第46話

 次の日、アメリアは朝一で王立研究所の書庫へ向かった。初代賢者の文献を探すために。

 とは言え、デールが言っていた通り国家機密扱いされているこの赤い瞳のことが、詳細に書かれている資料が簡単に読めるとは思えない。


 カインの持つ鍵で、またあの特別な書庫へ行けば……一瞬そんな考えが過ったが、今カインに接するのは危険かもしれない。


(過去に戻れたあの時は、どうして力を使えたんだろう)


 あまり思い出したくなかったが、勇気を出して記憶を辿る。


 命の危機に晒されたことがトリガーだった可能性はあるけれど、過去の賢者が力を使うたびにそんな状況を作っていたとは考えずらい。


「どうかしたのかい? 難しい顔をして」

「っ!」

 ハッとして振り返ると、カインが薄い笑みを浮かべ立っていた。


 こんな早朝から書庫になんの用なのか、それとも……自分が狙いだろうかと警戒しながら、アメリアは見ていた資料をそっと隠す。


「……少し調べものをしていただけです」

「よければ、僕も手伝おう」

「大丈夫です。丁度、一区切りついたところだったので」


 彼と二人きりになるのは危険だと判断し、アメリアは怪しまれないようさりげなく距離を取ったのだが。


「どうして僕を避けるんだい? 悲しいよ」

「っ……避けてなんて」

 手首を掴まれ引き留められてしまったアメリアは、カインの様子を窺う。


 カインは、こんなことをする人だっただろうか。出会った頃の彼と、雰囲気が違う気がした……。


「でも、今の君は、とても怯えた顔をしている。僕に対して」


 一日冷静に考えた結果、アメリアはデールに全て伝えようと決めた。

 自分に媚薬のレシピの存在を教えたのがカインであること。

 カインの中に悪魔がいるんじゃないかと疑っていること。


 それをカインは察知したのだろうか……。


「いいのかい、僕のことを裏切れば、君の罪が彼の耳に入ることとなるのに」

「え?」

 最初、アメリアは何のことを言われているのか、分からなかったが。


「媚薬……使ったんだろう? それで、彼の心を手に入れた」

 カインは、アメリアが本物の媚薬を完成させた、レオンに飲ませたと思い込んでいるようだった。


「君に書庫の鍵を貸したことが知られれば、僕もただでは済まないんだ。だから……」

「いいえ……あの薬は、失敗に終わったんです」

「おや……では、薬の力に関係なく、君たちは付き合いだしたのか」

 よかったね、とカインは笑みを浮かべ……耳元で囁いてくる。


 ――けれど、未遂に終わったとはいえ、君が媚薬を飲ませようとしていた事が知れたら、レオン君はどう思うだろうね。


 その瞬間、ぐわんっとアメリアの視界が歪む。


「彼は幻滅するかな。するだろうねぇ……信じていた君が、そんな人間だったなんて。そして学園にも広まるだろうね、嫉妬深く汚い君の本性が。そうしたら――君はまた、独りぼっちだ」


 ――可哀相に。


 悲しみや心細さ、不安や恐怖の感情が一気にアメリアの胸の奥から込み上げてきて、僅かに唇が震える。


 けれど、それらの感情に飲み込まれる前に、アメリアは力強くカインの目を見返した。


「だから、おかしな気は起こさない方が……」

「かまいません」

「は?」


 アメリアの返しが予想外だったのか、僅かにカインの表情に困惑の色が浮かぶ。


「もし、わたしの心の弱い部分や汚い部分を知られて、それで皆が離れて行くなら、仕方ないって思うから」

 アメリアは、心を闇に飲まれることなく続けた。


「それでも、わたしは、同じ過ちを繰り返したくないんです。だから、もうあなたの言葉に惑わされたりしない」

「…………」

 カインは、一瞬だけ表情を強張らせ俯いた後。


「それは、それは……困りましたねぇ」

 口の端をつり上げるようにしてクツクツと笑い出す。


「君……なにか、気付いているのかい? ああ、もしかして、赤い瞳は余計なことまで見透かしてしまうのかな?」


 ぶつぶつと呟く彼の、その瞳が、赤く光って見えた。


「カインさん、その目……やっぱり」

「ククッ、二人だけの、秘密だよ?」

「やっ!?」


 そして……逃げる隙も与えられぬまま、アメリアは意識を失ったのだった。



◇◇◇



 休日の昼下がり、アメリアと約束をしていたレオンは、いつもと同じ待ち合わせ場所のベンチに座り、彼女が来るのを待っていた。だが、一向にアメリアは姿を現さない。


 今朝は王立研究所で、デールと大事な話をしなければならないのだと、昨夜アメリアは少し緊張した面持ちで言っていたので、なにか話し合いでもしているのだろうか。


 それが長引いているのかもしれないと最初は思っていたのだが……一時間以上過ぎてもアメリアは来なかった。


 何事もなければそれでいい。ただ、妙な胸騒ぎがしてアメリアの無事を確認するため、王立研究所へと向かうことにした。






 といっても、国の重要機密が密集している建物に、部外者のレオンは立ち入ることができない。

 門の前まで来たものの、どうしたものかと考えていると。


「あら、レオンじゃない。どうしたの? アメリアと待ち合わせ?」

 ちょうど研究所から出てきたアドルフと出くわし、一瞬「げっ」と言いたくなったのを堪えた。


 悪いやつではないことは分かっているのだが、アメリアの唯一の男友達である彼は、なにかとレオンの感情を刺激してくる。


 言ってしまえばただの嫉妬心だ……だが、今回ばかりは、変な意地を張るのはやめようと思った。


「ああ……アメリアと約束してたんだけど、時間を過ぎても来なくて」

 事情を話すと、アドルフはそれなら自分がデールの部屋へ様子を見に行ってこようかと、快く協力してくれた。


「悪いな、助かる」

「ふふ、気にしないで。少し待っててね~」


 本当に気さくでいい奴だと思う。だからこそ、余計にそんないい男がアメリアの身近にいることへ、不安を覚えるのだが……。


 こんな独占欲カッコ悪くて知られたくないので、態度には出さないよう気を付けているが、レオンは余裕のないそんな自分にこっそりとため息を吐いたのだった。






 だがそれから少しして研究所から出てきたアドルフは、難しい顔をしていた。


「アメリア、デール様との約束の時間にも、顔を見せなかったらしいの」

「え……」

 ますますレオンの中にあった、嫌な胸騒ぎが大きくなってゆく。


「それで、デール様も心配していて……」

「やっぱりなにかあったんだ」

 今すぐにアメリアを探しに駆け出したかった。けれど、彼女がどこへ消えたのか、検討もつかなくて動けない。

 それがたまらなくもどかしい。


「落ち着いて。デール様が、話があるって。入構許可証をもらってきたから、とりあえず中へ入りましょう」

「ああ……そうだな」


 ここで感情的になっても解決できない。

 レオンは、逸る気持ちを抑え、とりあえずデールの執務室へと向かったのだった。

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