第9話 想い

彼の…おじさんの名前は、高木修二。45歳。白髪混じりではあるが、精悍な顔立ちをしていて、きっと若い頃はかなりのイケメンだったと思う。小さな会社の社長さんだとかで、通りで綺麗な身なりをしているわけだ。


しかし、今はグッタリとしたおじさんを俺の肩に担ぐようにして、連れて帰った。

おじさんの家に着いてみると、品のある彼には似つかわしいボロいアパートの一室だった。

「何にもないじゃないか…」

部屋には畳まれた布団一式と、壁に2枚のワイシャツがかかっているだけだった。

彼は部屋に着いた途端、倒れ込んだ。 


さっき聞いた話では、彼の右腕の秘書が会社のお金を横領。会社は不渡を出して倒産。

だが、それだけじゃなかった。最悪なことに、秘書は彼の妻と駆け落ちしたんだとか。


彼は、愛する人と信頼する友人と、大事に育ててきた会社と同時に全てを失ったんだ。

そりゃ、気持ちはわかる。本当に絶望の一言だよな。

生きていても、全てを失うことがあるのか。


彼は、ここ最近の疲労感と張り詰めていたものが切れたようで、泥のように眠った。


「せめて布団に入れよ。」

俺は彼のスーツや靴下を脱がすと、両脇に手をかけて引きずって布団に入れた。

「はあー。俺、こんなに体力なかったっけ?」

少しのことでも息が切れた。

上布団をかけようとして、足がよろけて彼の体の上に思いっきりドサッと被さった。

「うわぁ、いたたたっ…ごめん。」

慌てて体を起こすと、布団にはおじさんの姿がなかった。

「え?おじさん?え?」

慌てて振り向いても、どこにも彼はいない。

「消えた?」

ふと視線を落とすと、浅黒く年を重ねた手が視界に入った。

「え?」

慌てて洗面所に飛び込み、鏡を見てみると、

おじさんの顔だった。

「え?どう言うこと?…まさか憑依した?」

確かに!鏡にさわれる。体にも触れる。

俺はハッとした。そうだ!

「ごめん。おじさん!ちょっと身体借りる。」


俺は急いで、学校に向かった。が、気持ちは前のめりになっているのに、足がもつれてうまく走れない。

「足おもっ。おじさん絶対運動不足だろ。」

息も切れ切れにたどり着くと、放課後の時間帯のせいで、正門は下校する生徒たちであふれていた。

俺は人の波をかき分けて、学校へ入ろうとした。

「あー、ちょっとちょっと父兄の来校は、受付通してからお願いしますよ。」

行く先を手で遮られた。顔を上げると、学年主任のヤマセンだ!

「ヤマセ…いや、山本先生!萌…木下萌は?」

そう言うと、ヤマセンは怪しげな顔で、

「木下とどう言った関係で?」

詰め寄るように迫ってくるので、気迫に負けて後ずさった。

「叔父…です。」

「叔父?おかしいですね。それなら、木下が今どう言う状況かご存知のはずですが?本当に叔父さんですか?」

「どう言う状況って?何かあったんですか?」

俺はヤマセンの肩を掴んだ。

「一体、何なんですか?」

ヤマセンの大きな声で、周りの生徒がざわつき始めたので、俺は仕方なくその場を黙って立ち去った。


「萌に何かあったのか?」

不安がよぎった。どうすればいいんだ。見ず知らずのおじさんじゃ怪しまれるばっかりだ。


「上手く姿を変えましたね。一瞬、気づきませんでしたよ。」

「正路!」

「片瀬陽介様、お知らせにあがりました。第一審判通過です。次、第二審判に入ります。」

正路はいつも冷静沈着、全く表情がなくひょうひょうとしている。それが逆に俺をムカつかせた。この状況で、こっちは必死なんだ。

「何が審判だよ。」

「あなたのこれからの行き先を決めるための審判です。」

「天国か地獄か?って事?」

「そんな単純なものではございません。」

俺は正路の両肩を掴んだ。

「頼むよ!正路!行き先は地獄でもいい。頼むから、俺自身の姿で萌に会わせてくれ!」

「それは、到底無理な話です。第一、萌様が混乱されます。」

「大丈夫だよ。萌ならわかってくれる!」

「萌様まで道連れになるかもしれませんよ…。あなたが見えると言うことは…。」

俺は正路から手を離した。

「俺が見えると言うことは、死に近いってことか…」

「だから、高木様の身体に憑依出来たんですよね?」

「やっぱり、そうなのか…」

萌まで道連れにするわけにはいかない。俺は頭を抱え座り込んだ。

「どうしたらいいんだ?」

冷たい視線で陽介を見下ろしていた正路が、ポツリとつぶやいた。

「でも今あなたは、高木様の姿を借りている。生きている人に見えていると言うことです…では。」

そう言い残して、正路は消えた。


そうだ、今の俺は見えてるし、話し合うことができるんだ。

取り急ぎ、俺は自宅に向かった。

ピンポーン。

インターホンを鳴らしてみたが、反応がない。

「誰もいないのか?」

様子を伺いながら、もう一度インターホンを鳴らしてみた。

誰もいないのか。そう思い、立ち去ろうとした瞬間、ゆっくりと玄関のドアが開いた。


俺はその姿に驚いた。母さん…。

萌のことばかりで、頭がいっぱいになってた。こんなにやつれてしまっていたなんて。

俺はショックだった。

「…どなたですか?」

何も考えていなかった。ここにくれば、萌の様子がわかると思って、ともかくこの場を何とか取り繕うしかない。

「あ…あの…陽介くんの高校の…えーとあのー…そう、カウンセラーで高木と申します。」

「はあ…」

母は覇気のない声で返事をしているが、どこか虚だった。

「どんなご用件で…」

俺は頭をフル稼働させた。

「こっ…この度はお悔やみを申し上げます。お線香をあげさせてもらってもよろしいでしょうか?」

「…あ、はい。ありがとうございます。」

母は、俺を和室に案内した。和室には、俺の写真の前に骨壷が置かれ、その前にはお供えが並んでいた。

本当に死んだんだ…俺。もう帰る身体もないんだ。

俺はしばらくその場に立ち尽くした。 


どれくらい沈黙が流れたのか、ぽつりぽつりと母が話し始めた。

「陽介は小さい頃から大きな病気もしたことがないし…野球の練習で一日中走り回ってるような子でした…その日もとても元気に練習試合に行ったのに…帰宅する時には…」

そう言って母は嗚咽し、泣き崩れた。

「お母さん…」

俺が手を差し伸べると、その手を掴み、

「こんなに簡単に人は死ぬんですか?こんなに…こんなに簡単に逝ってしまうなんて…」

涙ながらに、すごい気迫で訴えてきた。

「…そっ…そうですね。こんなに簡単に…あっという間に…」

俺も涙が溢れた。そうなんだよ。まさかこんなことになるなんて、あっという間に気づいた時には…俺は母を前にしたら、堪えきれなくなり、手を握り合ったまま二人で号泣した。


「…すいません…お母さんにこんなにつらい思いをさせて…」

そう言うのがやっとだった。

「いいえ、こちらこそ初めて会った方なのに、なんだか懐かしいような不思議な気がして…おかしいですね。そんなわけないのに…」

「多分…いやきっと…突然こんなことになって…」 

泣いて言葉に詰まってしまった。

こんなことなら、もっとちゃんと母と向き合っていればよかった。ちゃんと気持ちを伝えればよかった。悔やんでも悔やみきれない想いがドッと溢れた。


「陽介くんは…きっと…親孝行出来なかったことを悔やんでいると思います。」

やっと絞り出した一言。それは俺の本心だった。

それを聞いた母は、パッと顔を上げ、まっすぐに俺をみて、

「それはないですよ。なかなか子供が出来なかった私のところへ来てくれて、何より私にとって大切な思い出を遺してくれました。それは間違いなく私の宝物です。」

俺は母の両手を握りしめて、子供のように泣きじゃくった。

母さん…ごめん…ごめんな母さん…ありがとう…

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