第26話
王家主催の社交界が開催された翌日は、学園が休みだったため、アメリアは王立研究所にいた。
まるで脱け殻のような気持ちだったけれど、なにかしていたほうが気分が紛れるので、今日は山のように積まれ、なくならない書類整理に集中しようと決める。
「……はぁ」
しかし、やはりなにをしててもレオンとエリカの事が頭に過り、集中できない。
昨夜は、寝ようと目を瞑るたびに、笑い合う二人の姿が浮かび、ほとんど眠れなかったぐらいだ。
エリカは、レオンに告白すると言っていた。
あのあと、本当にしたのだろうか。それともさすがにあの場ではせず、後日落ち着いた場所でするのだろうか。
レオンはその告白にオーケーを出すのだろうか。
そしたら、もうレオンと二人で過ごせる大好きな、あの時間を失ってしまう。
レオンのことだ。これからもずっと友人として、アメリアの事を気に掛けてくれるかもしれない。
でも、でも……そんなのアメリアが耐えられないのだ。
他の女性と結ばれたレオンの隣で、一生叶わない恋をし続けるなんて生き地獄。
(どうしたらいいの? どうしたら……)
「おや、休日出勤ご苦労さま……アメリア君?」
「ハッ、はい」
気が付けば、気遣わしげな顔をしたカインが隣に立っている。
書類を持ったまま、アメリアはずっと固まっていたらしい。
こんなんじゃダメだ。今日はもう帰ろうと、小さなため息を吐いて書類を片付けようとした。
「……なにか、悩んでいるのかい?」
「いえ……」
心配掛けてごめんなさいと、アメリアは誤魔化そうとしたが。
「分かるよ。叶わぬ恋に苦しんでいるんだね」
「え……」
言い当てられたアメリアは、持っていた書類をバラバラと地面に落としてしまう。
苦笑いを浮かべながら、それをカインが拾ってくれた。
「隠さなくていい。昨日の君たちの様子を見れば、察してしまうさ」
アメリアは、なんと答えたら良いのか分からず、黙り込んでしまったのだが。
「これでも、僕だって人並みの恋愛経験ぐらいはある。よかったら、相談に乗ろう」
自分の心のうちを話すのは抵抗があった。
ずっとずっと隠してきた気持ちだから。
けれど弱りきっていたアメリアの心に、カインの優しい声音は効いた。
堰を切ったように言葉が溢れてくる。
「わたし、レオンを誰にも取られたくなくて。わたしには、レオンしかいないのに。でも、どうしたらいいのか分からないんです。だって、わたしには……わたしには、エリカさんに敵うようなものが、なにもないから」
ポロポロと我慢していた涙が溢れ出す。
アメリアが泣き止むまで、カインは優しく相槌を打ちながらずっと話を聞いてくれた。
嫉妬に満ちたアメリアの気持ちを、否定することなく肯定するように。
「可哀想なアメリア君。ずっと心細かったんだね」
そう。自分はずっと心細かった。
「レオン君だけが、君のそんな心の隙間を、埋めてくれる存在だったんだね」
そう。レオンだけが、いつだってこんな自分を、肯定してくれる存在だった。
「ああ、それなのに。君とは違い、恵まれて育ったエリカ君が、君の唯一の彼まで奪っていこうとするなんて」
そうだ。恵まれて育ち、聖女の才能があり、周りから愛されている彼女なのに。
孤独なんて知らないであろう彼女が、アメリアの唯一の存在まで手に入れようとしている。
憎いと思ってしまった。自分に、こんな醜い感情があったなんて、目を反らしたくなる。
「辛そうだね……そんな君を、みていられないよ」
カインは、こちらの気持ちが伝染したように顔を歪ませ……アメリアの耳元で囁いた。
「そうだ……これからもずっとレオン君を独り占めできる方法が、一つある」
「え?」
カインは、そっとなにかをアメリアに握らせた。
「これは?」
手を開くと、それは金色の鍵だった。
「僕が管理している、書庫の鍵さ」
(カインさんが管理を任されている書庫って、確か……)
この国では作ることを禁じられたレシピの載った禁書など、一般人の目に触れてはいけない書籍が保管されている特別な部屋だったはず。
そんな大事な鍵を突然渡され、アメリアは困惑したが。
「書庫に入って、一番奥の向かって左、二段目にある紫の表紙の本を見てごらん」
それだけ言うと、カインはアメリアを残し、部屋を出て行ってしまった。
「…………」
じっと掌に乗せられた鍵を見つめ、アメリアは考え込む。
本来、自分が立ち入ってはいけない場所の鍵。普段のアメリアならば、絶対に近づかないだろう。でも……。
「これからもずっとレオンを独り占めできる方法……」
その言葉が、甘い毒のように心を侵食して、アメリアから正常な判断力を奪っていった。
「二段目にある、紫の表紙の本……」
罪悪感を無視して、アメリアはカインに言われた通りの本棚の前に立つ。
そして、見つけた本を手に取ってみると。
「これは……」
そこに書かれていたのは、人の心を惑わす効力がある、色んな薬のレシピだった。その中には媚薬と呼ばれるものもある。
確かにこの薬を作れば、レオンの心を自分へ向けることは可能かもしれない。
だが、それは洗脳のようなものだ。国で禁じられている。
(ダメ……そんなこと……)
人の道を踏み外す行為だ。
だが、ぐっと閉じた瞼の裏に、レオンとエリカが微笑み合う姿が浮かんできて、冷静な判断ができないぐらい、アメリアの心が乱れてゆく。
(そんなことしてはいけない。人として最低な行いだもの……)
なんとか誘惑に勝ち、アメリアは本を持ち出すことなく棚に戻した。
だが、その時。
「いいのかい? せっかくのチャンスなのに……このまま、エリカ君に彼を奪われてしまっても」
「っ……」
声がして振り返ると、いつの間にかそこにはカインがいた。
アメリアが心配で、様子を見に来てしまったと、彼は言う。
「でも……やっぱりわたし、こんなこと……」
「怖いなら、僕が君の背中を押してあげようか?」
なんだか、いつもと雰囲気の違う彼は、そっと後ろからアメリアの肩に手を置き、再び耳元で囁いた。
「このままではいずれ……彼が向ける優しさも愛情も、すべてエリカ君に独り占めされてしまうよ。君は彼を失うことになる」
「っ……」
「そんな苦しみから、唯一解放される方法が目の前にあるんだ」
「やっ、だめ!」
魔がさしそうになったアメリアは、思わずカインを突き飛ばしてしまった。
「あっ……ごめんなさい、わたし」
「いや、いいんだ。僕の方こそすまない。これ以上、悲しむ君を見ていられなくて、つい……」
なんとなく気まずい雰囲気のまま、結局今日のことは二人だけの秘密として忘れようということになり、二人は書庫を後にした。
書庫を出ると、カインはいつも通りの雰囲気に戻っていた。
だが、アメリアは……その後も頭に浮かんでくるのは、幸せそうに微笑み合うレオンとエリカの姿ばかり。
――君は彼を失うことになる。
何度も、何度も、嫌な光景と言葉ばかりが浮かんでくる。
本当にいいのだろうか。このまま、レオンがエリカのものになってしまっても……。
(そんなの……いやっ……)
どんな手を使ってでも、本当は彼の心が欲しいのに。
その瞬間、アメリアの心は闇の中へと落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます