#9 休日は一週間の放課後 後編
「私が買ってきたのは、これだよ」
そう言って小野寺は、”デミグラスソースのオムライス”と書かれたレシートを見せる。
「オムライスか」
「うん。しょっぱい卵焼きの方が好きって言ってたから、味濃いめの卵料理を選んでみたんだ」
事前情報を活かした選択から、外さないという意志を感じる。
俺は小野寺から呼び出しベルを受け取ると、用意したレシートを机上に置いた。
「じゃあ、次は俺の番だ」
俺が差し出した”ローストビーフ丼”のレシートに、小野寺は目を丸くする。
小野寺の好みについて全く知らない俺は、無難を狙うのではなく、振り切った選択を取ることにした。
……決して、俺が美味しそうだと思ったとか、小野寺にいいものを食べてもらいたかったとかが理由ではない。
「私、ローストビーフ丼なんて初めて食べるよ」
「俺も食べたことはないから、味については保証できない」
我ながら無責任だとは思うが、言い出しっぺは小野寺だ。責任は彼女自信に取ってもらうとしよう。
互いの手札を出し終えたタイミングで、二つのベルの音が響く。
その音を合図に、俺たちは商品を受け取るため、先ほどとは違う店へ足を向けた。
「いただきます」
眼前に並ぶ料理を前に、それぞれ手を合わせる。
小野寺が注文したオムライスは、真円に近いドーム型だ。火を通しきっていない半熟の孤島が、デミグラスソースの海に浮かんでいる。
島の内部をスプーンで掻き分け、橙の財宝と一緒に口に運ぶ。
「美味いな」
まろやかな卵と、胡椒の効いたチキンライスとの調和が、食欲を刺激する。
続いてソースをくぐらせ、味の変化を楽しむ。
お、この食べ方だとコクが増して上品な味になるのか。
そういえば、ローストビーフ丼は口に合っただろうか。
様子が気になって、小野寺にちらりと目をやる。
とろりとした卵が乗った肉の山を、どんどんと食べ進める小野寺。そのスピードは意外にも早く、すでに三割ほど平らげている。
その姿に、俺は胸が満たされるような感覚を覚えた。
良かった。どうやらお気に召したらしい。
安堵に鼻を鳴らし、俺は再びオムライスを食べ始めた。
◇
「ごちそうさまでした」
食器を返却し、フードコートを後にする。
「ローストビーフ丼、すごい美味しかったよ」
「それは良かった。こっちのオムライスも、中々絶品だったぞ」
「そっか。なら良かった」
食休みも兼ねて、俺たちは店内のベンチに腰をかけていた。
「小野寺が美味しそうに食べてたから、俺もローストビーフ丼に興味が湧いてきたな」
「え、見てたの?」
小野寺は動揺したのか、あわあわと口を動かしている。しかし、一向に言葉は出てこない。
俺の視線に気付かないほど、夢中で食べていたのだろうか。そう考えると、メニューを選んだ俺としても嬉しい話だ。
「は、恥ずかしいな……。私、変じゃなかった?」
「人の気を惹く食べっぷりだったんだ。むしろ気持ちいいくらいだよ」
「それが恥ずかしいんだよ……」
その消え入りそうな声と共に、小野寺の体が縮こまってしまう。
――こういう時、どう声をかけたらいいんだ?
「簡単じゃない。優しく抱きしめて、そっと囁くのよ。『俺が悪かった』って」
呆れた口調でそう言うのは、天使の羽を生やした蓮。
たしかに、女心という点では蓮の意見は心強い。そんな俺の深層心理が、彼女を具現化させたのかもしれない。
だが、助言をしに来たのは蓮だけではなかった。
「まったく、蓮は何も分かってないな。こういう時はお金だよ、お金。世の中に、お金で解決できないことはないんだ」
蓮が天使だとすると、こっちは悪魔といったところか。
……というか、俺の中の翔太のイメージってこんなだったのか?
「翔くんこそ、何も分かってないわ。女の子っていうのはね、男の行動一つで嬉しくなるものなの」
「そんなこと言ったって、蓮だってお金を貰えたら機嫌を直すだろ?」
「お、お金は嬉しいかもしれないけど……。でも! 愛情はお金で買えないの!」
おい、俺を置いて喧嘩するのはやめてくれ。
俺の脳内に限って言えば、こいつらは信用できる相手じゃなかった。
不意に、別の声が俺の頭に木霊する。それは懐かしくもありながら、俺の心に染み渡るような響きだった。
「本心を隠さず、ちゃんと謝りましょう。そうすれば、小野寺さんも分かってくれるはずです」
――やっぱり、最後に頼れるのは妹だよな。
心の女神に感謝した後、俺は意を決して小野寺に言葉をかける。
「その、嫌な言い方して悪かった。困らせたかったわけじゃなくて、本当に、心の底からいいなと思ったんだ」
ぽつりぽつりと、拙いながらに言葉を繋げる。
こちらを見てはいないが、小野寺も耳を傾けてくれているようだった。
「……美味しそうに食べてて、可愛いなとも思ったし」
「か、かわ、可愛い?!」
小野寺の横顔が、瞬く間に真っ赤に染まる。
俺だって恥ずかしい。でも、本心を隠すなと言われた以上、包み隠さず言葉にするしかなかった。
「そんなこと言われちゃったら、恥ずかしがってる私が馬鹿みたいじゃん……」
小野寺がこちらを睨んでくるが、潤んだ瞳では迫力に欠けていた。
「また食べに来よう。今度は、注文を逆にしてさ」
「今度っていつ?」
「そうだな……一ヶ月後とかかな」
「じゃあ一ヶ月後は、間宮君から誘ってね」
予期せぬカウンターは、仕返しと言わんばかりだった。
俺は未来の自分に希望を託し、小野寺に頷いてみせた。
◇
「来週から、またお弁当作ってきてもいい?」
ホームで電車を待っていると、突然小野寺が尋ねてきた。
「俺は助かるけど、小野寺が大変じゃないか?」
「元々お母さんの手伝いはしてたから、そんなにやることは増えないよ。……あ、間宮君の分は、全部私が作ってるから安心してね」
その補足のせいで、変に意識しちゃうんですけど。
「食費を浮かせてもらえるなら、弁当代は出すよ」
「ううん。私が好きでやってることだから、お金は貰えないよ」
ありがたい話ではあるが、タダでというわけにはいかない。どうにかして、小野寺にお金を受け取ってもらいたかった。
「じゃあ、俺がおかずを一品リクエストする代わりに、小野寺はリクエスト代を貰うっていうシステムはどうだ? これならWin-Winだろ」
逡巡してから、小野寺は口を開いた。
「……分かった。でも、本当に少しでいいからね?」
「小銭が多いと面倒だろうから、五百円玉で払うよ。五百円玉貯金してるから、任せてくれ」
「じゃあ、五百円で承ります。そうだ、リクエスト聞く時のために……連絡先、交換してくれない?」
そういえば、今日の発端は連絡手段がなかったことだったな。また出かける約束もしたことだし、今後のためにも交換しておくべきだろう。
「LINEでいいか?」
「うん!」
満面の同意を受けて、早速交換しようとしたのだが……。
「QRコードって、どうやって出すの?」
「たしかここを押して……あれ? 二人でコード出しても、読み取れなきゃ交換できなくないか?」
SNSに不慣れな俺たちは、連絡先を交換するだけで手間取っていた。
「あ、ここにカメラ起動ってあるよ。これで……できた!」
結局、連絡先を手に入れられたのは、電車が到着するギリギリになってからだった。
「じゃあ、私はこっちだから。えっと……またね」
「あぁ、またな」
発車のベルが鳴り、俺と小野寺は扉に隔てられる。
ただの挨拶のはずなのに、どこか特別感があるのは休日だからなのだろうか。
また会えるという期待と安心が、別れる寂しさを引き立てているような気がした。
その日の夜、小野寺から『今日は楽しかったです。また遊ぼうね』と初めての連絡が届いた。
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