢はとても喜んでいた。
ロヴィーサ嬢の流行遅れのドレスも新しいものを誂えるお金がないのだろう。
それでも、侯爵という地位があるので、王子である僕のお茶会に参加しなければいけなかった。ロヴィーサ嬢は目立たないようにテラスに逃げていたのだ。
「どうして所領がなくなったの?」
「これは噂でしかないのですが、ミエト侯爵が妻を亡くした失意のどん底にあるときに、よくない連中が、ミエト侯爵夫人には借金があったと嘘を吹き込んで、ミエト侯爵夫人の悪評を広められたくなければ借金を即座に返せと詰め寄ったのです」
失意の底にいたミエト侯爵は、それを信じてしまった。ミエト侯爵夫人の悪評を広められないように、所領を切り売って借金を返した。
残ったのは侯爵の地位と、僅かな所領だけ。
それでは侯爵として生きて行けるはずがない。
「ロヴィーサ嬢が『赤毛のマティルダ』様だとすれば、家にお金がないので稼いでいるのでしょうね」
爺やの言葉に僕は決心する。
「『赤毛のマティルダ』様を……いや、ロヴィーサ嬢を、僕の専属の冒険者にしよう」
そうすればミエト侯爵家にはお金が入るし、僕はモンスターの血肉を安定して手に入れることができる。
この計画のためには、協力者が必要だった。
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