生きる
出水貞光
生きる
蒸し暑さが続く、大雨と快晴を行き来する天候は感情が繊細な子供のようで自分にはもう持ち得ない気持ちなんだと好きになれなかった。真夜中雨が止んで日中大雨のせいで買いに行けなかったことを言い訳に別に飲まなくてもいい酒を買いに安いワンルームを私は後にした。自宅から一番近いコンビニへ向かう、街灯も2本か3本しかない真っ暗な道のりは大きな起伏もなく平坦でゆっくりと下っていく私は歩いている最中いつも考えさせられる、この道は私の人生そのものではないかと。
私の両親は私が世の中でいう普通のサラリーマンになって普通に結婚して普通に子供ができて普通に墓に入る。これが親の望む順風な人生なのではないか、しかし、私は両親が望むことを放棄し世の中の普通は他人の普通だ、私の普通とは違うと決めつけて少しづつ先人達が築いたマラソンコースを外れていった。気づけば世の中に普通にいる破滅型の人間が出来上がってしまっていた、定職にも就かず、たいして稼いでもいないのに金で後輩や女の人望を買い、いく先々で自分はまだこんなところで燻っている場合じゃないと、自分には能力があると、これまでもどこでもすぐに順応して仕事は出来るやつだと周りからも認められてきたじゃないかと居場所を転々とした、それは錯覚だった。
私は多分人一番承認欲求が強く当時もっといろんな人に自分という自己を認めて欲しいと願っていたのではないかと思う、こうやって日銭を稼ぐ毎日を過ごし今の自宅で身動きが取れなくなるまで自分自身を見つめ直すことをしてこなかった。考えてみれば努力なんてしてこなかった、欲求は人一倍あるくせに誘惑には弱く自分には甘い、少しばかり周りより地頭の良さでその場凌ぎの嘘と建前で体を塗り固め今までを乗り越えてきただけ、蓋を開ければ空っぽで何もない人間なのに、そんなこと分かっていて修正もできたはずなのに時はもう過ぎすぎるくらいに過ぎた。こんなことは考えれるのに実行できる体力はもう残ってない、あれだけ慕ってくれていたと勝手に思っていた仲間たちやたくさん世話をしたはずなのにと思っていた後輩ももう誰からも連絡を寄越さなくなっていた。
歩いている道中過ぎていく街灯をこれまでの人生の岐路に見立てここが学生時代で次があの会社でとしている間にコンビニに着く前の少し大きな橋を過ぎコンビニで度数の強い缶チューハイを3本買い店を出てすぐに1本目を開け飲み始める、早く酩酊したいと、たいして美味いと思ったことがない酒をその場で飲み干す。帰る際にはまた自分の来た道を振り返ればいけない現実を直視したくないと願う駄々をこねる子供みたいに、いやまだ子供なのかもしれないと思った。コンビニ前の横断歩道こんな時間に車も通らないのに信号が赤から青に変わるのを待っている間、スマホを触り誰からもメッセージが届かないLINEを開く、学生時代の同級生のサムネイルを見ていくと当時付き合っていた女達は私ではなく別の誰かとの自分の子供の写真をサムネイルにしていたり、よくつるんでいた男達は成功者の面構えをした顎髭を蓄えフェードカットの自分の顔写真をサムネイルにしていた。これが大人になることとすれば自分はまだまだ子供ということかと、勝手に思っている自分のサムネイルは今の自分を見せたり誤魔化すのが恥ずかしいのか未設定だった。この未設定のなにもない人の形を描いたサムネイルが自分そのものかと勝手に納得した。
横断歩道を渡りさっき通り過ぎたばかりの橋に着きそこで足を止めた、もう1本缶チューハイを空けて飲み始め煙草を吹かした。自分の周囲を見渡すとこの暗さになれたのか少し景色が見えるようになってきた、さっきまでいたコンビニの周りにはマンションや新しくできた住宅、まだ建設途中のものまでぎゅうぎゅうに並んでいる。見ているとまだ窓の灯りがついている家が何件かあった、あの灯りの内にも私には知り得ない生活があるのだろうもしかしたら同じことを考えている人間がいるのだろうか、いやそれともあの高いとこにある窓の灯りの内には今の現状でもう自分はここまでよくやったと酒を片手に酔いしれてる人間が居たりするのだろうかと、そんな考えても仕方のないことを考えても他人の人生は他人の物で自分のものではないし、自分が胸の内に秘める絶望は自分のものだけで他人に理解して欲しいとも思わない。
昔本で読んだ気がした人それぞれにそれぞれの絶望があると。誰だったかな、キルケゴールだったかなと私は橋の上で2本目を飲み干し頭上に浮かぶ真っ暗を見上げる。アルコールを急いで摂取したせいか自分の意識がぼやけていくのがいつもより少し早い、気分が良かった。側から見ればやっている事は低俗だが酔って気が大きくなり夜更けにこんなことを考えている自分が少し高尚な人種に思えた気がしてここで終わってもいいのではないか、終着点でもいいのではないかと。
昔から若くして自死した有名なミュージシャンや詩人や作家や女優も境遇は違えども自ら死を選んだではないかと、その理由はその本人にしかわからないしもう誰も知り得ないことで、民放はテレビの特番で他者の死を慈しみ見ている側に共感を覚えさせ、コメンテーターや故人の友人たちはなぜ救ってやれなかったのかと嘆き、週刊誌は陰謀論をこじつける、しかし本当のところ理由なんて本人にしかわからないし、もしかしたら死を選ぶことが故人にとって救いであったかもしれないじゃないかと自分は別に偉大なる先人達とは違い何かを訴えてきたわけでも、伝えてきたわけでもないのに......
橋の手すりに足を掛けた。遥か下の川面を覗くと穏やかなせせらぎと脇の林から私を見て笑う虫達の声が聞こえてくる。
生きる 出水貞光 @izumisadamitsu
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