#11 夢は起きている時より、寝ている時に見たい

 制限時間は三分、その中で発表できるスローガンを考える必要がある。

 最上先輩はすでに考えていたのか、未だに中心部でおかしなポーズを決めている。


 あの人に気を取られてたら、時間が足りなくなるぞ……!

 そう自分を戒めて、俺はスケッチブックに筆を走らせた。


「タイムアーップ! さぁ、順に発表といこうか! まずは僕から!」


 最上先輩は、机上のスケッチブックを手に取り、高々と掲げる。

 

「僕の考えたスローガンは、『最高の文化祭で、最高の楽しいを!』だ! 意味は言わなくても分かるね! 最高の文化祭をして、最高に楽しもうということだ!」


 最上先輩の文化祭への方針が、明確に打ち出されているスローガンだな。


 自分を囲む観衆の目に届くよう、両面に書かれたスローガンは、横向きの俺たちには全く見えていなかった。

 

 だが、心配はない。

 すでに教室の前方に位置するホワイトボードには、綾音先輩の美しい筆跡で『最高の文化祭で、最高の楽しいを!』と書かれていた。


 ホワイトボードに目をやった最上先輩が、パチンと指を鳴らす。


「さすが綾音君! 仕事が早いね!」


「総一郎様のご意見は、先に伺っておりましたので」


「僕は、それを込みで褒めているんだよ!」


「勿体ないお言葉です」


 綾音先輩は、そう言って最上先輩に頭を下げる。

 そういえば綾音先輩って、最上先輩の家でメイドとして働いてるんだっけ。普段は凛としたイメージがあるけど、どんなメイド姿なんだろう。


 俺も男だ。少しくらい興味はある。

 そんな雑念は、隣から肘を小突かれ中断される。


「(ねぇ、間宮君。綾音先輩のこと見ながら、ニヤニヤしてない?)」


「(そ、そんな訳ないだろ! メイド姿に興味があるとか、全然思ってない)」


 俺の答えに、小野寺の目がすぅっと細められる。あまりの冷たさに、俺の身に局地的な冬が到来する。

 

「(へぇ、そんなこと考えてたんだ。綾音先輩、綺麗だもんね)」


「(それなら小野寺だって――)」


 あ、しまった。慌てて口つぐむが、もう手遅れだ。


 じっと見つめられ、俺は逃げられないことを悟る。

 焦りのせいで、さっきから口を滑らせてばっかだ。しかし、これ以上体感温度を下げれば俺の命が危うい。

 

 正直に言うしかないか……。

 

「(…………小野寺だって綺麗だと、俺は思ってる)」


 俺の返答に、小野寺は口をパクパクさせて固まってしまう。


「え、え? え?」


 小野寺は声を潜めることも忘れ、顔から湯気を出していた。

 冬は一過し、俺の周囲には早くも夏が到来しようとしていた。


「次は間宮君の番だ! ……期待しているよ」


 気付けば、発表順は俺に回ってきていた。

 

 って今、最上先輩『期待しているよ』って言ってなかったか? ……いや気のせいか。俺は、あの人と実行委員会で初めて顔を合わせたし、期待されるようなことは何もしてない。急激な温度変化で、幻聴でも聞こえたのだろう。


 俺は立ち上がり、スケッチブックを胸の前に掲げる。


「『喜・怒・哀・楽々』というのを考えました。文化祭という行事は、楽しいことだけではないと思います。準備期間を含めれば、衝突や失敗もあるでしょう。しかし、終わり良ければ全て良しという言葉もあります。最後が楽しければ、文化祭はいい思い出になるという意味を込めました」


 俺が発表を終えると、目の前からすすり泣く声が聞こえてくる。

 泣いているのは、最上先輩だった。


「くっ……間宮君……素晴らしいスローガンだね……ぐすっ……僕は感動したよ……。文化祭は楽しいことだけじゃない……その通りだよ! だからこそ、僕らは最高の文化祭を作らなきゃいけないんだ!」


 最上先輩の熱い思いに応えるように、教室に拍手が巻き起こる。


「ありがとう! ありがとう! 僕は文化祭実行委員長として、責務を全うすることを約束するよ!」


 割れんばかりの拍手を受けて、最上先輩は堂々と宣言する。

 その異様とも思える空間に呑まれながら、俺は力なく席に着いた。



「ということで、今年の文化祭のスローガンは『最高の文化祭で、最高の楽しいを!』に決定だ! 皆、素晴らしいアイデアをありがとう!」


 スローガンが決定し、それに伴い今日の実行委員会は解散となった。


 結果は、予定調和といえるものだった。最上先輩も感動していたし、我ながらいい出来だと思っていたが、こういう投票は人望ありきだ。人望で最上先輩に勝てるはずもない。

 

「まぁ、負け惜しみを言ってもしょうがないんだけどな」


 撤収作業中の教室に、そんな呟きが漏れる。

 

「そんなことはないぞ、間宮君」


 いつの間にか、背後に最上先輩が立っていた。

 最上先輩は、どこか遠くを見る目で教室に目を向ける。その視線の先には、綾音先輩の姿があった。

 

「君のスローガンは、楽しさの裏に潜む数多の辛さに目を向けたものだ。とても多角的で、僕の画一的なものよりも現実を見ている。しかし、だ。現実的な意見だけが、必ずしも正解とは限らないんだよ。――だって文化祭は、夢のような時間を作り出すものだからね」


 いつもの鼓舞する熱ではない、透き通った発声で告げられた言葉が、心にすとんと落ちた。

 

 スローガンとは理念。つまり、文化祭をどのようなものにしたいかを表すものだ。

 最上先輩は辛さから目を背けたわけではなく、それを上書きするような楽しさを今年の軸にするつもりなのだ。


「僕は、君に期待しているんだ。小野寺君とも上手くやれているみたいだし」


 げっ、あの噂って三年生にも広まってるのか。

 

「あれは誤解というか、ただの噂というか……」


「あぁ、許婚という話は、僕も信じていないよ。実は家の仕事は、彼女のお父上の仕事と繋がりが深くてね。勝手に妹だと思っている。それもあって、他の生徒よりは彼女のことを知っているつもりなんだ」


 そう言って、最上先輩は「内緒だよ」と指に手を当てる。


「だから、君と実行委員になったと知った時はびっくりしたよ。君といる時の小野寺君は、本当に楽しそうだ」


 柔らかい笑みを浮かべる最上先輩の表情からは、兄というよりも、むしろ父親の影を感じる。


 というか、俺達は外からだとそういう風に見えているのか。

 客観的な姿を想像すると、恥ずかしさで言葉が出てこない。

 

「君が義弟なら、僕も嬉しいよ。恋路を行く者同士、世話を焼かせてくれ」


「俺はそういうんじゃ……え、同士って最上先輩も――」


「おっと、長話をしてしまったね。さぁ! 僕らも撤収に向かうぞ!」


 目を離せば羽ばたいていってしまいそうな背中を追いかけて、俺は最上先輩の後に続いた。

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