ひつじのさんの、じゆうちょう

 おかえりください

 おかえりください

 おかえりください

 おかえりください

 おかえりください


 鉛筆で書かれた、子供の字でした。字の汚い子たちに混じって、ひつじのさんの整った字もあります。

 ページ一面にみっしりと詰まった「おかえりください」の中に、ひとつだけ、別の言葉が紛れていました。


 おかえりなさい


 字の汚い子が書いたのでしょう。

 その言葉が「おかえりください」を書き損じたものなのか、なにかのルールに則ったものなのか、わたしにはわかりません。

 次のページにも、みっしりと「おかえりください」が並んでいます。やはりひとつだけ「おかえりなさい」が紛れ込んでいました。前のページとは別の子の字に思えます。


 てっきり五人分──つまり五ページ分──「おかえりください」が続くのかと思ったのですが、わたしの予想に反して「おかえりください」は次のページで唐突に終りました。


 だ れ に も い い ま せ ん


 たった一言が、五人分の字で一文字ずつ交代交代に綴られていました。

 それを見た瞬間、この自由帳がわたしの家にある理由を悟りました。

 ひつじのさんをはじめとする五人は、この自由帳でなにかのおまじないを行い、その処分に困ってわたしの鞄に「捨てた」のです。

 わたしは、帰宅してから鞄の中身を確認するような真面目な子供ではありませんでした。玄関に鞄を放り出し、翌朝、玄関に転がったままの鞄を掴んで登園するようなずぼらな子でした。

 だから、ひつじのさんの自由帳がいつわたしの鞄に捨てられたのかはわかりません。

 おそらく、卒園間近の時期でしょう。

 わたしの鞄からひつじのさんの自由帳を見つけたのは、きっと母です。母はわたしの鞄に他人の自由帳が入っている理由を考えたはずです。

 わたしが不思議なおまじないの仲間に加えてもらった記念に、自由帳を貰ったと理解したのでしょうか。あるいは、わたしがひつじのさんの自由帳を盗んだと思ったのかもしれません。

 どちらにしろ、母はわたしに何事かを確認することもなく、ひつじのさんの自由帳を段ボール箱にしまい込んだのです。


 わたしはひつじのさんの自由帳をぱらぱらと捲ります。「だれにもいいません」のあとのページは真っ白で、使われた形跡がありません。

 黒いクレヨンで書き殴られた五人分の約束。オレンジ色の折り紙で作られたキツネの顔。そして色の出ない尖った物で書かれた無数の言葉と、執拗な渦巻き。鉛筆で詰め込まれた「おかえりください」という懇願と「おかえりなさい」。

 ひょっとすると、この「おかえりなさい」は命令だったのかもしれません。

 わたしは、ひつじのさんの少し困ったように歪んだ笑顔を思い出します。連鎖的に取り巻きたちの顔もいくつか浮かんできました。

 その中の誰がおまじないを主導し、誰が自由帳をわたしの鞄に捨てようと言い出したのか、今となっては知る術もありません。

 なによりも、大人になったわたしにとっては、無害であった過去のおまじないより、頭上で日々元気に駆け回る小動物の方が大きな問題でした。

 わたしは「メリーさんのひつじ」を口遊みつつ、ひつじのさんの自由帳を雑紙をまとめている袋に放り込みました。

 天井裏を調べるべく、改めて天袋を開けます。


 土曜日の朝、ひつじのさんの自由帳は新聞広告や雑誌とともに古紙回収車に積み込まれて行きました。

 それきり別段祟りらしい現象が起こるでもなく、わたしはひつじのさんの自由帳の存在を忘れたのです。

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