第7話

 ――まさか、まさかまさかまさか。

 混乱する頭を抱えて自分の御帳台みちょうだいに潜り込んだ沙映さえは、そのまままんじりともせずに朝を迎えた。


(本当に、どなたかいらっしゃるだなんて……)


 頭の奥がぐらぐらする。胸の奥がぎゅっと痛くて、どうしようもない。

 もしかしたら、と思ってはいたものの、事実として突きつけられれば、それは思いがけないほどに沙映の心を締め付けた。


(本当に、私は――そうよね、帝のお言葉がなければ、娶る必要のない妻だもの……)


 冷えた指先をぎゅうっとにぎりあわせ、沙映はにじむ涙を必死にこらえた。


「沙映姫さま、おはようございます」


 妻戸つまどを開け、いつものようにあいが姿を見せる。だが、億劫だし、身体は重いし、目の奥は熱いしで、起き上がる気力もわかない。

 そのままじっとしていると、どうやらまだ寝ていると思われたのか、衣擦れの音がして藍は立ち去ったようだった。

 ほっと息を吐くと、気が緩んだのかどんどん身体が重くなっていく。まるで、身体に重しをつけられたみたいだ。苦しくて、息が詰まる。


(助けて……明隆あきたかさま……)


 まぶたの裏に浮かぶ明隆に手を伸ばしても、昨夜の月同様届くはずもない。

 そのうちに、沙映は気を失うようにして眠ってしまったようだった。



「……え、さ……め……」

「ん……」


 誰かの声がする。とてもとても、優しい声。

 ずっとずっと、聞きたかった――。

 ふ、と意識が浮上して、うっすらと目を開く。朝のはずなのに、周囲が薄暗く思えて、沙映は内心「おや」と首をかしげた。


「沙映姫……っ」


 気づけば、誰かが手を握っている。暖かくて大きな、安心できる手。この手を、沙映は知っている。


「あきたか、さま……?」

 ぼんやりとそう返すと、狩衣かりぎぬ姿で枕元に座していた明隆あきたかが「よかった……」と絞り出すような声で呟いて、沙映をぎゅっと抱き寄せる。これまでに、そんなことをされたことがない沙映は、面食らって目を瞬かせた。


(一体、何が起きているの……?)


 沙映が戸惑っていると、明隆ははっとしたようにその身体を離した。それから、心配そうに沙映の顔をのぞき込んでくる。


「大丈夫ですか?どうも朝から具合が悪いようだとは聞いていたのですが……昼過ぎても起きてらっしゃらないので、藍が」


 と、ちらりと目をやった明隆の視線の先を追えば、藍がやはり心配そうにこちらを見ているのと目が合った。


「あ……」

「いいから……」


 慌てて身体を起こそうとしたが、腕にうまく力が入らない。かくんと倒れそうになったところを、また明隆に助けられ、思わず顔が熱くなる。


いちに伝言を飛ばしてくれまして。それで、急いで戻ったのですが……声をかけても起きないので、医者を呼ぼうかと思っていたところです」

「そう、ん、んっ……」


 ごほ、と咳き込むと、明隆がそっと背中をさすってくれる。その手が温かくて、優しくて。


「明隆さま……っ」


 昨夜からの出来事が脳裏によみがえって、そうして不安が一気に噴出してしまう。ぎゅっと明隆の白い狩衣を握りしめると、沙映はその胸元にかじりつくようにして泣き出した。


(嫌……この方と、明隆さまと離れたくない……っ)


「さ、さっ……沙映姫……!?」


 どうしたのか、と明隆がオロオロしている間に、なぜか心得顔の藍はほかの女房たちを促して出て行ってしまう。しんとした室内に二人きりにされ、響くのは沙映の嗚咽の声ばかり。

 戸惑う明隆に、沙映は涙に濡れた顔を向けて叫んだ。


「こ、子を……子を、私とも……つくってくださいっ……!」

「こ、子ぉ……!?わ、わたし、とも!?」


 明隆にとっては、青天の霹靂へきれきである。目をぱちくりさせて思わず繰り返すと、沙映は「そうです……!」と明隆ににじり寄った。


「昨夜、どなたかとは子を成す行為をなさったのでしょう……!私、聞きました。明隆さまが、寝殿の御帳台みちょうだいで女の方といらっしゃる声を」

「え、あっ……あれは」


 沙映の言葉に、明隆の視線が泳ぐ。きっと図星を突かれてしまって驚いているのだと判断した沙映は、たたみかけるように続けた。


「夜、御帳台の中で男女がすること――私とは、なぜしてくださらないのか、わかっているつもりです。けど、私、私……明隆さまのお子が欲しい!明隆さまと離れたくない……ずっとおそばにおいて欲しいんですっ……!」

「さ、沙映姫……」


 見上げれば、明隆の顔色が赤い。どこか戸惑いつつも、口元が緩んで見える。少なくとも、嫌悪感は見受けられないと、沙映は少しだけほっとした。

 だが、明隆はゆっくりと首を振った。


「できません」


 その言葉に、沙映の身体に言い知れぬ衝撃が走った。


(やっぱり――)


 ぽろり、とまた新たな涙がこぼれる。明隆の指がそれを拭ってくれるが、次から次へとあふれて止まらない。


「沙映姫……すみません……」


 私も、つらい。

 そんな声が聞こえた気がしたが、本当だったかどうだったかはわからない。体調が悪いのに、急に暴れたのが良くなかったのだろう。明隆にしがみついて泣いているうちに、沙映は徐々に意識が遠くなり、そのまま気を失ってしまった。

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