第17話 タイミング

「おはよう」

エレベーターを待つ後ろから声をかけてきたのは綾の同僚、佳奈子だ。

「この間、電車の中で貧血起こしたんだって?大丈夫だった?部長がたまたま居合わせたようで良かったわねー、メール送ってたのに返事が無かったから心配したわよー。」

「ん、ごめんねー!携帯充電し忘れてて。。心配かけて…ほんとごめん」


痴漢のことは知らないらしい…。会社に言ってないんだ、、、部長。

佳奈子は同僚の中でも特に仲が良かったが、まだ圭吾と別れたことも妊娠もことも話せていない。

しかも痴漢のことすらも言う機会を逃していた。


「いいけど、、あまり本田君に心配かけちゃだめだよ」

「ん…そだね」

綾は、苦笑いしながら自分の席についた。


昼休み、綾はお弁当を作ってなかったので外で食べることにした。

ここ好きなんだよね。入ったところは町の定食屋さん。

外観は、お世辞でも綺麗とは言えないが、リーズナブルでとても美味しく綾の御用達だった。

綾のお気に入りは、日替わりのハンバーグ定食!幸運にもハンバーグ定食が日替わり。

綾は思わず小さくガッツポーズをしたほどだ。

店に入り料理を待っていると、チリンチリンと店のドアが開く音がしてその方向を見ると

入ってきたのは、なんと二宮部長!

「やぁ、お疲れ様!偶然だねぇー」

ここ座っていい?と聞かれ、綾はとまどいながらも、どうぞ…と小さな声で答えた。

こんなこところで逢うなんて心の準備が…待ってよー。心の中で叫んだ。

「ぶ…部長もここよく来られるんですか」

「僕はここのハンバーグ定食が大好物なんだ!通りすがりに今日の日替わりを見たらハンバーグ定食と書いてて、思わずガッツポーズして入って来たよ~」

あたしと一緒だ。綾は思わず吹き出してしまった。

「ぷっ、あははははははは」

「ぶちょう~あたしもおんなじです~」

「ん?何が」

「ハンバーグ定食、絶品ですよね!あたしもガッツポーズしながら入って来たんですよ~」

「そうなの?それは見たかったなぁ~」

「あははははは」

「あはははははははは」

二人は大笑いした。綾はお腹の底から笑ったのは久しぶりだった。

涙が出るくらい大笑いした。


「部長…」

「ん、どうした」ハンカチで涙を拭きながら部長は目線をやった。

「この間の…痴漢のこと、会社には言わないで下さったんですね。。」

「言わなくてもいいことは言わない主義なんだ。貧血を起こしたんだからそれが真実だろう」

部長は優しく微笑む。 …ああ、なんて紳士的な人なんだろう。

「いつも有難うございます、部長にはお世話になってばかりで…」

「いいんだよ、気にするなって言ったろ?それより体調は良くなったの?」

「あ…ええ、はい、お陰様で、もうすっかり」

「それは良かった、心配してたんだぞ」


部長はそう言い終えるとスケジュール調に目を通し始めた。

綾は迷った…部長に全て話してしまおうか…でも、重すぎるかな…

迷ってるうちに、綾が頼んだハンバーグ定食が運ばれてきた。

デミグラスソースの香ばしい香りが漂う、柔らかなハンバーグだ。

「お先にどうぞ」

「ではお先に頂きます」

綾がハンバーグをひと口食べたとたん、何とも言えない気分の悪さが襲ってきた。

我慢して飲み込もうとするが、胃がそれを拒否する。

とうとう綾はトイレに駆け込んでしまった…。


「ハァハァ…部長に気付かれたかしら…」


綾は何事もなかったかのような顔をして席に戻ったら、

部長は定食を食べ終えるところだった。

「すみません…やっぱり体調が戻ってないみたいで。。」

すまなそうに席に着く綾。

「大丈夫なのか?どうだ…?食べれそう?」

綾は定食に目をやったが、どうも無理そうだ。

「僕が食べてあげるよ」

そういうと、自分の空になったものと綾のものを取り替えてくれた。

「美味しいから二人分ぐらいペロリだ」

笑ってくれたものの、実際は無理して食べてくれてるのは目に見えて分かった。

「ありがとうございます…本当に…」

さっきとは打って変わって、涙が出そうになった。

「気にするなって言ったろ?今日は特別腹が減ってるんだ」

「部長の前では醜態ばかりですね」

「そういえばそうなのかな」

とぼけたような返事をしながら次々とハンバーグは部長の胃袋に吸い込まれていった。

綾が半ば感心しながら見ていると、突然、

「あ、そうそう、今度の週末、予定あるかい」

食べ終えた部長は水で喉を潤しながら聞いてきた。


その日は人間さんと待ち合わせの日だ。

なんてタイミング。

「すみません、先約がありまして…」

綾は申し訳なさそうに答えた。

「そうか…いや、私も結構休日出勤が多くてね…さっき確認したら今週末ならと思ったんだが、先約があるのなら仕方ないな。最近、元気が無かったから気晴らしに、と思ってね」

ああ、もう…ほんっとタイミング悪いなぁ…お礼をするチャンスだったのに…

でもなんで私に良くしてくれるんだろう?

「部長、どうしていつも優しくして下さるんですか」

「んー、どうしてだろうね」

「あ!そうだ、ここの支払い、私にさせて下さい、お礼も込めて」

部長は悪戯っぽく笑って、

「それも気にしない。食べたのは私だけだ。もう済んでるし」

そう言うと、いつもの頭ポンポンをした。


今日も綾は惨敗だった。

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