第13話 記憶を縛る鎖
4頭立ての馬車が、校舎前に横付けされた。白馬揃えの高級車だ。何名かの生徒が口々に驚きの声をあげる中、やがて馬車のドアが開いた。
下車したのは1人の男。痩せこけた顔で、年の頃は50代で、金色の短髪頭は白髪交じり。身につけるローブが紫地に金縁で、見ただけでも高価だと分かる。その背中は金刺繍入りで、剣で腹を貫かれた竜の模様が描かれている。それは公職に就く者の証だ。近衛騎士や宮廷勤めであることを示す。
「フン。田舎臭い、汚らしい。さっさと用を済ませてしまおう」
男の名はエルムス。セリスの叔父で後見人だ。
彼は供を連れず、短い足を大きく挙げて歩く。その間に慣れた仕草で、細長い口ひげの先をつまむ。そんな手癖を披露しながら、本校舎へと向かった。
このエルムスの来訪を機に、関係者が理事長室に集められた。予定にない面談だった。
「本日はようこそ、当学園へ。エルムス・クォーサル・ウェスピリア殿」
革張りのソファに腰掛けた、エミリオ理事長が挨拶した。その左右はアシュレイとセリスが座る。
対面のエルムスは、出された紅茶をひとすすりして、顔をしかめた。
「ひどい茶葉。なんとケチ臭い事だ。あれだけの学費を集めておきながら、もてなしが貧しいとは」
「いやはや、これは手厳しい……やはり宮廷魔術師ともなると、舌が肥えるようですな」
反応したのはエミリオのみで、白い頭に手をやった。その間、アシュレイは無言のままで観察を続け、セリスに至ってはうつ向くばかりだった。
それから、しばらくは世間話。天気や景気、今年は不作なのか等、当たり障りのない話題が続く。やがて痺れを切らしたのは、客の方である。エルムスが、眉尻をあげながら言った。
「私はね、雑談の為に来たのではないのだよ。エミリオ理事長」
「そうですか。あなたはお話が上手です。いくらでも聞いていたい所ですが」
「それは折を改めて。今日は姪に用がある。結論から言えば、連れ戻しに来たのだ」
「連れ戻すとは。外泊の事ですかな?」
「とぼけるな。退学手続きに来たのだ、分かっているだろう」
退学、という言葉に3人は反応した。特にセリスなどは、膝に乗せた握りこぶしを震えさせた。
「人生を左右する程の大事です。理由をお聞かせ願います」
「知れた事だ。1年もの月日をかけて、20万ディナもふんだくっておいて、何だこの成績は。A評価どころかEどまり! この学園は本当に教育機関なのか!?」
「大器ほど、磨くのに時間を要するものです。あなたの姪、セリスさんは相当な遣い手になりますよ」
「フン。おおかた、言葉巧みに引き止めて、学費をむしり取ろうという魂胆だろう。その手には乗らんよ」
「こちらとしても、対策は講じているのです。より確かな成長が出来るよう、特別に優秀な講師を招いております」
エミリオはそう言いつつ、アシュレイの肩に触れた。バトンタッチだ。それならばと、咳払いをひとつ。専任講師の視線から語る事にした。
「担当のアシュレイ・ロード・オーミヤだ。ここからは、授業での評価と特異な点について説明したい」
「アシュレイ……知らんな。領主らしいが、どこぞの辺鄙(へんぴ)なド田舎に違いない」
「オーミヤを知らない? 宮廷で話題になってはいないのか?」
「馬鹿な。貴様の領地など聞いたこともない。世界の中心はウェスピリア帝都であり、それ以外は未開で野蛮な、取るに足らない国ばかりだ」
アシュレイは瞳だけで隣を見た。確かにエミリオはオーミヤの悲劇を、今も終わらぬ脅威を認識していた。ただし、エミリオがいかに優秀であっても、所詮は教育者。国家が持つ情報量には及ばないのは、考えるまでもない。
民間人のエミリオが知り、なぜ国家の中枢にいるエルムスが知らないのか。不審に思えて仕方ない。それでも今は、追求すべき場面ではなかった。
「確かに手に余る生徒だ。自発的に伸びていくタイプではない。だが兆しは見えた、だからあと少しだけ猶予が欲しい」
「その必要はない。今は損切りのタイミングなのだからな」
「彼女が抱える問題について、認識は?」
「無愛想、貧相な体、穀潰し。十分に存じているよ」
「……端的に説明する」
アシュレイは明瞭に語った。癖の強い字が邪魔をして、魔術に支障をきたしたが、徐々に改善されていること。その対策プランまで用意されていた。
「毎日、古代語の書き取りをさせている。それには一定の進歩が見られた。じきに改善されるだろう」
「何を悠長な。1年かけてEという無能だ。どれほど労力を注ごうとも、荒れ地に花など咲かぬわ」
「論より証拠。とにかく、成長ぶりをその眼で見てもらおう」
アシュレイは、視線でセリスに促した。ビクッと跳ねた小さな体は、やがて人差し指だけ突き出し、術式を組み立てていく。
しかし歪む。過去に見ないほど盛大に。極めつけには、微弱に漏れ出た魔力によって魔法が発動。火の粉が指先からこぼれ落ち、オーク木のテーブルを僅かに焦がした。
「やはりな。所詮クズはクズ。金をかけるだけ無駄だったと」
「少し調子が悪いらしい。魔術はさておき、1つ提案したい」
「私に聞く義理などないが、今日で最後だ。手短にな」
「武術科への転科をお勧めする。どうやら、そちらの方に天禀(てんぴん)があるらしい」
「ぶ、武術科だと……!? ふざけるな!」
エルムスは握りこぶしを掲げ、力任せに机を叩いた。ティーセットが騒がしく音を立て、同時にセリスの肩が弾けては震えた。
「貴様のような賤民は知らんだろうが、我らは魔術師一族だ。ついには宮廷魔術師にまで至ったエリート集団だ。それを殴る蹴るしか能のない、品性下劣な武闘家にするだと!?」
「魔術師一族と言うが、別の仕事に就いた者も居るようだが?」
「あぁそうだ。兄は一族の面汚しだ。魔術には目もくれず、バカの1つ覚えで身体ばかりを鍛え、最期はつまらぬ死に方をした」
「実の兄を、そこまで貶(けな)すのか」
「フン。私は面汚しの娘を、こうして引き取り、育ててやっている。感謝されることはあっても、咎められるいわれなど無い」
「実子の前で故人を貶(おとし)めるのは、下品な振る舞いだ」
「揚げ足取りめ。ともかく許さん。武闘家など、絶対にだ。そうだろう?」
絡みつくような視線がセリスに向いた。小さな体は震えを止め、静かに語りだす。視線は一点に定まったまま。焦げた机の端を見ていた。
「はい。私は、言いつけ通り、叔父さんの様な高名な魔術師に……」
「逃げるな、セリス!!」
室内に怒号が鳴り、壁まで響かせた。
セリスはようやく顔を持ち上げ、声の主、アシュレイを見た。彼女の瞳は驚きのあまり、大きく見開かれている。
「先生、今、私の名前を……」
「ここで退くな。お前の正念場だ。この先、後悔に塗れた生涯を生きる事になるぞ」
「正念場……?」
「胸に手を当ててみろ。お前の本心はどこだ。何が望みだ。それと向き合ってから、結論を示せ」
「でも、私は」
「お前の意思を尊重してやる。思う様に吐き出してみろ」
「私の望み……?」
セリスは呆然としながらも、両手を胸に押し当てた。そして脳裏で遡る記憶、過去を旅して、何かを探ろうとした。
過(よ)ぎるのは屈辱の日々ばかり。叔父夫婦には邪険に扱われ、歳の離れた従兄弟達とも疎遠だ。来る日も来る日も、家事を押し付けられる毎日。酷暑の昼、厳冬の夜であっても、絶え間なく働き続けたものだ。
だがそんな記憶の沼を潜り、奥までさまよえば、何か温かな物に触れる。鎖で厳重に封じた、記憶の蓋だった。
「わた、私は……」
幼き頃を忘れたかったのではない。叔父に支配された、過酷な毎日が、侵食しないよう守ろうとしたのだ。
美しい想い出が、決して汚されないように。
「私は……!」
鎖に亀裂が入り、箱の端が弾ける。すると、記憶の断片が輝きをもって蘇った。
頭を撫でてくれる大きな手、白くて輝かしい歯。熊みたいだと、見知らぬ子供は怖がるが、世界の誰よりも優しい人。最期は仲間をかばい、道半ばで倒れた勇敢な人。
胸は痛みを覚えるほどに、温かくなる。そして温もりは、小さな背中を後押ししてくれた。声は震え、両手足まで震わせしまうが、意思は示された。セリスが抱き続けた、本当の想いが。
「私は、武闘家になりたい。お父さんの様な、武闘家に……!」
「上等。その勇気は褒めてやる」
アシュレイは、彼なりの賛辞を送るのだが、エルムスは違う。再び机に拳を叩きつけては、青筋を立てて喚き出した。
「そんな勝手は許さんぞ! 殊勝に学ぶ意思を見せるかと思えば、貴様まで誇りに唾吐くつもりか!」
「落ち着け。こいつには眠ったままの才能がある。魔術闘士だ。その素質を生かしてやれば、ゆくゆくは立派な……」
「黙れ黙れ黙れぇ! 私を丸め込んで、さらに金をせびろうと言うのだろう。もう騙されんぞ!」
「ではどうする。独学で伸ばす気か?」
「学費に20万もの大金をかけた。学園に入れる以前にも、3年分の食費や被服費を使った。この世にタダのものなどない。本人から返して貰わなくてはな!」
「学生にとっては大金だ。払えと言われても、用意は難しい」
「だから辞めさせる。次は娼館だ。たんまり稼いでくれるだろうさ」
その言葉には、さすがにアシュレイも眼を剥いた。
「正気か。まだ子供だぞ。まともな娼館だったら、雇われもしない」
「そうさなぁ。今日明日に送りつけたとしても、役立たずは変わらん。此奴が資格年齢を満たすまでの間、寝所の習わしを教えてやらねばな。忙しくなりそうだよ、クックック……」
「お前、今のは……!」
「おっと、この穀潰しをどう扱おうと、私の勝手だ。生かすも殺すも腹1つ。余所者が口を挟むんじゃない」
「エルムス殿。私も学園側の人間としてお願いがあります。既に前期分の学費は預かっております。せめて半期だけでも、優しく見守ってはくれませんか?」
「ならんと言ったらならん。金ならば可能な限り、返してもらう。これは決めた事だ」
「そうですか。致し方ありませんな……」
アシュレイは、同意を示したエミリオを鋭く睨んだ。しかし苦渋を浮かべた顔は、そのまま動かない。この状況で、学園側に出来る事は何もないのだ。
「わざわざ帝都から馬車で来た。セリスはこのまま連れて帰るからな」
「それはなりません。彼女には、部屋の整理を終えて貰う必要がありますので」
「何だと?」
「整頓に2日弱、帝都まで送るのに7日前後。それまでは、お待ちいただくしかありません」
「二度手間も良いところだ! 馬車代だって安くはない。この期に及んで、さらに迎えの金をせびろうと言うのか!」
「送りの馬車はこちらで用意します。それならば問題ありますまい」
「私は後見人だ、最も尊重されるべき保護者だ。今すぐ連れて帰る」
「ならば不本意ですが、騎士団に届け出ねばなりません。生徒を誘拐されたと。手続きが終わるまで、彼女の監督責任はコチラにありますので」
「クッ……小細工を……!」
「準備に2日、送りに7日。ご理解願います」
「……良いだろう。決して遅れるなよ」
最後に鼻息を撒き散らして、エルムスは理事長室を後にした。
その足音が遠ざかるのを待たず、室内には重たい声が鳴り響いた。怒りを滲ませたアシュレイが、肩を掴んでまで糾弾したのだ。
「理事長、なぜ承諾した。このまま要求を飲むつもりか?」
「私に打つ手などありません。保護者の意思が尊重されるのは、当然の事なのですから」
理事長の手元には一枚の紙がある。それは退学届で、条件を満たした書面だった。
「エルムスの話を聞いていただろう。本当にこのまま、悪意に満ちた男に渡すと言うのか」
「退学処分となった生徒は、もはや生徒ではありません。この先、どのような未来が待っていようとも、与り知らぬ事です」
「そうか。立派な教育者だな」
アシュレイは捨て台詞を残して、部屋から出ていった。そして通路を足早に歩きつつ、指輪に口先を寄せた。
「クエン。さっきの話は聞いていたか?」
「もちろんですよ。何なんですか、あのクソ野郎は」
「このまま成り行きに任せる気はない」
「オッケーです。差し当たってどうしますか? あのゴミカス野郎をブッ殺します?」
「いや、それだと何の解決にもならん。調べ上げろ。奴の事を徹底的に、隅々までだ」
「承知です! それこそ、えげつない弱みをキッチリ押さえてきます!」
「急げ、スピード勝負だ。金に糸目は付けない」
そこで会話を終えると、アシュレイは特進クラスに戻った。狼狽(ろうばい)して迎えるシャロンを無視して、黒板には大きく『自習』とだけ書き残す。
残された時間は少ない。出来る限りの手は打とうと、心に決めた。
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