第7話 灰と憂晴らし

湿気しけったパンとぬるい珈琲…この何百円の食事に見合うほど俺の人生は彩られていただろうか…。


『いらない…要らない。もう何もかもてて…何処か遠くに。』


煙草をくわえたまま、火も着けずこんな考えに明け暮れている。いつものルーティング…ベンチに深く腰掛け、酷く猫背のスーツ男は、革靴を鳴らしながら気だるそうに空を眺めやる。空の蒼さにはっとさせられたのも束の間…己の現状に嫌気が差し、諦めたように軽く舌で火花を散らした。咥えたままの煙草は御座おざなりにならぬよう、静かにライターを近付ける。ともされたあか幾分いくぶんましな賑やかさ。


…この煙草の火が消える頃には、また書類の山とにらめっこだ。さながらオフィスとの根競こんくらべ…俺が負けるかパソコンが折れるか。戻りたくねえ…。


煙草の灰が一欠片ひとかけら、革靴の側へ

零れ落ちてそっと崩れた。


『これも…要らない…か。』


散り際のシミを残して男はベンチを後にした。

美しく淡い灰色が彼を追うように舞っていることにも気付かずに…。





そして今、海に独り。


一頻ひとしきり風を受け入れ

雲間から零れ落ちる月明かりを身に浴びて

潮のとどろきさえも彼の一部となっていく


『…心地いい。』


何もかもが俺を満たしていく。

身体の隅々まで爽快な風が駆け抜けて行く。

何処までも尽きることなく溢れる海風。

この世界で生まれるエネルギーの全てが原動力エンジンとなった瞬間…



俺は本当の自分に戻る。




風を纏うて膨らむ衣服

弓形ゆみなりに反らした背

広げた両腕の指先は確かに風を掴み

月光が背中に弧を描く


注がれた光は夜風と共に彼の身体を浮かび上がらせた




白金ぷらちなの光を宿した翼




…その姿は




海原に降り立つ天の使ひ

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