文化祭
#7 休日は一週間の放課後 前編
実行委員としての仕事が思ったよりも忙しく、小野寺と翔太達を集める場を作ることなく休日を迎えてしまった。
今年の文化祭を、過去最高の出来にしようと委員長が息巻いており、早速舵が切られることになったのだ。
両親は相変わらず仕事だが、学生の俺はしっかりと休ませてもらおう。
「それじゃあ、行ってきます」
「気をつけてな」
毎週土曜日は、飛鳥が図書館で勉強をする日だ。
兄としては、一秒でも長く家にいてもらいたいのだが、妹の受験勉強を妨害するなど言語道断。兄の沽券に関わる大問題だ。
だから俺は、今日も涼しい顔をして妹を送り出す。
呼び鈴が鳴ったのは、ちょうどその時だった。
「誰でしょうか?」
飛鳥は小走りで玄関へ向かう。
こんな朝早くに来客なんて珍しいな。……まさか、怪しげな勧誘とかじゃないだろうな? 飛鳥は素直だから、きっと話を鵜呑みにしてしまうはずだ。そして、どこかへ連れて行かれて――
「きゃーっ!」
「飛鳥!」
俺はテーブルに置かれたリモコンを手に取り、弾かれたように玄関へ駆ける。そして、不届き者を成敗しようと右手を振りかぶろうとするが……
「えっと、来ちゃった……」
そこにいたのは、小野寺だった。
ベージュのワンピースを身に纏った小野寺は、ばつが悪いのか落ち着かなそうにしている。足元でちらりと主張するプリーツスカートが、彼女の動きに合わせてなびいていた。
「こんな早くにどうしたんだ?」
「この間の昼休み、遊びに行く約束したでしょ。それで間宮君を誘おうと思ったんだけど、連絡先持ってないから……」
それで家に来たわけか。……俺、部屋着なんだけど。
「急にごめんね。予定、大丈夫だった?」
「ライブもないから今日は一日暇だ」
「兄さんにも、ついに春が来たんですね! それにこんな綺麗な方がお相手なんて……きゃーっ!」
赤く染めた頬を手で覆い、飛鳥は嬉しそうに声を上げる。
悲鳴の正体は、これだったようだ。
「なんで肩を落としてるんですか? せっかく彼女さんが来てるっていうのに」
「飛鳥、それは勘違いだ。俺と小野寺は、そういう関係じゃない」
「じゃあ、どういう関係なんですか?」
「……友達なんだよ」
言葉にするのが照れ臭く、俺は頬を掻きながら答える。
「ふーん……」
飛鳥は釈然としないらしく、俺に疑るような視線を向けている。
「兄さんはこう言ってますけど、小野寺さん的にはどうなんですか?」
俺は真実を伝えたというのに、飛鳥も往生際が悪いな。さぁ、言ってやれ小野寺! 俺たちは友達だと!
「私と間宮君は、友達だよ」
小野寺は優しい眼差しで俺を見据え、そう答える。
「ほうほう、分かりました。兄さん、私が間違っていたみたいです」
「分かってくれて何よりだ」
食い下がっていた割に、飛鳥はあっさりと引き下がる。でも、俺と小野寺の回答は同じだったよな? 俺のことは信じられないけど、小野寺の言うことなら信じられるってこと?
俺は兄としての自信を失いかけていた。
「お友達と遊ぶのもいいですけど、たまには私にも構ってくださいね。妹は、寂しいと死んじゃうんですから」
「ウサギか、お前は」
「いいじゃないですか、可愛くて。じゃあ改めて、行ってきますね。――あ、小野寺さん」
そう言って飛鳥は、小野寺の耳元でこそこそ囁くと、そのまま玄関から出て行ってしまった。
小野寺は顔を真っ赤にしていたが、一体何を吹き込まれたのやら。
「俺たちも行くか」
「う、うん……」
◇
遊びに行くとは言ったが、今回は文化祭関連の買い出しも兼ねている。
俺たちは近くの商業施設へ向かうため、駅を目指していた。
「飛鳥ちゃん、お兄さん思いのいい子だね」
「だろ? 自慢の妹なんだ。料理も上手だし、家事もめちゃくちゃ得意でな。将来誰かに奪われるくらいなら、むしろ俺がお嫁に……」
「あはは、さすがにそれはちょっと……」
これには小野寺も難色を示していた。
兄という生き物は、すべからく妹を独占したいと思っている。しかし、それでも最後は妹の幸せを願い、苦虫を噛み潰すような思いで妹を送り出す日がやってくるのだ。
「間宮君、泣いてるの?」
「妹が嫁入りする光景を想像したら、つい涙が……」
おのれ、もやし男め。どこの馬の骨とも知らないやつに、妹を渡してなるものか。
俺は空想の義弟を頭から追い出し、心の平穏を保とうとする。
「私は一人っ子だから、そういうのちょっと羨ましいかも」
「妹はいいぞ。一日中、なんなら一年中愛でることができる。妹の可愛さは年中無休だ」
「じゃ、じゃあさ、私が妹だったらどうかな?」
小野寺が妹か。
きっと今日みたいな予想外の行動に、俺は手を焼くだろうな。もしかしたら、突然ませてギャルになるかもしれない。あの日は扮装だったが、ギャルの小野寺というのも……
「……案外、悪くないな」
「そ、そう?」
随分と気持ち悪いことを考えてしまった気がするが、小野寺はというと満更でもない様子だった。
「……間宮君は、妹の私になんて呼ばれたい?」
「そうだな、無難に”お兄ちゃん”と呼んでもらいたくもあるが、やっぱり飛鳥に呼ばれている”兄さん”が一番しっくりくる気がする」
「兄さん、か……」
「……!」
確認するような呟きが、俺に電撃を走らせる。
俺は、とんでもない怪物を目覚めさせてしまったのかもしれない。
「ね、ねぇ間宮君。私のことも呼んでくれないかな……?」
俺が小野寺のことを? どうしたんだ急に。
「小野寺」
「違う」
「え?」
「妹のこと、名字で呼ばないでしょ」
……大変なことになってしまった。
小野寺の求めていることに気付き、俺は固唾を飲んだ。
焦るな、間宮光。小野寺はただ、兄妹という関係に興味があるだけだ。だから、俺が小野寺の名前を呼ぶことに一切の下心はない。
たった三文字を発声するだけだ。飛鳥、俺に力を貸してくれ!
浅い呼吸を整え、俺は喉を震わす。
「な、なぎしゃ……」
詰まった上に、盛大に噛んでしまった。
やばい、やばいやばいやばい、恥ずかしすぎる。
あまりの恥ずかしさに、夏が逆戻りしたのではないかと錯覚を起こす。この羞恥は、ギャルの正体を知ったあの日を上回るものだった。
「あははっ」
最初は面食らっていた小野寺だったが、ついには吹き出したように笑い出す。
いつもとは違う、腹の底から笑う姿。
……こんな形で、彼女の素の姿に触れたくはなかった。
「さっきはああ言ったが、兄としてはやっぱり、妹に”お兄ちゃん”って呼ばれたいものだな。……今度はそっちの番だぞ?」
俺は悔しくて、小野寺にちらと目をやり、カウンターを試みる。
挑発的な意志を受け取ったのか、小野寺も負けじと俺を見つめ返す。
一瞬迷う素振りを見せたものの、小野寺が心を決めるのは早かった。
「お兄、ちゃん……?」
瞳を潤わせ、上目遣いでこちらを窺う小野寺。
――完敗だ。俺はもう、今生に悔いはない。
「小野寺、ありがとう……」
この世から未練をなくし、俺は光の粒子となって――あれ? なんだか本当に頭がぼんやりする……。
「ま、間宮君?!」
小野寺が、俺の名前を呼んでいるような気がするが、その声も布を隔てたみたいにくぐもって聞こえる。
……しまった。朝食を抜いたせいで、体に力が入らなくなってるんだ。
そのまま俺の意識は、ぷつりと糸が切れたように途切れた。
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