第8話 試練

なんでこんなことになったんだ?


俺は萌の後について、自宅へ戻った。弔問に訪れた人達が、代わる代わる出入りしていた。

そんな中、一階の和室に俺は寝かされていた。そこだけは、とても静まりかえっていた。

俺を取り囲むように、友達や仲間たちが集まってきていた。みんな、目が真っ赤で泣き腫らした顔をしていた。


「本当にこれは現実なのか?嘘だろ?」

「現実です。まだ受け入れられていないようですね。」

いつのまにか正路しょうじが、俺の横に立っていた。

煙のように消えたり、現れたり、なんなんだ?

「受け入れられるわけがないだろ?どうしたら、元に戻れるんだ?」

「何を言っちゃってるんですか、このアホが!」

「アッ…アホ?」

急に正路の口調が変わった。

「あなたは亡くなったんですよ。戻れるわけがないでしょう?すぐに受け入れられなくても、それくらいは理解できるでしょ?」

「俺は今死ぬわけにいかないんだ!どうにかしてくれよ!頼むよ!」

「何がしたいんですか?」

「それは…それは…いろいろと…」

俺は口籠ってしまった。

「明確な理由を言ってください。」

「…まだ死ねない。死ぬわけにいかない。まだやり残したことがいっぱいあるんだ。それに俺はまだ若い!人生これからなのに受け入れろと言われて、そんなに簡単にあーそうですかとは言えないんだよー!」

だんだんと早口になり、怒った口調で、最後には叫んでいた。

俺は握りしめた拳を震わせていた。

しかし、正路は顔色一つ変えずに言った。

「じゃあ、時間があればやりきれたんですか?」 

俺はハッとした。時間ならいくらでもあった。いつでも萌に気持ちを伝えることも出来た。なのに、今の関係が居心地良くて、先延ばしにしたんだ。


「俺は…俺は、萌に気持ちを伝えられたら、それだけでいいから…」 

俺は静かな声でそう言った。

「人間は欲深い生き物です。一つ手に入れたら、次が欲しくなるものです…」

淡々と語るだけに、余計に正路の言葉に冷たさを感じた。

正路の目が、冷たく光った。

「ああ…」

俺は仕方なくうなづいたけど、そんなわけがない。

萌に気持ちを伝えて、両思いになれたら、デートだってしたい、楽しい思い出だっていっぱい作りたい。一緒に大学も行って、同棲して、結婚もしたい。当たり前のようにずっと一緒にいられると思ってた。なのに!!

死を受け入れるしかないなんて、なんて残酷なんだ!

俺がいなくなったら、萌は?

俺は?この先どうなるんだ?


「では、またお会いしましょう。」

「え?ちょっと待ってくれ!これからどうすれば…」

まだまだ聞きたいことがいっぱいあるのに、正路は本当に煙のように消えた。


結局、俺はどうなるんだ?

萌に気持ちを伝えるって言ったって、萌には俺が見えないし、話しかけても聞こえない。

それに俺はいつまで意識を保っていられるんだ?

死ぬって事は、無になる事だと漠然と思っていた。無になってしまえば、もちろん意志もない。考えることもなければ、覚えてもいないって事だよな。

存在自体が無になるってことか…。

俺は急に怖くなってきた。


家を飛び出し、あてもなく走った。人とぶつかっても、自転車とぶつかっても、すり抜けてしまう。俺は当てもなく闇雲に走り続けた。

あたりはもう薄暗くなっていた。人気のない海辺で、俺は座り込んで号泣した。

どれくらい時間が過ぎたのか、涙も果てた頃、突然人の気配を感じて振り向くと、中年の身綺麗なスーツを着たおじさんが立っていた。

その人は、そのままゆっくり歩みを進め、躊躇いもせず、海へと入って行った。

俺は呆然とそれを見ていたが、ハッとして

立ち上がった。

「やめろ〜。何をする気だ?やめろって言ってるだろう!」

もちろん彼の耳にその声は届いていない。ドンドン進んでもう腰まで沈んでしまっている。

「やめろーーーーー!」

俺は力の限り、彼の腕を掴んで引っ張った。

すると、彼の腕を掴んだ手応えがあり、彼が俺の方へ振り返った。

「…死なせてくれ…」

涙を流しながら、か細い声で、そう呟いた。

「そういうわけにいくかー!」

波に揉まれながら、俺は精一杯の力で彼を浜辺まで連れ戻した。

「ゴホッゴホッゴホッ…なんで…助けたんだ…」

彼はむせながら、声を絞り出した。

俺は息を切らせながら、腕で口を拭った。

「俺が見えるのか?」

彼は変な事を聞く奴だという顔をしていた。

「あんたも、こっちに半分足を突っ込んでるからか…死ぬのは、いつでも出来る。慌てなくてもいい。その前にすべきことや、出来る事を探した方がいい。おじさんだって、まだまだ考える時間はあるはずだ。」

「うっ…くっ…」

彼は声を殺して泣いていた。みんなそれぞれに苦しい事や辛い事、絶望するような出来事を抱えて生きている。

でも生きてるからこそ、なんとか出来るんだ!そうだ。後悔しても遅い。いつでも、いつまでも時間は無限にあるように感じてた。でも、そんなことはないんだ。

一番大事なのは俺の本当の気持ちを伝える事だった。

なぜなら、それは俺だけが知っている事だから…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る