不穏な事件
第39話
「いや、来ないで……いやっ」
黒い影がゆらゆらと怯える娘を路地裏まで追い詰める。
「やめっ、キャーーッ」
娘はその場でこと切れ倒れた。
「何事だ!」
叫び声を聞き駆けつけた自警団員が目にしたのは、ゆらりと闇の中で光って消えた赤い瞳だった。
◇◇◇
「ねえ、聞いた? 昨夜も出たんですって。噂の通り魔」
「怖いわね。夜は出歩かないようにしなくちゃ」
夕暮れ時。夕食の買い出しを済ませた女性たちが、足早に自宅へと戻って行く。
いつもは夜に賑わう酒場通りも、最近人通りは疎らだった。
「やあ、アメリア君。今、帰りかい?」
「カインさん……はい」
王立研究所にて、今日の作業を終わらせ帰り支度をしているところだった。
「最近は、なにかと物騒だからね。よければ寮まで送ろうか?」
「いえ、大丈夫です。まだ明るいので……」
大事にはならずに済んだが、媚薬の件があってから、アメリアはカインを警戒するようになっていた。
アメリアが魔女狩りに遭った過去での、エリカの発言を思い出すに、彼女に媚薬の存在を教えた誰かがいるはずなのだ。
そして、過去にそれを知っていたのは自分とカインだけ。
けれど、過去をやり直している今、魔女狩りは起きなかった。
だからこのカインは、なにもしていないのかもしれない。
あれは別の世界線での出来事で、今とは関係ないのだろうか。分からない。
「どうかしたのかい? 難しい顔をして」
「いえ……暗くなる前に帰りたいので、失礼します」
アメリアはお辞儀をすると、足早にカインのいる研究室から出たのだった。
「アメリア」
「レオン、どうしたの?」
研究所を出てすぐ、レオンに声を掛けられアメリアは驚く。
今日は、外で会う約束は、していなかったはずだけれど。
「そろそろ帰る頃かなと思って、待ってた。最近物騒だから、心配だし」
「それで、わざわざ……ありがとう」
素直にお礼を言うと、レオンは満足そうに頷いて手を繋いで歩き出す。
「犯人、早く捕まるといいね」
「ああ、今のところ、手がかりはほぼなしだけどな」
最近の物騒な事件というのは、若い女性が夜な夜な黒装束の何者かに襲われ、精気を吸われミイラ化して発見されるという事件のことだ。
犯人が何者なのかは不明だったが、人の精気を吸い上げるという異常な行為から、人ではないのではないかと囁かれはじめ、教会に所属する聖騎士にも出動命令が出ていると聞く。
「それでさ、明日からオレも夜の見回りに出るように言われたんだ」
聖騎士見習いも駆り出されることになるとは、人手不足で大変のようだ。
「大丈夫?」
あまり危ないことはしないで、というのがアメリアの本音だったが、レオンの立場やこれから彼が就こうとしている職種を思うと、本音を口に出してよいのか迷う。
自分の心配が彼の負担になることは避けたかった。
そんなアメリアの気持ちを察しているのかは分からないけれど、レオンは「大丈夫だから」とアメリアを安心させるように、頭をポンポンッと撫でてくる。
「事件が解決したら、また夕飯食いに行こうな」
「うん」
事件のせいで夜に出歩くことが、学園内でも禁止になってしまったので、早く全て解決して平和な日々が戻ることを、アメリアは心の中で強く願ったのだった。
それから数日が過ぎたけれど、事件は収まるどころか連日続いた。
「また昨日も、事件が起きたんですって」
「聞いたわ。飲み屋の女性が襲われたって」
「こわ~い。アメリアさんって、放課後王立研究所に通ってるんでしょ? 帰り道とか大丈夫?」
最近よく話すようになったクラスメイトの女子たちが、心配そうに声を掛けてくれる。
「うん、遅くならないように夕方には帰るようにしているし」
少し照れ臭くて口にはしなかったが、実はあれから毎日レオンが迎えに来て、寮まで送り届けてくれている。夜の見回りもあって忙しそうなのに。
「でも、気を付けてね! 狙われているのは、若い女性ばかりみたいだし」
「ありがとう」
「事件が解決したら、たまには街に出て女子会したいわね」
「いいわね、スイーツ食べ放題とかどう? ねえ、アメリアさん」
「えっ!」
「あら、甘いもの苦手だった?」
「ううん……好き」
当たり前のように女子会をするメンバーに、自分が入っていたことに驚いて、アメリアは、戸惑いを浮かべていたが。
「よかった! じゃあ、平和に戻ったらみんなで行きましょう」
「楽しみね」
この瞳の色を見られたら、冷遇を受けるかもしれないと、前髪を切るときアメリアは覚悟していたのに……そんなことはなかった。
あれからこんな自分を受け入れてくれる人たちが、身近にいてくれていたことに胸がいっぱいになる。
「アメリアさん、どうしたの?」
「……わたしも、楽しみ。みんなでお出掛けできるの」
「も〜、かわいい~!」
嬉しくて頬を赤らめ笑顔を見せたアメリアを見て、友人が抱きついてくる。
一度は魔女狩りにより処刑された自分が、どうして過去に戻ってやり直せているのかは、分からないままだけれど。
この幸せがずっと続くよう、もう決して自分は、道を踏み外したりしないと心に誓った。
この先、なにがあっても、もう悪い魔女に堕ちたりはしない。
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