第18話

「おい聞いたか、例の噂」

「ああ。デール様に取り入って、例のポーションを自分の手柄にしたって話だろ」

 ある日の放課後、王立研究所に立ち寄ると、小声で何かを話していた錬金術師たちを見かけた。

 だが彼らは、アメリアの姿を見た途端、口を噤んで散り散りになる。


(なんだろう……?)


 違和感を覚えながらも自分のデスクへと向かうと、今日もデスクには、目を背けたくなるような書類の束が積まれていた。


 さてやるかと、積み重なった書類に目を通す。

 怪我の程度にもよるが、外傷を一瞬で治癒するポーションの作成に成功したアメリアの元には、ポーションを求める依頼が沢山届くようになった。


 しかしそれはアメリアにしか作れないものであり、量産も出来ないため、デールと相談の末、今は国に収め宮廷医師の処方の元使用許可が降りる仕組みにすることで、話がまとまりつつある。


 最初アメリアは、レシピをもっと多くの錬金術師たちへ公開して、沢山の人に作ってもらえばいいのではないかと提案したのだが、なぜかデールに決してそのレシピを他人に教えてはいけないと言われた。


 もともとそのレシピは、デールから譲り受けたようなものなので、デールがそう言うなら勝手なことはできない。


 正直、デールの手元にあったレシピでポーションを作っただけのそれが、まるでアメリアの手柄として世に広間っていくことに少しばかり戸惑いや罪悪感も覚える。


 ただきっと、偉大な賢者であるデールには深い考えがあるのだとアメリアは考え、余計な検索はしないことにしていた。


(今日はこの後、明日までに納品予定のポーションを、五つ完成させなくちゃいけないのに)


 書類整理がなかなか片付かなくてヤキモキしてしまう。


 だがいくら時間がないからといって、適当に放り投げることはできない。デールに頼んで、苦手な公の場に出たり、お偉いさんたちとの食事会には、極力参加しなくて良いように計らってもらっているので、これぐらいはきちんとこなしたい。


「今日もまた一段と忙しそうだね」

「ひゃっ!?」

「おっと、すまない。驚かせてしまったかな」


 振り向くと、そこにいたのは、いつもなら気難しい顔をして、アメリアに対し厳しく接してくる研究所の上司だった。


「あまり根詰めてはいけないな。少し休憩したらどうだい?」

 そういって上司は、いつもと違う猫なで声で、用意してくれていたハーブティーを、アメリアのデスクに置く。


「ありがとう、ございます」


「学生の本文は勉強だ。昼間は授業があるというのに、放課後からこれだけの仕事量を押し付けられては、参ってしまうだろう。私でよければ手を貸したいところだが……」


 上司の気持ちは嬉しいのだが、書類にはアメリアのサインが必要なものがほとんどなので、ちゃんと自分の目で内容を確認してからサインしたい。


「レシピのあるポーション作りなら、手伝ってやれそうなのだけど」

「ありがとうございます、お気持ちだけ」

「はは、大変だろうが、がんばってくれたまえ。君はデール様のお眼鏡にかなった、貴重な人材のようだから、ね」

「そんな恐れ多いです……」


 恐縮するアメリアに笑みを浮かべ、エールを送ると上司は、自分も研究があるからと部屋を出ていったのだった。


「さてと、もうひと頑張りしよう」


 ハーブティーを飲み干し気合を入れる。

 今日は忙しくて寝る時間が削られそうだけれど、明日はレオンと久しぶりに図書室で勉強会をしてから、夕食も一緒にと約束をしていた。


 額にキスをされた日から、二人の関係が変わったかというと……まったくそんなことはない。


 次に会った時、レオンは何事もなかったかのようにいつも通りで、だからアメリアも、なにもなかったことにした。


 彼にとっては、大した意味なんてない行為だったのかもしれない……。

 自分だけ、こんなに心がかき乱されているのかと思うと、バカみたいだと虚しくなってくる……。


「あ、れ……」


 気合を入れ直し、目の前の仕事に集中しようとしたアメリアは……だが、そこで突然、ぐらぐらと目眩がするほどの強烈な睡魔に襲われ、そのまま机に突っ伏してしまったのだった。



◇◇◇



 ガサ、ガサ、ガサ――。


 もう遅い時間だというのに、明かりのついた研究室から物音が聞こえ、カインはそっと様子を伺う。


 そこには、すやすやと眠るアメリアを尻目に、なぜか彼女の机を物色している上司の姿があった。

 アメリアの持っていたデスクキーで、鍵付きだった引き出しを開けている。


「これか……」


 なにかファイルを取り出し、勝手に中をチェックしようとしているのを目撃してしまい、さすがに見過ごせないと、カインは声を掛けた。


「お疲れ様です。こんな時間に、なにをなさっているのですか?」

「うわっ!? な、なんだ、カイン君か。ははは、な、なんでもないのだよ。部屋に立ち寄ったら、アメリア君が眠っていたものでね。声を掛けようと思ったのだが、起こすのもかわいそうだ。ぐっすり眠っているからね」


 上司は早口でそう答えながら、さりげなく持っていたファイルをアメリアの机に置くと、自分はまだ仕事が残っているからと、部屋を足早に出て行ったのだった。


「…………」

 不審に思ったカインは、上司がアメリアの机に戻していったファイルを手に取った。

 表紙を見るに、彼女のポーションのレシピに違いない。

(……レシピを盗むつもりだったのか?)

 そう思いながら……カインは、彼女のポーションレシピへの好奇心から、ファイルを開いてしまったのだが。


「ぐっ!?」

 そこに書かれていた読めない文字の羅列を見た瞬間、強烈な目眩がしてファイルから顔をそむけた。


「なんだ……これ、は」

 脱力感から倒れそうになったのを、デスクに手を付きなんとか耐える。


「なにをしておるんじゃ?」

「っ……デールさま」

 振り返るといつの間にかデールがそこに立っていた。


「ああ……これを見てしまったのか」

 デールは、カインが床に落としたファイルを拾い、彼の目眩の原因を察したようだ。


「いえ、それは、その……眠る彼女の横に置きっぱなしになっていたもので、なんの資料かと思い……」

 色々思うところはあったが、あの上司は面倒くさい。証拠もなく告げ口するはやめておこうと、カインは言葉を濁した。


「見てしまったなら仕方ないから言っておこう……最近、色々言われているようじゃが、彼女のポーションはのう、彼女にしか作れないのじゃ」


「どういう意味ですか?」

「君もそれを見て分かったじゃろう。わしが、彼女に渡したレシピは、古代魔術文字で書かれておる。初代賢者が書き記したモノじゃ」


 カインは驚愕した。

 古代魔術文字なんて読める人間が現代にいるのかと。

 それは、この国では、神が人に与えた文字と言われるもので、普通の人間には解読できない。


 なぜなら、その文字の羅列を読もうとしても、適応のない人間は精気を文字に吸い取られ、正気でいられなくなるのだから。


「彼女は、自分がどれだけすごいことをしているのか、まだ自覚がないようじゃが、これは持って生まれた彼女の才能」


 アメリアはいずれ、本物の賢者となるかもしれない。


 そんなデールの言葉を、ただカインは呆然と聞いていた。


 自分は、血の滲むような努力をし、膨大な時間を研究に費やし、賢者となる道を志してきたのに。彼女は、才能とやらで難なくそれを手にするというのか。


「アメリア君の力のことはまだ内密に頼むよ。ゆっくり時間をかけて育ててあげたいのだ」


 デールは優しい目をして、眠るアメリアをみつめそう言った。


「分かりました。自分も彼女をサポートできるように努めます」


 カインは言葉とは裏腹に、冷たい目をしてそう答えたのだった。

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