達人気分と私とスローモーション

神奈川県人

スローモーション

 眼の端にグーが映っている。この軌道で進めばどうやら私の顔にぶつかるらしいな。

 右手が先に出ている、こいつは右利きで間違いはないだろう。

 そんな風にこいつの観察もできる「あっこいつ見覚えあるアクセサリー付けてんじゃん!」なんていうことも考える余裕があるがこれは怒られているときとかによくある冷静の無駄遣いなのだろうか。いいや、今に限っては自分が武術の達人になった気がしてならない。そう、今の私は武闘家なのかもしれないな! 某有名なRPGならスピードに優れ、高い攻撃力で敵を倒すことができる役職だ。いいな、自分が手塩にかけたキャラも武闘家だった。


 なぜ、達人になった気でいるか。それは私に向かってきているはずのグーが止まって見えているからに他ならない。


(殴り合いのきっかけにしてはひどいよなぁ......殴っていいのは俺だけのはずだ)



 三十分前 近くのカフェにて


「ねぇ、最近予定合わないけどどうした? 忙しい」


 彼女が不愛想な顔で答える。

 半年前からこの顔だ、笑うととてもかわいいのに。


「こないだもその前も忙しかっただけだって」


 たまにあってもこの空気。もしかしたら浮気なのか......なんて考えたくもないことまで考えている。


 ピロン ヴーヴー


 通知音とバイブ音が聞こえる、どうやら彼女の携帯が鳴ったらしい。


「あっ、なんかトラブったらしいから行かなきゃ。ごめん」


 コーヒー一杯分の代金を置いて足早に店から出て行ってしまった。


「あと三十円足りないし」


 はぁ......。笑わなくなったのは半年前から、半年前になんかあったっけかな。

 記憶をたどってみる。

 うぅ~む、なんか言ってた気がする。高校の時の後輩があたらしくはいったとかなんとか。写真も見せてくれたけど......あぁ、思い出した。ゴリラとラクダ足したような顔だなって思ったんだわ。陸上部でマネージャーをやっていた彼女とはそこで接点があったのだろう。


 追加でコーヒーとホットドックを頼み、プピッパーを眺めることに専念することにするが結局コーヒーを追加の追加で二杯飲みアイスまで食べて店を後にした。


「こんなに食べて......やけ食いかもしれねぇな」


 駅までの足取りは重い。なんかそろそろ別れそうな空気感があふれ出ているし、もし浮気だったらどうしてくれようか。

 いっそのことぶん殴ってやる! どんな奴であろうと先手を決めてけちょんけちょんにしてやる!


 改札に向かっているときに、肩にぶつかられた。


 ドンッ


 普段なら面倒を避けるために軽く誤ってから去るところだったが、なんかもう今だけむしゃくしゃしてたから思い切り睨んでやった。


「あっ、やばい」


 やばいといったその声には聞き覚えがあった。まじまじとぶつかった奴の顔を見る。

 ゴリラとラクダが混じった顔、ついさっき殴ってやると決意した忌々しき顔だった。その横にはさっきと同じ格好で彼女がひきつった顔で立っていた。


 気づいたら俺は右手が出ていた、殴り方も知らないけれど自信のあるしっかりと踏み込むことができたグーが奴の顔をめがけて進んでいた。

 もしこのグーが当たればこいつの下心を打ち砕くことができる! そう信じ切っていた。



 そうして、この話は冒頭へ戻る。

 殴ろうとしたのは俺、しかしそこにすかさず体育系の瞬発力でカウンターを決められた。それがこの話の結末である。

 ちなみに、なぜ三十分前のことを考えることができたかというと、達人なんかじゃ全然なく、思うにあれは走馬灯だったのだろう。

 この後の私がどうなったかは殴られ倒れていく途中の俺にはわからない。このまま放置か、駅前だから誰かが警察でも呼ぶのか。そこは好きに想像してくれるといいだろう。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

達人気分と私とスローモーション 神奈川県人 @local0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説