第36話
アドルフにナチュラルな化粧や、今流行りのおしゃれを教えてもらって数日が過ぎた。
そして今日はついに、この重たい前髪を切ってもらう約束になっている。
前髪を切ったからって、目の前の現実が変わる訳じゃないけれど……。
「あ……」
ふと目の前を歩いていた女子生徒が、なにかを落としたことに気付いて、アメリアはそれを拾った。
それは今、若い女性の間で人気だとアドルフから聞いた店の、ブランド名が刺繍されたハンカチだった。
「あの、落としましたよ」
「あら、すみません」
落としたハンカチを受け取った女子は、同じクラスの生徒だった。いつものアメリアなら、そのままそそくさと立ち去ったことだろうが。
「かわいい、ですね。そのハンカチ」
ちょっぴりぎこちなくなってしまったが、そう言葉を絞り出すと、言われた女子生徒は少し驚いた表情を見せたあと「ありがとう」と嬉しそうに笑ってくれた。
アメリアも、ほっとしたのと、それにつられ口元に笑みを浮かべる。
アドルフから、変わりたいならまず一日一回は、挨拶だけでもいいから他の生徒に笑顔で声を掛けるようにと言われ、アメリアは勇気を出してそれを実行していた。
今のところ嫌な顔をされることもなく、意外と話し掛けたら皆普通に接してくれるものだなと思った。
自分は皆から不気味がられ、嫌われているような気持ちでいたけれど、考えすぎだったのかもしれない。
そんな風にちょっとずつ、アメリアの中で人と接する苦手意識が薄れはじめていた。
「アメリア」
アドルフとの待ち合わせ場所に行く途中、急に名前を呼ばれ振り向くと、そこにいたのはレオンだった。
「レオン……」
こんな風に学園の廊下で声を掛けてくるなんて珍しい。
あの告白以来数日ぶりに会ったレオンは、少し硬い表情をしていた。
「どうしたの?」
「あのさ……これから、少し話せないか?」
「これから?」
アメリアは少し困った顔をしてしまった。前髪を切りにいくため、アドルフと待ち合わせをしているから、今からは難しい。
「少しでいいんだ。嫌、か?」
嫌なわけない。あんな風に気まずい別れ方をしたままだったのに、声を掛けてくれて嬉しい。
本当は、前髪を切ったら卑屈な自分を卒業して、生まれ変わった気持ちで、自分からレオンに告白しに行こうと思っていたのだ。
今度こそ、媚薬の力には頼らないで。
「ごめんね。これから、約束があって……」
それからでよければ、夜になってしまうけれど自分も話したいことがあると、アメリアは伝えようと思ったのだが。
「アメリア~、ここにいたのね。早くしないと、予約の時間に……あら」
アドルフが迎えにきたが、レオンと一緒にいたのを見て、間が悪かったかと急かすのをやめた。
「約束って……そいつと?」
スッと表情の消えたレオンを不思議に思いながらも、アメリアは頷く。
「あのね、だから夜に」
「ふーん……もういい」
「え?」
俯いてなにか呟いたかと思えば、プイッとそっぽを向いて、レオンは、この場から立ち去ってしまった。
「????」
なんだったのだろう、今のは。
レオンの態度に、アメリアは首を傾げる。
「ちょっと! なにぼーっとしてるの、後を追いかけなさいよ」
「え、え?」
グイグイとアドルフに背中を押され、けれどこれから髪を切りに行く予約を入れているのにと、アメリアは戸惑った。
「なに呑気なこと言ってるの。これ以上すれ違って、ややこしくなる前に告白しちゃいなさい!」
「えっ!? まだ、前髪切ってないのに?」
自信なさげにオロオロしているアメリアを見て「あ~も~この子は」とアドルフは、焦れったそうに頭を抱えた。
「きっとあの人、私と貴女がこれからデートする約束でもしてたんだって、勘違いしてるわよ」
「えぇ!?」
「それでキズついてる。そんな彼を、ほっといていいの?」
「よ、よくない。アドルフさん、せっかく美容室予約してくれてたのに、ごめんなさい!」
ようやく事態を飲み込めたアメリアは、アドルフに頭を下げ、レオンの誤解を解くために駆け出したのだった。
「レオン!」
廊下を進みレオンの背中を見つけ名前を呼んだが、彼は立ち止まってくれなかった。
「レオン、待って!」
今度は先程より大きな声で呼んでみる。周りにいた生徒たちは振り向いてきたけれど、レオンは待ってくれない。
これは聞こえているけれど、無視されているに違いない。
「レオンってば!」
追いついて腕を引っ張ると、ようやくレオンは立ち止まり、ムスッとした顔で振り向いた。
「……なんだよ」
そっけなく冷たい目に怯みそうになったけれど、まずは誤解を解かなくてはと思う。
「あの、違うの!」
「……なにが?」
「アドルフさんとのこと、誤解なの!」
「聞きたくない」
レオンは口をへの字に曲げ、アメリアから視線を反らした。
いつもどんなことがあっても、アメリアを避けるようなことはしなかった彼のそんな態度に、アメリアはショックを受け、そして動揺した。
「あの人と約束があるんだろ。行けば」
「でも……」
「とっとと行けよ」
「っ……うん」
完全に拒絶されてしまった。もう自分の顔も見たくないと言われたような気持ちになる。
冷たいレオンの態度に、しゅんとなったアメリアは、言われた通り大人しく立ち去ろうとした……のだが。
「っ、本当に行こうとするなよ!」
ムスッとしたままのレオンに、腕を掴まれ引き留められる。
「レオンが行けって言ったのに」
「それは……言ったけど……やっぱり行くな! どこにも、行くなよ!!」
「っ!」
怒っているのかと思えば、急に迷子の子供みたいな顔でそう言って、レオンは、人目を憚らずアメリアを抱き締めてきた。
「……好きだ。誰にも渡したくない」
なにかの間違いか、夢なんじゃないかと思っていた。
だって媚薬の力がないなら、レオンが自分を想ってくれているなんて、信じられなくて。
でも、もしかしたら媚薬を使って手に入れたと思い込んでいた、あの過去のレオンがくれた言葉だって、彼の心からの気持ちだったのかもしれないと、今なら思えた。
「一度や二度振られたぐらいじゃ諦められないぐらい、アメリアのことが好きなんだ」
「……わたしも、レオンが大好きだよ」
アメリアは彼の背に手を回し、ぎゅっと抱き締め返した。
こんなに想ってくれていたのに、彼が自分にしてくれたことや言葉をちゃんと受け止められないで、自分はずっとずっと気付かずにいたなんて。
「本当、に?」
レオンは、先日振られたばかりだったせいか、信じられないといった表情をしていた。アメリアは、そんな彼に向かって力強く頷いて答える。
「今まで、ごめんね。こんなわたしを好きになってくれてありがとう」
「っ……こちらこそ、ありがとう」
アメリアの言葉を聞いたレオンは、少し泣きそうな顔で笑った。
その瞬間、拍手が聞こえハッと二人が周りを見渡すと、いつの間にか集まっていた野次馬たちに祝福されていた。
「なんか分からないけど、感動しちゃった!」
「おれも! なんか分かんないけど、良かったな二人とも!」
「おめでとー!」
アメリアは、こんなに目立ってしまい恥ずかしくなったが、レオンが拍手をしてくれた皆へ嬉しそうに「ありがとう」と笑顔を返したのを見て、まあいいかと思えた。
もう隠すのはやめよう。自分の想いも。彼との関係も。
その日、アメリアとレオンは、晴れて正真正銘の両想いとなれたのだった。
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