第6話 NightAir

「○○市民プール…って何処どこだよ、これ。」


全く見覚えのない小さな市営のプール…突如その駐車場を指し示したカーナビは、まるで急かすように蒼白い灯火ともしびを明滅させている。高速を流れるまま走り続け、名も知らぬ街の看板をいくつも通り過ぎた。此処ここへ来て急激な路線変更。男独りの小旅行は何処へ………何だか出鼻をくじかれた気分だ。

『はぁ………何だかなぁ。』

突拍子とっぴょうしもない出来事に先刻さっきの震えは消え失せており、いっあきれ返るように大きく息をついた。


ポンッ…!□□道を通るルートです。


「うわっ…!喋った!?」

心を見透かされたのか、今まで静寂を護っていたカーナビが躊躇ためらう俺を容赦ようしゃなく先導する。


ポンッ…!3km先、右方向です。


「はいはいはいはいっ…!わかったから、行きますって!」

考える間を与えず、次々とルートを指定してくる…カーナビにまで指示される日が来ようとは。

さま「はい」と答えてしまった…サラリーマンの悲しきさがか。

ウィンカーを出し右折の準備をしながらなかば泣きたい気持ちになってきたが、不可思議な出来事に高まる緊張と好奇心を隠せずにいる俺は、勢いでラジヲスイッチをつまみボリュームを上げた。

途端とたんかばんすみで手帳脇に追いやられたミント味のタブレットを思い出す。煙草を買ってしまっていたが、こういうドライブで口寂しさをまぎらわすには薄荷はっかの薫りが似つかわしい。分厚い革製の狭苦しい空間に掌をじ込み、タブレットケースを取り出すと水色混じりの白い粒を2、3口へ放り込んだ。

ツンと爽やかな薫りが鼻を通り抜ける。白い粒を奥歯のはしで噛み砕けば、より一層の刺激に目が冴えていく。

ミントの清涼感たっぷりで幕を開けたカーナビとの二人旅。

もしかしたら夢かもしれない…いや、そうであって欲しい…と不安を掠めながらも、一寸ちょっとしたワンダーランドの予感に胸踊っていた。…いい歳のサラリーマンがだ。鼻でわらってしまう。


ポンッ…!○○インター左方向出口です。


「おっ…もう降りるのか。」

咄嗟とっさに左車線へ移る。

何時いつからだろうか…辺りに車は一台も見当たらず、スムーズ過ぎる旅路たびじを走ってきた。

出口は目の前…誰も気に止めることのないウィンカーを出す。

カランッ…左折をした車の揺れにほんのわずかに檸檬が薫った。名残惜しく引き寄せられるが、ホルダーの空き缶はもう返事をしない。檸檬ソーダによって喉を潤していた時間が懐かしい…少しだけ戻りたくなる。


午後7時33分…高速に乗って1時間弱…目的なしのはずだったドライブが終了へと近づいていく。

高速出口のバーが勢いよく開いた。


ポンッ…!この先、交差点を左方向です。


「うわっ…なんだこれ…。」

道路脇…びっしりと蒼い灯火ともしびが列をす。どうやら街灯らしく、所々ぽっかりと浮かんだ山影をふち取るように闇に沿って並んでいる。

蛍光灯よりも暗く蒼白い光に不気味さが増す。生まれて初めての異様な光景に気圧けおされながらも、何とか道なりに車を走らせて行く。


『現実にこんな景色があり得るなんて…なあ。』


真っ黒な怪物がせまって来る…巨大な山影はちっぽけな俺の恐怖心をあおるには充分過ぎて…身がくんでしまうようだ。しかし、ひるまずアクセルを踏み、足に力を入れ続ける。

たった独り…せまり来る山影を押し退けるように車をひたすら進めるしかなかった。


後日知ったのだが、あの蒼白い街灯は虫除けの為にブラックライトを使用しているとのこと。山合やまあいの村や町に多くみられ、高速道路の合間からもその様子を確認する事ができた。


ポンッ…!600m先、右方向です。その先しばらく道なりに進むルートです。


カーナビだけでも反応してくれることが救いになる。道なりが続く度、ほんのわずかな沈黙さえも恐ろしく感じられていた。そのせいもあって酷く憔悴しょうすいしていたからだろう。

光る画面に安堵あんどの溜息を吐き出すと、カーナビが案内する先に臨海公園の表示が見えた。独り旅が終わりを迎えてしまうようで…急激に焦燥感しょうそうかんと寂しさを感じ、また安堵のせいで空腹を覚えていた。


『そういや、コンビニで買った珈琲とサンドイッチがあったな…。』


小旅行の結末を躊躇ためらう俺は夕餉ゆうげを理由に、目的地に隣接する臨海公園へ足を伸ばすことにした。


「ちょっと進路変更したいんだけど…夕飯もまだだし、いいよな。」


…。

静かに鈍く光を落としたカーナビの様子を了承りょうしょうとらえ、そのまま臨海公園の駐車スペースを目指す。暗がりでよく見えていなかったが、海の側までだいぶ近づいているようだった。

臨海公園の看板が目にまると、ウィンカーを出し広々とした駐車場へ車を進めていく。ガードレールやさくが並んでいるのが見えた。恐らく此処ここから先は海なのだろう。ほどなく停車し、エンジンを止めた。


車の窓越しにそっと波音が聴こえる。


眼前には闇…その向こうに広がる海を想像してドアを開けると、世界は一変した。


しおの薫る海風に全身を撫でられ、誘われるまま車を降りる。

久方ひさかたぶりの海…とどろく波音はこの夜闇の中で一層いっそう力強く迫力を増していた。

少しずつ夜目よめが効いてきて、うすあおい輪郭がぼんやりと姿を現し…静寂な色彩と反対に、渦巻うずま海面うみづらは激しさを繰り返す。


たなびくYシャツ、乱れる髪、しなるパンツスーツ…顔、胸と腹、てのひら、指先から全身で風を受けた。

身体中がしおに染まるようで、戸惑とまどうことなく海風を受け続ける。


うずき出した童心は留まることなく海と風を求めていた。涸渇こかつしていた何かが…乾きが潤されていく。

心底しんていから満たされていく感覚に身をゆだねたまま、時を忘れ、くことなくそうしていた。



遠鳴とおなりに耳をかたむけ男は『  』になった。


ザッと一際ひときわ強い風が吹き渡る。

身体が風にけていくようだ。


雲間が切れ、月が見え隠れする。


暗がりの海原うなばらが月光をはじいてはきらめいて…まとっていた薄碧うすあおを脱ぎ捨て、海はの姿を現す。

そのたびに重なる潮騒しおさいが遠く響き、吹きすさぶ風と呼応する。





男はただ独り、夜の海に魅入みいっていた。

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