#9 休日は一週間の放課後 後編

「私が買ってきたのは、これだよ」

 

 そう言って小野寺は、”デミグラスソースのオムライス”と書かれたレシートを見せる。


「オムライスか」


「うん。しょっぱい卵焼きの方が好きって言ってたから、味濃いめの卵料理を選んでみたんだ」


 事前情報を活かした選択から、外さないという意志を感じる。

 俺は小野寺から呼び出しベルを受け取ると、用意したレシートを机上に置いた。


「じゃあ、次は俺の番だ」


 俺が差し出した”ローストビーフ丼”のレシートに、小野寺は目を丸くする。

 小野寺の好みについて全く知らない俺は、無難を狙うのではなく、振り切った選択を取ることにした。


 ……決して、俺が美味しそうだと思ったとか、小野寺にいいものを食べてもらいたかったとかが理由ではない。


「私、ローストビーフ丼なんて初めて食べるよ」


「俺も食べたことはないから、味については保証できない」


 我ながら無責任だとは思うが、言い出しっぺは小野寺だ。責任は彼女自信に取ってもらうとしよう。


 互いの手札を出し終えたタイミングで、二つのベルの音が響く。

 その音を合図に、俺たちは商品を受け取るため、先ほどとは違う店へ足を向けた。


「いただきます」


 眼前に並ぶ料理を前に、それぞれ手を合わせる。


 小野寺が注文したオムライスは、真円に近いドーム型だ。火を通しきっていない半熟の孤島が、デミグラスソースの海に浮かんでいる。

 島の内部をスプーンで掻き分け、橙の財宝と一緒に口に運ぶ。


「美味いな」


 まろやかな卵と、胡椒の効いたチキンライスとの調和が、食欲を刺激する。

 続いてソースをくぐらせ、味の変化を楽しむ。


 お、この食べ方だとコクが増して上品な味になるのか。


 そういえば、ローストビーフ丼は口に合っただろうか。

 様子が気になって、小野寺にちらりと目をやる。


 とろりとした卵が乗った肉の山を、どんどんと食べ進める小野寺。そのスピードは意外にも早く、すでに三割ほど平らげている。

 その姿に、俺は胸が満たされるような感覚を覚えた。


 良かった。どうやらお気に召したらしい。

 安堵に鼻を鳴らし、俺は再びオムライスを食べ始めた。



「ごちそうさまでした」


 食器を返却し、フードコートを後にする。


「ローストビーフ丼、すごい美味しかったよ」


「それは良かった。こっちのオムライスも、中々絶品だったぞ」


「そっか。なら良かった」


 食休みも兼ねて、俺たちは店内のベンチに腰をかけていた。


「小野寺が美味しそうに食べてたから、俺もローストビーフ丼に興味が湧いてきたな」


「え、見てたの?」


 小野寺は動揺したのか、あわあわと口を動かしている。しかし、一向に言葉は出てこない。

 俺の視線に気付かないほど、夢中で食べていたのだろうか。そう考えると、メニューを選んだ俺としても嬉しい話だ。


「は、恥ずかしいな……。私、変じゃなかった?」


「人の気を惹く食べっぷりだったんだ。むしろ気持ちいいくらいだよ」


「それが恥ずかしいんだよ……」


 その消え入りそうな声と共に、小野寺の体が縮こまってしまう。

 ――こういう時、どう声をかけたらいいんだ?


「簡単じゃない。優しく抱きしめて、そっと囁くのよ。『俺が悪かった』って」


 呆れた口調でそう言うのは、天使の羽を生やした蓮。

 たしかに、女心という点では蓮の意見は心強い。そんな俺の深層心理が、彼女を具現化させたのかもしれない。


 だが、助言をしに来たのは蓮だけではなかった。


「まったく、蓮は何も分かってないな。こういう時はお金だよ、お金。世の中に、お金で解決できないことはないんだ」


 蓮が天使だとすると、こっちは悪魔といったところか。

 ……というか、俺の中の翔太のイメージってこんなだったのか?


「翔くんこそ、何も分かってないわ。女の子っていうのはね、男の行動一つで嬉しくなるものなの」


「そんなこと言ったって、蓮だってお金を貰えたら機嫌を直すだろ?」


「お、お金は嬉しいかもしれないけど……。でも! 愛情はお金で買えないの!」


 おい、俺を置いて喧嘩するのはやめてくれ。

 俺の脳内に限って言えば、こいつらは信用できる相手じゃなかった。


 不意に、別の声が俺の頭に木霊する。それは懐かしくもありながら、俺の心に染み渡るような響きだった。


「本心を隠さず、ちゃんと謝りましょう。そうすれば、小野寺さんも分かってくれるはずです」


 ――やっぱり、最後に頼れるのは妹だよな。

 心の女神に感謝した後、俺は意を決して小野寺に言葉をかける。


「その、嫌な言い方して悪かった。困らせたかったわけじゃなくて、本当に、心の底からいいなと思ったんだ」


 ぽつりぽつりと、拙いながらに言葉を繋げる。

 こちらを見てはいないが、小野寺も耳を傾けてくれているようだった。


「……美味しそうに食べてて、可愛いなとも思ったし」


「か、かわ、可愛い?!」


 小野寺の横顔が、瞬く間に真っ赤に染まる。

 俺だって恥ずかしい。でも、本心を隠すなと言われた以上、包み隠さず言葉にするしかなかった。


「そんなこと言われちゃったら、恥ずかしがってる私が馬鹿みたいじゃん……」


 小野寺がこちらを睨んでくるが、潤んだ瞳では迫力に欠けていた。


「また食べに来よう。今度は、注文を逆にしてさ」


「今度っていつ?」


「そうだな……一ヶ月後とかかな」


「じゃあ一ヶ月後は、間宮君から誘ってね」


 予期せぬカウンターは、仕返しと言わんばかりだった。

 俺は未来の自分に希望を託し、小野寺に頷いてみせた。

 


「来週から、またお弁当作ってきてもいい?」


 ホームで電車を待っていると、突然小野寺が尋ねてきた。


「俺は助かるけど、小野寺が大変じゃないか?」


「元々お母さんの手伝いはしてたから、そんなにやることは増えないよ。……あ、間宮君の分は、全部私が作ってるから安心してね」


 その補足のせいで、変に意識しちゃうんですけど。


「食費を浮かせてもらえるなら、弁当代は出すよ」


「ううん。私が好きでやってることだから、お金は貰えないよ」


 ありがたい話ではあるが、タダでというわけにはいかない。どうにかして、小野寺にお金を受け取ってもらいたかった。


「じゃあ、俺がおかずを一品リクエストする代わりに、小野寺はリクエスト代を貰うっていうシステムはどうだ? これならWin-Winだろ」


 逡巡してから、小野寺は口を開いた。


「……分かった。でも、本当に少しでいいからね?」


「小銭が多いと面倒だろうから、五百円玉で払うよ。五百円玉貯金してるから、任せてくれ」


「じゃあ、五百円で承ります。そうだ、リクエスト聞く時のために……連絡先、交換してくれない?」


 そういえば、今日の発端は連絡手段がなかったことだったな。また出かける約束もしたことだし、今後のためにも交換しておくべきだろう。


「LINEでいいか?」


「うん!」


 満面の同意を受けて、早速交換しようとしたのだが……。


「QRコードって、どうやって出すの?」


「たしかここを押して……あれ? 二人でコード出しても、読み取れなきゃ交換できなくないか?」


 SNSに不慣れな俺たちは、連絡先を交換するだけで手間取っていた。

 

「あ、ここにカメラ起動ってあるよ。これで……できた!」


 結局、連絡先を手に入れられたのは、電車が到着するギリギリになってからだった。

 

「じゃあ、私はこっちだから。えっと……またね」


「あぁ、またな」


 発車のベルが鳴り、俺と小野寺は扉に隔てられる。

 

 ただの挨拶のはずなのに、どこか特別感があるのは休日だからなのだろうか。

 また会えるという期待と安心が、別れる寂しさを引き立てているような気がした。


 その日の夜、小野寺から『今日は楽しかったです。また遊ぼうね』と初めての連絡が届いた。

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