第45話

 デールは、この赤い目を賢者の瞳と言った。

 伝説と言われるこの国の初代賢者と同じ力が、自分にもあるというのか。


(でも……使い方が分からない)


 だから今、瞳の力を使えと言われても出来ないし、なんの実感も持てないままだった。


「よ、おつかれ」

「レオン!」


 王立研究所を出ると、レオンが門の前まで迎えに来てくれていた。


 今日も放課後は研究所に行く予定だとは伝えていたが、一緒に帰る約束はしていなかったので、いつから待ってくれていたのだろうと慌てて駆け寄る。


「どうしたの、まだ怪我も治ってないのに」

「オレもさっきまで、騎士院に用事があって」


 そろそろアメリアも帰る頃かなと思い、立ち寄ってくれたらしい。

 どのぐらい待ってくれていたのか聞いても「そんなに待ってない」と彼は言う。けれど、繋いだ手は少し冷えていた。


「やっぱりまだ、騎士院もバタバタしてるの?」

 利き手に大ケガを負っているレオンは、しばらく見回りなど休むように言われていると聞いていたのに。呼び出しでもあったのだろうかと、少し心配になる。


「そうだな。騎士院というか、聖騎士たちはいつでも人員不足だから、明日の夜は大変そうだ」

「明日、なにかあるの?」

「ああ、新月の夜だから」


 新月の夜は、悪魔の力が強くなる。

 だから、エリカを誑かした悪魔の正体がはっきりしない以上、聖騎士たちの見回りは強化されるらしい。


「本当なら、オレも駆り出される所だったんだけど……」

 レオンはどこか苦し気に眉を顰める。

 包帯が巻かれている右手は、今でも動かせない様子なので、アメリアもずっと心配していた。


「手が治るまでは無理しちゃダメだよ」

「ああ……うん」

 どこか影のあるレオンの表情が引っ掛かる。


 アメリアが、きゅっと繋いでいた手に力を籠めると、レオンも同じように握り返しながら「実はさ……」と、暗い表情の理由を教えてくれた。


「オレ、聖騎士には、もうなれないかもしれない」

「え……」

 思ってもみなかった告白に、アメリアは驚きを隠せない。

 それほどまでに、レオンの右手の状態は思わしくなかったようだ。


「そんなに酷い怪我だったの?」

 今まで怪我の具合を聞いても、やんわりとはぐらかされていたので、アメリアもはっきりとしたことは聞かされていなかった。


 ずっと包帯を巻いている右手を、レオンは見せたがらなかったし、それなのに無理に見せてとは言えなくて。


「痛みはもうないんだ……そして、感覚もない」

「感覚が?」


「……悪魔に精気を吸われて、所謂ミイラ化した状態なんだ。ほぼ動かせないし……もう、この右手は使い物になんねー」


 自嘲気味に笑ったレオンの姿に、胸が締め付けられる思いがした。

 アメリアの前では、いつもと変わらず振る舞ってくれていたけれど、内心はずっと参っていたのかもしれない。


 だって、レオンは、子供の頃からずっと聖騎士になるために、がんばってきたのに。


「なんでオマエが泣きそうな顔になってるんだよ」

「だって……」

「オレは大丈夫。聖騎士を志した時から、危険と隣り合わせの職種だってことは覚悟のうえだったし。今回の怪我は明らかに、オレの実力不足が招いたことだ」


 噂によれば、無茶をしたエリカを庇って、レオンは怪我をしたのだと聞いていたけれど。こんな風になっても、決して相手を責めようとはせず、行き場のない感情も自分の中で消化しようとしている彼は、やはり強い人だとアメリアは思った。


 なんでオレがこんな目に、と嘆いたっていいのに。


「……ねえ、レオン」

「ん?」


 こんな時、どうしたらいいのか分からない。

 けれど見上げた彼の表情は、悲しみを堪えているように見え、アメリアはぎゅっとレオンを抱き締めた。


 どうしてすぐに、気付いてあげられなかったんだろう。

 こんなにも彼が一人で、行き場のない思いを抱え込んでいたことに。


「っ……どうしたんだよ、突然」

「レオンはいつも、わたしを勇気づけてくれるから。レオンが辛いときは、わたしが支える番だよ」

 そう伝えると、彼は僅かに震える吐息と共に、本音を溢す。


「本当はさ……仕方ないって思ってるけど、悔しい。オレの今まで費やしてきた時間は、なんだったんだろうとか……利き手が使えない生活もさ。こんな手じゃ、もう思うようにオマエを守ってやることもできないんだ」


「そんなことないっ。そんなこと、ないよ……」

 アメリアは、さらにぎゅっとレオンを抱き締める。


「この前、寮でオマエがエリカに襲われた時だって、咄嗟に守ってやれなかった」

 そんな風に感じていたなんて。アメリアは、あの時だってすぐにレオンが守ってくれたから、助かったと思っているのに。


「いつだって、わたしはレオンに守ってもらってるよ」

 感覚のないというレオンの右手を、そっと包み込む。


「……気持ち悪く思わねーの? オレの右手、本物のミイラみたいなんだぜ」

 また自嘲気味に笑うレオンの声は、僅かにだが震えていた。


 そんな彼の気持ちがアメリアには、痛いほど理解できる。この赤い目を、受け入れてくれる人なんていないと、いつも怯えていた過去の自分と重なって見えたから。


「そんなこと思わないよ。大好きな人の手なんだから」

 そう言って、包帯の巻かれた指先にアメリアはキスをした。


「アメリア……」

「大丈夫。きっと治る方法がみつかるよ」

「……そうかな」


 レオンの瞳には、諦めの色が滲んでいるようだ。

 それもそうだろう。現在ミイラ化した者をもとに戻せる方法はない。

 どんなに優秀なポーションも治癒魔法でもだ。


 けど……賢者の石は、どんな不治の病でも、治癒することができたと聞くから。

 もし、この瞳の力の使い方さえ分かれば……可能性はなくないはずだ。


「……いつまでも、後ろ向きじゃだめだよな」

 レオンは笑っていたけれど、無理をしているように感じる。


「そんなことない。たまにはレオンも弱音を吐いていいよ。わたしが、全部受け止めるから」

「……ありがとう」

 レオンは少し切なげな目をして、アメリアへそっと触れるだけのキスをする。


「レオン……」

 彼を勇気づけてあげられるような言葉を自分は知らない。

 だから言葉の代わりに、アメリアは気持ちを込めてキスを返した。


「っ……」

 最初驚いた反応をみせたレオンも、アメリアに応えるように左手でアメリアを更に引き寄せる。


 それは、夢中で互いを求め合うような、クラクラするキスだった。やがて息が乱れた頃……どちらからともなく唇を離した二人は、少し照れた笑みを浮かべ、再び手を繋いで歩きだす。


 そんな、ただ寄り添って歩くだけの時間さえ、アメリアには愛おしかった。


(待ってて。わたしが必ず、治してみせる)


 大好きなレオンの心からの笑顔を取り戻せるように。もっと自分の瞳について調べてみようと、アメリアは心の中で決意したのだった。

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