#8 休日は一週間の放課後 中編
「ん……」
薄ぼんやりとした曖昧な思考の中、感覚が戻ってくる。
体に触れるひんやりとした硬さが、熱を吸い取ってくれて心地良い。頭部を包み込む柔らかさも相まって、夢見心地だ。
程良い沈み込みと鼻を通して伝わる香りは、安心感を与えてくれる。
「あ、起きたんだね」
小野寺と目が合うが、その絶妙に噛み合わない視線に違和感を覚える。
あれ、なんで小野寺は顔を傾けてるんだ?
「おはよう」
小野寺が目を細めて微笑むと、彼女の耳にかかった髪の一房が、俺の顔にさらりと落ちた。
「わっ、ごめんね!」
慌てた様子を見せる小野寺の動きと共に、俺の頭も縦横無尽に動き回る。
そしてこの揺さぶりが、俺の思考を徐々に鮮明にしていく。
頭だけの柔らかい感触、なぜか横を向いている小野寺、俺に落ちてくる髪。これまでの手がかりを統合して、俺は一つの結論に辿り着いた。
…………膝枕か。
辿り着いてしまったからこそ、この状況でどうするべきかが分からなくなってしまう。
とりあえず、早く起き上がらないと……。
上半身に力を入れて、無理矢理体を起こす。
俺の頭があった場所に目を向けると、そこにはあったのは、やはり――小野寺の太腿だった。
「もう動いて大丈夫なの?」
不安げな声色で尋ねる小野寺の顔を、俺は直視することができなかった。
「あ、あぁ」
「本当? でも、まだ顔赤いよ」
「……それなら、その内引くから問題ない」
俺の返答に、小野寺が納得したのかは分からない。それでも、それ以上の追及がないことに感謝した。
「そういえば、どれくらい眠ってたんだ?」
「うーん、五分くらいかな」
その間、小野寺の脚に負担をかけていたのか。迷惑をかけておいて、恥ずかしがっている場合じゃないな。
俺はそそくさと立ち上がり、小野寺に頭を下げる。
「介抱してくれて助かった。ありがとう」
「き、気にしないで! 元々は、私が押しかけちゃったのが悪いんだから……」
「いや、これは俺の不注意が招いたことだ。小野寺は悪くない」
「……それなら、どっちも悪いってことでこの話は終わり! せっかく遊びに来たんだから、楽しまないと」
隣に並んだ小野寺は俺の手を取ると、そう言って眩しい表情を見せた。
◇
目的地に到着した俺たちは、買うべき物を確認する。
俺はポケットからメモを取り出し、内容を読み上げる。
「マジックぺンとスケッチブック、首かけのカードケースを人数分だな」
「文具売り場に行けば、大体揃いそうだね」
文具売り場がある四階までは、『もし倒れたら、落ちちゃうでしょ』という小野寺の説得によって、エレベーターで向かうことになったのだが……。
扉が閉まった瞬間、俺は恐るべき事実に気付いた。
今エレベーターの中にいるのは、俺と小野寺の二人。つまり、密室で二人きりということだ。これまで二人きりになる機会はあったが、ここまで狭い空間というのは経験がなかった。
意識した途端に、緊張が押し寄せてくる。エレベーターが上昇するにつれて、急速に喉が渇いていく。
頼む、誰かこのエレベーターに乗ってきてくれ……!
俺の祈りが天に届いたのか、二階に上がったところで老夫婦が乗り合わせた。
後ろに乗り込む老夫婦に、小野寺が声をかける。
「何階に行かれますか?」
「あらお嬢ちゃん、親切にありがとうね。私たちも四階だから大丈夫よ」
こうした細やかな気遣いができるのは、小野寺の美点だろう。応対する小野寺の様子を、俺はぼんやりと見つめる。
エレベーターが動き出すと、おじいさんがしんみりとした口調で話し始めた。
「婆さん、懐かしいな」
「何がですか?」
「儂たちも、昔こうやってデートしたじゃろ。この初々しい二人を見てたら、当時のことを思い出しわい」
「そうね。初めてデートした時の勝さんも、今の坊やみたいに顔を真っ赤にしてたわね」
「ば、馬鹿! そんな赤くなっとらんわ!」
え? 俺の顔、そんなに赤いですか?
俺は自分の頬に手の甲を当てる。
「あっつ……」
どうやら夏は、まだ過ぎ去っていないらしい。
◇
一瞬の浮遊感が訪れた後、目的階を知らせる電子音が鳴る。
「それじゃあ、二人もデート楽しんで頂戴ね」
最後の最後に特大の爆弾を残し、おばあさんはエレベーターを降りて行った。
「……おばあさん、私達のことカップルだって勘違いしてたね」
「そうみたいだな。男女が一緒にいるだけでそんな風に見られると、小野寺も困るよな」
前のクラスの一件では聞けなかったが、小野寺はそういった視線に晒されることを、どう思っているのだろう。
「ううん、そんなことないよ。むしろ……」
「むしろ?」
「え? な、なんでもない! 今のはなし!」
小野寺は手をぶんぶんと振りながら、しきりに「忘れて!」と訴えてくる。
彼女がそう言っている以上、これ以上詮索するのは憚られた。
「とっとと買い出し済ませるか」
「うん……」
売り場に着いてからは、特に足踏みすることはなかった。
結果、俺たちは早々に目的を達成した。
「人数分、ちゃんと買えて良かったね」
「だな。そもそも、スケッチブックを全員分用意して、何するつもりなんだ?」
紙が欲しいなら、わざわざ買わなくてもいい気がするんだが。
「デッサンとか……?」
「さすがにそれは……ないと思いたい」
あの変わった委員長ならやりかねないという一抹の不安から、俺は目を背けた。
「そろそろ昼飯にするか」
「そうだね」
「迷惑かけたし、今日は俺に奢らせてくれ」
その申し出に、小野寺は首を横に振る。
「さっきも言ったでしょ。どっちかじゃなくて、どっちも悪いの。だから……お互いのお昼を買ってみない?」
「面白そうだな。でも、小野寺の好みとか知らないぞ?」
「それも醍醐味だよ。この階にフードコートがあったはずだから、そこで決めよっか」
そうして、熾烈を極める? ランチ選びが幕を開けたのだった。
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