第17話 愛は涙となって伝う

 明け方。聞こえるのは鳥のさえずりに、虫の鳴く音ばかり。


 セリスを乗せた馬車は、街道の脇に停車していた。帝都への道も残り半分ほど。あと数日もすれば辿り着いてしまう計算だ。今は喋るべき相手もなく、幌馬車の中で座り込むだけだ。


 外を見やれば、白んじた空を見た。朝霧の立ち込める中、くすぶった焚き火が微かに白煙を上げる。その傍では御者が、体を丸めて寝入っていた。旅の仲間と呼べるほど、親しい間柄ではない。帝都に着いてしまえば、恐らく二度と会うこともない。


 だから余計な口はきかず、こうして他人と変わらぬ距離感を保っている。



「私、これからどうなっちゃうんだろ……」



 膝にアゴを乗せたまま、虚空を眺めた。薄明かりの差し込む車内は、隅まで見通せない程に暗い。まるで自分の運命の様だと思う。


 どんなに足掻いても無力だった。望むべき未来に進むことは許されず、こうして叔父夫婦のもとへ、送られようとしているのだから。


 最初の1年間で卒業できていたら、事情は違った。ただし、その場合はアシュレイに出会うことも無かった。それが皮肉に思えて、自分の事ながら、微かに苦笑してしまう。



「最後に会いたかったな。先生に……」



 寮の荷物を整理して、馬車に揺られて幾日。アシュレイは始終不在だったので、遂には顔を見る事もなく出立した。その一件が胸に刺さった棘のようで、痛みを覚えてしまう。


 クラスメイトには、別れを告げずに出た。さよならを言ってしまえば、心が弾けてしまいそうで、堪えられないと思ったからだ。その為、執拗なまでに避けた。


 彼女たちは空っぽになった部屋を見て、初めて気付くだろう。セリス・スフランが、退学の道を選んだ事実を。



「どうして、こうなっちゃったの。私は、お父さんみたいに、強くなりたかった……」



 スカートの裾を握りしめては、深いシワを作った。いっそ引き裂いてしまおうか。そんな自棄が脳裏を過ぎる。しかし、思いついただけで、実行には移さない。


 そうしてまた、物思いに耽る。脳裏を過ぎるのは、遠からず待ち受けている運命だ。帝都に辿り着き、エルムスの元へ送られれば、どんな仕打ちが待っているのか。


 考えただけでも、背筋が凍るようだ。



「もしかして、今なら逃げられる……?」



 追い詰められた結果、セリスは閃いた。ちょうど御者が眠りこけている。他には誰も居ない。ならば、1人で馬車から飛び出し、そのまま逃げてしまえば良いのでは。


 それが容易でない事は理解している。土地勘のない森や山を逃げ惑ったとして、生き永らえる保証など無い。餓えて死ぬ。あるいは魔獣に殺されるのが、関の山というものだ。だが、このまま悲観の海に沈み込み、運命を呪うだけというのも苦痛でしかない。


 ならば自由を。ほんの一時でも良いから、自分の意思で生きてみたい。たとえ、その先に破滅が待っていようとも。



「よし。行こう」



 セリスは、手荷物を背負って馬車から降りた。すぐ側に焚き火、寝入る御者。起き上がる気配はない。足音を殺しながら、その場を離れた。


 そうして、とうとう街道から外れ、茂みにまで辿り着いた。ここまで来たなら、自由は目前。足取りならば、未開の森がくらませてくれるはずだ。


 勇ましく一歩踏み出す。しかしそんなセリスを、背後から止めようとする声があがった。



「どこへ行く」



 耳に突き刺さるほど鋭いが、聞き慣れた声。セリスはその場で足を止め、有るか無きかの笑みを浮かべ、体ごと振り向いた。



「先生。もしかして、見送りに来てくれたの?」


「お前に、ハァ……。用が、ハァ……。あってな」


「嬉しい。もう会えないと思ってたから」


「受け取れ。お前のものだ。ハァ……」



 アシュレイは、ようやく降ろせると呟きつつ、麻袋を地面に置いた。


 

「これは、一体?」


「30万ある。この金はお前の物だ」


「そんな大金。もしかして、先生……!」


「察しがついたか?」


「私を買うために、必死こいて稼いできた? そんなにも私が好きだった!?」


「違う。あらぬ方向に先回りするな」


「じゃあ、何これ」


「お前の父、ワーナードが遺した遺産の一部だ」


「お父さんの……!」



 セリスの震える指先が、麻袋に触れ、紐を解いた。すると薄明かりでも分かるほど、金貨の光が輝きだす。


 時は来た。彼女が心の奥底に封じた記憶が、今ここで蘇ったのだ。記憶を縛る鎖は崩れ、蓋が外れた。眩さを伴って蘇る光景は、金銀珠玉にも劣らぬ輝きを誇った。


 それは極々平凡な、彼女が愛した日常を映し出すものである。



◆ ◆ ◆



 セリスが10歳にも満たない頃の事。村からほど近い森の中で、魔術の勉強に励んでいた。しかし勉学は長続きせず、木を登り岩山を駆け上がりと、およそ魔術には無縁な遊びに熱中していた。


 やがて父ワーナードが、様子見のためやって来た。彼は、地面に転がされた杖と魔術書を見て、苦笑をもらしてしまう。



「おぉいセリス。勉強は順調か?」


「あっ、お父さん。えっと、その、一杯勉強したよ! 終わったから遊んでるの!」


「まったく。嘘なんかつかなくて良いんだぞ」



 ワーナードは、セリスの頭を乱雑に撫でた。それからは抱っこの要領で抱き上げ、頭上に掲げた。



「お前は父さんに似たのかもな。体を動かす方が好きなんだから」


「魔術は嫌い、全然面白くないもん。エルムス叔父さんみたいになりたくない!」


「ワッハッハ、そうか。アイツはやたらと魔術師にこだわるからな。何か言われても気にすんなよ」


「ねぇお父さん。私も、魔術師にならないとダメ?」


「そんな事無いぞ。お前のやりたいようにしなさい。父さんはな、セリスが進みたい道を歩めるよう、ずっと応援してるからな」


「ほんと? じゃあ武闘家になりたい! お父さんと一緒!」


「そうか、オレと一緒か。だったら頑張って強くなれよ!」


「じゃあさ、今日はたくさん稽古つけて! お休みなんでしょ?」


「それは構わねぇが、先にメシだぜ武闘家さん。肉も野菜もタンマリ食ってな」


「えぇーー? お野菜ヤダァ、おいしくない!」


「おいおい、お父さんは好き嫌いしないんだぞ? 強くなりたいんなら、何でも食べなきゃな。ワッハッハ!」



 午後の日差しに照らされた父の顔は、何よりも眩しかった。大好きだったし、愛されている確信が持てた。母が居なくとも、寂しさを覚えずにいられたのは、この笑顔があったからだ。


 忘れてなどいなかった。瞳を閉じれば、すぐにでも会える。今も傍で、見守ってくれるかのように。



◆ ◆ ◆



 セリスは、麻袋をそっと抱きしめた。大きく、ほのかに温かな袋を、両腕で。離さぬように力強く。


 父の愛は長い時を経て、ようやく娘の元へと辿り着いた。今この瞬間だけは、父子を阻む物など無い。その純粋な想いから、溢れるがままに嗚咽を漏らし、大粒の涙を流しては頬を濡らした。麻袋に滴り、じわりと濃いシミが広がってゆく。



「ありがとう、お父さん。私のために……」


「Bランクはそこそこ稼げるとは言え、若いうちにここまで貯金が出来るのは、立派だと思う」


「こんなの全然知らなかった! お父さんだって、色々楽しい事したかったはずなのに、お金を……。こんなに沢山のお金を……!」


「遺産は総額で70万にも及ぶ。その金で学生を続けるも良し。どこかで土地家屋を買い求め、畑でも耕して暮らすのも良し。お前が決めろ」


「そんなの、考えるまでもないよ……」


「そうか。もう決めているのか」



 セリスが涙を滲ませながら、優しく微笑んだ。過去を、苦難を乗り越えた顔には、凛とした美が宿る。しかしアシュレイは、年相応の笑顔と思うだけ。取り立てて感慨もなく、受け止めた。



 それからしばらくして。早朝、眠気の残る学生課に2人が来訪した。受付のテーブルに音を立てて、大きな袋が置かれる。抜群の重量が激しく揺らし、なぜか事務員のメガネもずり下がった。



「これ学費。一年分。お願いします。ついでに転科もしたい」



 手続きはスムーズだった。まるで、セリスが舞い戻るのを予見していたかのように、準備が整っていたのだ。しかしそれは些末なこと。後日に、証明書が発行されるとだけ聞いて、その場を後にした。



「うぅん。実に気持ちいい。大金での一括払いなんて」


「変な癖つけるなよ。金に魅入られた人生は、中々に辛いと聞く」


「大丈夫。あと50万もある。この先3年は学生やれちゃう」


「何回留年する気だ。今年で終わりにしろ」


「先生は冗談が通じない。笑いを理解せずして、何が戦士か」


「ムードメーカーはオレの役割じゃない」



 日差しの暖かな通路を行く。窓ガラスを通して、七色の光が降り注ぐようにも見えた。


 セリスは思わず見とれて、足を止めた。だが、アシュレイは構わず歩き続ける。そうして遠ざかる背中を、早足になって追いすがった。



「先生。どうして私を助けてくれたの?」


「そこを疑問に感じるのか」


「生徒は駒だって言った。だから、放っておかれるだろうって。たぶん面倒だし」



 アシュレイは、そこでようやく足を止めた。静かに瞳を閉じ、心の深い所で思案する。なぜ自分は奔走したのか。浮かんでは消えていく言葉の中で、一番腑に落ちる物を掴み取り、そのまま告げた。



「お前たち生徒は、オレの『宿題』をクリアするのに必要らしい。その鍵を握っている可能性が高い。だったら、手放すと不都合になりかねん」


「それが私を助けた理由? 息を切らしてまで?」


「夜通しで駆け回ったんだ。息くらい切れる」


「ふふっ。先生って不器用だね」


「剣も魔法もこなすオレが、器用じゃないとは恐れ入る」


「そんな話はしてない」



 セリスは、軽い足取りでアシュレイの隣に並んだ。口元を不敵に歪め、顔を下から覗き込む姿勢になる。



「先生にご褒美。解禁してもいいよ」


「唐突に何だ」


「まだ大人になってないけど、ほっぺにチュウくらいしてあげる。特別に」


「要らん気遣いだ」


「乙女のファーストキスには、一説によると、百万ディナの価値があるとか。やったね。これで大金持ち」


「戯言は終わりか。だったら行くぞ、授業が始まる」


「照れちゃって。そんな所もカワイイ」



 やがて特進クラスに辿り着く。そこには、『自習』という大きな文字の前に座る、シャロンの姿があった。



「先生、セリス! ここ最近どうしたの!? 何だか久しぶりじゃん!」


「ごめんねシャロン。諸事情で留守にしてた」


「風邪、とかじゃねぇよな? 部屋に居なかったし。つうか荷物も無かったけど」


「先生との婚前旅行だった。ついでに荷物も持って。愛を確かめ合う、有意義な旅だった」


「ひぇぇマジかよ! 旅行中どうだった? やっぱり手ぇ繋いだり、肩を抱かれたりすんのかよ!?」


「おい手コスリ。ガリ人形のホラ話を信じるな。授業を始めるぞ」


「アハハ、そっすか。でもあだ名で呼ばれると、なんか、日常が戻ってきた気分ですね」



 シャロンの言う通り、日常は取り戻された。皆が望む形で。それでいて、大きな一歩を踏み出したような、新しい日々が。


 後日、学園から文書が発行された。エルムス邸に退学通知書と、それに被せるようにして、復学認定の書類が。


 それから更に数日後、学園には一通の手紙が届く。無地白の紙で高級紙だった。そこには短い文面であるものの、筆跡は流麗で繊細。書いたのは女性ではないかと思わせる物だった。味わい深さを感じさせる手紙には、次のように記されていた。


 私の大切な家族を、宜しくお願いします、と。




ー第1部 完ー


 

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ブシンガコウシ 〜美少女に囲まれながら育て上げゆく臨時講師ライフ〜 おもちさん @Omotty

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