第35話

「ほら、アメリア。動かないで、目を閉じて」

「は、はい」


 アメリアは、まずアドルフに化粧を教わることにした。今は、放課後の空き教室で、アメリアに似合うリップの色を試してもらっている最中だ。


 カタン――。


 その時、ドアの方で物音がした気がして、アメリアは目を開き振り返る。

 だが、ドアの方を見ても特に人気はない。


「こ~ら、動かないの」

「ごめんなさい」

 クイッと顎を掴まれ顔を元に戻されたアメリアは、気のせいかと思って再び目を閉じたのだった。



◇◇◇



「ねえ、聞いた? アドルフ様の噂。放課後の教室で、女の子とキスしてたって言う……」

「聞いたわ……はぁ、アドルフ様だけは、ずっと皆のアドルフ様でいてほしかったのに」

「相手の子は、同じ研究所に所属している、アメリアさんっていう人みたいよ」

「ああ、あの暗くて魔女みたいな……」

「しーっ、失礼よ」


 レオンがアメリアに告白して振られてから数日後、失恋の傷も癒えぬうちに、傷口を抉るような噂が真しやかに囁かれ始めていた。


 普段なら噂話など気にもとめないレオンの耳にも、それが入ってきて……心中穏やかではいられない。






「おい、レオン!」

「あぁ?」

「こわっ、機嫌悪い?」

「いや……悪い、なんでもない」

 クルトに声を掛けられ、思わず柄の悪い返事をしてしまった。


「なんか元気ないよね、ここ数日。大丈夫?」

 クルトと違って、普段あまりこちらに干渉してこないセオドアも、どこか気遣わしそうな目でこちらを見てくる。


 表に出さないようにしていたつもりだったが、身近な人には分かってしまうほど、自分は参っているらしい。


「なにがあったか知らないけどさ、今週末パァーッと気晴らしに、みんなでどこか行こうぜ!」


 クルトの明るいノリに、レオンの表情もふっと和らぐ。

 確かに、引きこもっていても気が滅入るだけだし、それもいいかもしれない。そう思って頷いたのだが。


「よし! キャサリンとエリカも誘ってるからさ、そこでお膳立てするからちゃんと告白決めろよ!」

「は?」

 なんのことだと聞くと、クルトもレオンの反応に「え?」と首をかしげた。


「この前、告白するって言ってたじゃん」

「……告白ならもうしたよ。振られたけど」

「えー!? でも、さっきまだ告白されてないって、エリカちゃん言ってたけど」

 なにかの間違いじゃない? と慌てるクルトに、レオンは眉をしかめた。


「なんでそこでエリカの名前が出てくるんだよ」

 自分はエリカに告白するなんて、一度も言った覚えはない。


「え、だってレオンってずっとエリカちゃんのこと」

「オレが告白したのは、アメリアだ」

 誰だっけそれ、とクルトがきょとんとするが、当然の反応だ。

 今まで絶対に言ったことがなかったのだから。

 誰に好きな人の話を聞かれても、頑なにその名は口にしなかった。


 アメリアが、それを望んでいたから。もう自分と噂になるのは嫌だと……。


 でも、今から噂になるとすれば、自分が振られたという噂だろう。ならば隠さなくてもいいかと、レオンは自暴自棄に思った。


「アメリアって、一年の時にレオンと一瞬噂になってた子?」

「ああ」

 意外にもセオドアは覚えていたようだ。


「え、えー!? おれ、ずっとレオンの想い人は、エリカちゃんだとばかり」

「僕は、思ったことなかったよ、それ。クルトは、キャサリンから聞く話を鵜呑みにしすぎ。レオンが、彼女を好きな素振りなんてなかった」


「え~、そっかなぁ……」

 クルトは納得いかないような、けれどそう言われると確かにそうかも、と首を捻った。


「オレが好きだったのは、ずっとアメリアだけだ」

 切なげに歪むレオンの表情を見て、クルトもセオドアも黙り込む。


 レオンは、どれだけアメリアを想い、彼女との時間を大切にしていたのかを、ポツポツとこぼした。


 クルトは、なんと声を掛けてよいのか分からないようで、気遣わしげな目をして黙り込む。

 だがセオドアは、黙ってレオンの話を聞き終えた後、あっけらかんと口を開いた。


「もう一度、その子に気持ちを伝えてみるのはどう?」

「いやいや、もう振られてるんだし、しつこくするのは逆効果じゃない?」

 クルトはセオドアの意見に否定的だったけれど、気にせずセオドアは続ける。


「しつこく迫るのはもちろんダメ。でも、今聞いた彼女とレオンの関係性があるなら、もう少し話してみてもいいんじゃない? このまま気まずくなって疎遠になることは、その子も望んでないんじゃないかな」


 もう一度……それは、例の噂を聞いた後では、なおさら勇気が必要な行動だった。


 何事もなかったかのように声を掛ければ、アメリアもそのように応えてくれるんじゃないかとも思う。

 そうやって自分たちは、たまにぎこちなくなりながらも、幼馴染という関係を維持してきたのだ。


 でも……何事もなかったようには、もうしたくない。


「そうだな、もう一度……」


 あの時「ごめんなさい」と悲しげに繰り返していた彼女の表情を思い出し、このまま風化させてはいけない気がした。

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