第10話

 もやもやする……。

 レオンが言っていたパーティーに参加してからしばらくが過ぎた頃。

 最近のアメリアは、胸の奥がもやもやして晴れない。そんな日々が続いていた。


 先日まで迷っていた専攻も決まり、授業はとても有意義で充実しているはずなのに……。


「はぁ……レオン様に婚約者ができてしまうなんて」

 廊下で女子生徒たちの切なげな溜息が聞こえ、アメリアは「レオン」の名に反応してドキリとした。


「で、でも、まだ決まったわけじゃないし」

「婚約者『候補』らしいですわよ!」

 彼女たちが噂しているレオンの婚約者候補というのは、今までも密かに噂されていたエリカのことだ。


 とある侯爵家のパーティーにて、今まで妹以外を同伴したことのなかったレオンが、エリカを連れてきたことで一気に噂は広がっているらしい。


「今は候補でも……エリカさんが、レオン様にとって一番親しい女性っていうことに、変わりはありませんわ。なんて言っても聖女候補なんですから!」


「…………」

 もやもやの原因は、分かっている。

 学園中に広まったこの噂を聞くたびに、アメリアの気分は重く沈むのだから。


 どうしてこんな気持ちになるのか……自分の中で答えが出そうになるたびに、アメリアは考えるのをやめ気をそらしていた。






 今日も人気のない地下室入り口へ、昼食をとろうとパンを片手に向かうと。


「おっと、失礼お嬢さん」

 地下室入り口から出てきた人とぶつかり、アメリアはよろけた。ここから人が出てきたのを見たのは初めてだ。


「すまない、ケガはないかな」

「はい」

 見上げると目が合ったのは白く長い髭をたずさえた、若草色のローブを纏った老人だった。


「地下室になにかご用じゃったかな?」

「いえ」

「そうか。ところでお嬢さん」

 老人は懐から紙を出しこちらに差し出してきた。


「こういったものに興味はないかね?」

 そこには錬金術に関する勉強会のお知らせと書かれていた。


「わしの名は、デール。王宮で錬金術の研究をしているものなのじゃが、若い人材を探しておってな」

 だが、こういった専門的な分野は若者には、敬遠されやすくなかなか人が集まらないのだとデールは嘆いた。


「良かったら、来週ここの地下室で行われる勉強会に顔を出してくれんかね」

「い、いえ、わたしは」

 錬金術なんて、一握りしかなれない専門職だ。仕切りが高い分野に声を掛けられアメリアは動揺した。


「どうじゃ?」

「えっと……」

 断ろうと言葉を選んでいると、ふとデールはなにかに気付いたように、顔を覗き込んできた。


「な、なんですか?」

 顔を……というより、瞳をまじまじと見られるのは苦手なので、アメリアは戸惑いすぐに俯く。


「お嬢さん、とても珍しい瞳の色をしておるな」

「っ!」

 魔女の子だから。悪魔との間に出来た子だからに違いない。不吉だ。

 そんな風に忌嫌われ、この瞳の色で良い思いをしたことがないアメリアは、老人の言葉に警戒したが。


「美しい色じゃ。錬金術の世界で赤い瞳は、神から祝福を受けた者に与えられる色と言われているのじゃよ」

「え?」


(祝福? 不吉な意味ではなくて?)


「錬金術師の間でも、一部のものしか知らない秘密だがな。どうじゃ、少しは錬金術に興味が出てきたかね?」

「す、少し……」

「よしよし! 誰も集まらなかったら寂しいからのう。もし当日時間があったら、顔を見せておくれ」

 デールはそう言って勉強会の紙をアメリアに持たせると去っていった。


 優しそうなおじいさんだった。育ての親だった男爵と同年代ぐらいだろうかと、アメリアは自分を養子にしてくれたガーディナー男爵のことを思い出し、なんだか無下にできなくて貰った紙を大事にしまったのだった。






 それから放課後を迎え、王立図書館へ向かったアメリアだったが、ずっとデールから貰った紙を見つめぼんやりとしていた。


「なんだよ、ぼーっとして。また考え事か?」

 隣の席で、自分の学科の勉強をしていたレオンも、勉強が進んでいないアメリアに気付き首を傾げる。


「……今日ね」

 近くの席に人はいなかったが、念の為、周りの迷惑にならないよう声を落とし、アメリアは口を開いた。


「わたしの瞳の色を、キレイだって言ってくれた男の人と出会ったの」

「は?」

「そんな風に言ってくれた人なんて、今までいなかったから、わたし……とっても嬉しかった」

「なっ!?」


 素直な気持ちを口にしたら、なぜかレオンがわなわなと震えていた。


「レオン?」

「なんだよそれ! そんなギザったらしいこと言うヤツと関わるなよ!」

「レオン、声、大きい」

 バンッとテーブルを叩いて突然立ち上がったレオンを、アメリアが小声で嗜める。


 ハッと我に返ったように辺りを見渡し、レオンは椅子に座り直した。


「わ、悪い。でも、オマエが変なヤツに声掛けられるから……そんなナンパ野郎の言葉、真に受けるな」

「な、ナンパじゃない。そんなことする人じゃないもの」


 親子よりも年の離れている男性だし、なによりデールの態度に、下心など全く感じなかった。


 それなのに、王宮に所属する偉い錬金術師に向かってなんてこと言うんだと、アメリアは慌てて否定したのだが、そんなアメリアの態度が気に入らなかったのか、ますますレオンの表情が不機嫌になってくる。


「初対面の女にキレイな瞳だなんて声掛けてくるやつ、明らかにナンパ野郎だろ。だいたいっ、オレだって……オレだって、いつも思ってるけど軽々しく言えなかっただけだし」


 レオンが、モニョモニョ口籠って呟いていた最後の方の言葉はうまく聞き取れなかったけど、彼がなにか勘違いしていることは察した。


「レオンが、わたしを心配してくれてることは分かったけど、本当にナンパじゃないの。わたしが勧誘されたのは、これ」

「……これは?」

 アメリアが差し出した紙を見て、ようやくレオンも状況を把握できたようだった。


「な、なんだ……そういうことか」

 下の方に書いてあったデールの経歴を見て、怪しい人物ではないとレオンも納得してくれたようだ。


「へー、オレは詳しくねーけど、錬金術の第一任者って言われてる人だろ、この人。確か、国で唯一の賢者の称号を与えられてるって……」

「そうみたい」

「そんな人に声を掛けられるなんて、アメリアすげーじゃん!」


 先程までの機嫌の悪さはどこへいったのか、レオンは自分のことのように嬉しそうにしている。


「声を掛けられたって言っても、偶然会って瞳の色を褒められただけで……」

 アメリアの成績や実力を評価して声を掛けられたわけじゃない。

 けれど、この目の色を友好的に見てくれた人物の講義が、少し気になっているのも事実だった。


「いいじゃん、参加してみれば」

「で、でも……錬金術なんて難しそうだし、仕切りが高いし」

「ほら、ここにも錬金術師の活動について、幅広く知ってもらうための説明会だって。興味がある人には軽い気持ちで参加してほしいって書いてあるじゃん」

「うん……」


「あるんだろ、興味?」

「……少し」

「なら、行けばいいだろ」

 レオンに笑顔で背中を押されると、軽い気持ちで参加してみようかなと、アメリアも思えるようになってきた。


「行ってみようかな」

「おう、行ってこいよ! それで、オレにも分かるように感想教えてくれよ」

「うん!」


 こうしてアメルは、錬金術の勉強会に参加することにしたのだった。




 そういえば……また、あの噂についてレオンに直接聞くことができなかった。


 ほんの少し心の奥でそんな引っ掛かりを感じながらも、アメリアは、また自分の気持ちには気づかないふりをしたのだった。

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