第12話 嵐の前触れ

 アシュレイは教室に向かう道すがら、羊皮紙に視線を落とした。クエンに、セリスの経歴を調べさせたのだ。情報量は十分で、端から端まで細かな文字が書き記されている。



「一族は皆、魔術師ばかり。特に、セリスの後見人であるエルムス・クォーサル・ウェスピリアは宮廷魔術師という大身。庶民の出ながら、何がしかの爵位を賜る可能性あり」



 一族が同じ適正を持つ、ということは往々にしてある。それでも、やはり個体差は大きく、優劣は必ずつきまとう。その中でも取り分け優秀な者が、宮廷通いになった。それだけの事だ、と思う。



「セリスの父、ワーナード・スフランとは5年前に死別。それ以降は、叔父のエルムスに引き取られて暮らす。ワーナードはBランク冒険者で、武闘家。仕事ぶりは程々であったが、情に厚く、彼を悪く言う者は居ないとの事」



 アシュレイは、静かに眼を細めた。10歳で実父と引き裂かれた、その人生に想いを馳せたのだ。


 死の間際には会えたのだろうか。それだけで雲泥の差がある。後悔は、苦悩は。魂を縛り付ける鎖は有るのか、無いのか。自分の過去を映しながら、様々な言葉が去来する。


 そんな時だ。校舎通路で、見知らぬ女子生徒の集団と出くわした。しかし様子がおかしい。まともな挨拶はなく、それどころか、激しい嫌悪を露わにしたのだ。



「ひっ、アシュレイ先生だ……」


「構うのはやめなよ。早く行こう」



 脇を掠める怖気と侮蔑。これまでに無い負の視線に、アシュレイは眉を潜めた。初対面も同然の生徒たちに、予期せぬ悪感情を向けられれば、彼も不審に思う。



「なんだ、あいつら?」



 不可解に思うが、微々たるもの。それよりも授業だ。特進クラスのドアを押し開けると、見慣れた生徒が待ち受けていた。セリスとシャロンである。



「おはようござーーます!」


「おはよう、先生。今日は古典の授業」



 口々に挨拶を投げかけるが、アシュレイは答えない。返事代わりにセリスを見据えながら、座席の傍まで歩み寄った。



「なに。真剣な顔。まさか婚約の儀?」


「ガリ人形。転科してみないか?」


「てんか。添加、転嫁、点火……」


「魔術科から武術科へ移らないか、という話だ」


「武術科なら、一度は考えた」


「再検討しろ。お前には、魔術闘士の才があるかもしれん」


「まじゅつとーし?」

 

「知らんのか、説明してやる」



 アシュレイは黒板に、手早く書き殴っていく。やがて一枚絵に、細やかな文言の書き込まれたものが出来上がる。ただし、絵心はそこそこ悲惨であった。



「これを見たら、一目瞭然だと思うんだが」


「先生。サッパリわかんねぇっす! 説明お願いしゃす!」


「……口頭でも説明する」


 

 アシュレイは、団子のように並んだ丸を指差しながら、説明した。



「武闘家の主な役割は、前にも言ったが先駆けだ。スピードで圧倒し、撹乱して隙を作る。そこへ剣士や槍士、魔術師が攻撃を仕掛ける。それが基本戦術となる。あるいは身軽さを活用し、遠く離れた敵を急襲する、なんて戦略を担うこともある」


「さすがに、それくらいはアタシでも知ってますって」


「それで魔術闘士だが、言葉通り、魔術を扱える武闘家を指す。前線に飛び込み、撹乱してノータイムで魔術を浴びせるんだ。かなり強力な戦術だと言える」


「アハハ。そんなヤツが居たら、武術しかできないアタシに、立つ瀬はないなぁ……」


「もちろん万能ではなく、欠点もある。スタミナと魔力を同時に消費するんだ。長時間の戦闘に向かない。下手すれば、唐突に魔力損耗に陥り、気絶するケースも珍しくはない」


「ふぅん。それは結構ヤバそうな弱点っすね」


「だが、遣い手になれば引く手あまただ。どこでも重宝されるに違いない。どうだ、やってみるか?」



 アシュレイは、視線をセリスに向けた。珍しく無言を貫く、少女の顔に。


 その瞳は憂いを秘める。うつむき、あらぬ方を見つめるのは、未来を見据える為ではない。慣れ親しんだ諦念と、改めて向き合っただけである。



「私は、遠慮する。このままで良い」


「お前は改善したといっても、未だに癖字に苦しんでいる。だったら武術を習ってみるのも悪くないだろう。転科の手続きは、せいぜい2千ディナで可能だ」


「良いの。変えない。そういう約束だから」


「約束とは、例の叔父とやらか?」



 セリスが答えようとした矢先、突如として扉が開いた。現れたのは女子生徒で、青い髪、毛先はフワリ。耳元には大振りなイヤリング。そして尊大な腕組みと不敵な笑み。


 特進クラスのサーシャであった。



「セリス。転科なんてやめなさい。どうせこの男、何かと理由をつけて、体にベタベタ触ろうって魂胆だわ。いやらしい」


「オレがそんな真似するか。突然乱入してきたかと思えば。何を言ってるんだ、お前は」


「アシュレイ先生。あなたは素晴らしい評価を受けてるそうね。依頼達成率には驚かされたわ。でもね、それを鼻にかけて、相当悪どい事をやらかしてるそうじゃないの」



 サーシャは腕組みのまま歩み寄り、羊皮紙を広げた。それは、アシュレイの眼前に突きつけられる。



「面白い噂が聞けたわ。ちょっと調べるだけで、こんなにも。これまでに犯した悪行の数々がね」



 そこには言葉通り、噂話が悪意を持って記されていた。ひとつ、高級レストランで6千ディナもの代金を、店主を脅して踏み倒した。ふたつ、とある田舎町を占拠してあらゆる女を強奪。三日三晩かけて相手をさせた。みっつ、名もなき村に押し入り、村民全てを皆殺しにした。


 それ以外にも、枚挙に暇が無いほどである。アシュレイは瞳を閉じ、大きな大きな溜め息を吐いた。またこのパターンか、と。



「ふふん。悪事がバレて降参ってところかしら? 残念ねぇ、若い女とお遊び出来る立場だったのに。学園中に広めてきちゃった。危険人物だから近寄るなって」


「何が狙いだ。罷免か?」


「当たり前でしょ。もしこのまま大人しく消えるなら、ここで止めてあげる。でも、見苦しくしがみつこうっていうなら、学園に訴えるわ」



 サーシャの瞳が怪しく煌めく。勝利を確信し、弱者をいたぶろうとする眼だ。アシュレイが嫌悪するものの1つである。



「そこまで言うなら、犯罪歴まで調べたんだろうな」


「はんざい、歴?」


「それだけの大罪を犯してるなら、ギルドや証書館で照会できる。そこまで調べた上で言ってるんだな?」


「そ、それは……」


「噂に踊らされたか。おおかた、街の情報屋の話を鵜呑みにしたな。それだけ頭が軽いと羨ましい。悩みなんか無いだろう」


「……火の無い所に煙は立たない! 全て真実じゃなくても、何か悪どい事してるはずよ!」


「オレは食事に100ディナ以上かけない。無駄だからだ。それに、1度仕事に出れば、容易に5万10万と稼げる。6千ぽっちを踏み倒すメリットなどない」


「6千ぽっちとか……。さすが先生、雲の上っすわ」



 シャロンは苦笑しながらも称えた。彼女は入学以前、家業を手伝っており、父親から小遣いを貰っていた。それでも、1ヶ月で1千2千がせいぜい。6千でも大金である。そして5万なんて額面は、一度として手にした経験がなかった。



「それが何よ……! 他にも数え切れないくらい、悪い噂が立ってるじゃないの!」


「女と三日三晩夜遊びしたとか、ありえん。そんな時間があれば、修練か書見に充てる。村人を皆殺しというのは、そもそも論理が破綻してる。全滅させたはずの村で、誰がその犯行を目撃したんだ?」


「それは……その……」


「他の噂話も、目を通すだけ馬鹿馬鹿しいが、論理の破綻したものばかりだ。結局お前は、不確かな根拠で他人を貶めたという事だ。そんなザマで軍略を学ぼうなどと、笑わせるな」


「とにかく出ていきなさいよ。この学園にはもう、アンタの居場所なんて無いんだから!」


「居場所なんぞ、端(はな)から求めていない」



 アシュレイは、静かに告げつつも、覇気を周囲に撒き散らした。そうして全身に闘気をまとうだけで、周囲を圧倒し始める。


 サーシャなどは腰を抜かしそうになるが、辛うじて堪えた。腹はそれなりに、座っている方なのだ。



「オレは、命に替えても成し遂げねばならない、悲願がある。皆の夢を背負っているんだ。居場所がどうのと、泣きわめいてる暇はない」


「出ていけって言ってるでしょ。それとも何よ。理事長からお墨付きでも貰って、名実共に追放者の汚名を刻まれたいの!?」


「やれるもんなら、やってみろ。ガキの浅知恵がどこまで通用するか、見ものだな」


「絶対に……絶対に後悔させてやるから!」



 サーシャが肩を震わせながら、教室を後にした。それから立ち去っていく足音に、何人かが続いてゆく。


 アシュレイとしては、鼻白むばかり。セリスには転科を断られ、横やりが入った後だ。後にやるべき事など、1つだけだった。



「話が逸れた。古典の授業を始める。今日はアントキウソと、コレモハテナが交わした恋文で読み解く、当時の政治力学と社会通念について学ぶ」



 セリスもアシュレイも、既に授業を始める気になっている。呆然とするシャロンだが、大きな違和感を何とか飲み込み、この状況を受け入れた。


 その一方で、廊下を怒り混じりに歩くのはサーシャだ。他のクラスも授業の真っ最中。そこに、移動教室でもないのに、生徒だけでうろつく姿は目立った。どこかの生徒が「また特進クラスか」と、声をあげて嘲笑う。



「ねぇ、サーシャちゃん。自習室でも行こうよ。悪目立ちしちゃってるもん」


「何言ってるのよ。これから理事長に直談判するの。アイリーンとヒューリもついてらっしゃい」


「理事長先生のお部屋……。入った事なんてないですよ」


「心配要らないわ。私の父は伯爵なのよ。この名が決して軽くないこと、アナタたちに見せてあげるから」



 勇ましくも、理事長室に乗り込んだ3名。彼女たちは、一応優しく歓迎されたのだが、雲行きは怪しかった。



「エミリオ理事長。折り入ってお話がありますの。聞いてくださるわよね?」


「どうなされた、お三方。今は授業中のはずだがね」


「そんな事より火急の用件ですわ。即刻、ただちに講師アシュレイを、罷免していただけませんこと?」


「それは何故かな?」


「真偽の程は不明でも、これだけの悪い噂がありますの。すなわち講師として相応しくない、不適格。大きな問題が起こる前に、適切な対応をお願いできますこと?」


「悪い噂……たとえば?」


「ご覧あそばせ」



 サーシャは流れるような仕草で、先程の羊皮紙を手渡した。緊張の瞬間だと自覚する一方、おくびにもださず微笑みを保った。彼女の背後で震えるばかりの、アイリーン達と比べれば、実に立派な態度だと言える。


 それから、エミリオ理事長の視線が紙に落ちる。そうして読み進めるうちに、彼は笑った。弾けるように、と言えるほどに。



「な……何がおかしいんですの?」


「いえね、つい懐かしくなって。私も若かりし頃は苦労させられた。方々で名を騙られたのでね。私の偽物が、世界各地に出没したものだよ」


「偽物……!?」


「名を騙り、背格好を真似るだけで、噂しか知らぬ者は信じるのでね。小悪党にとって、この上ない儲け話になるのだよ。もっとも、国までは騙しきれず、ギルドや騎士団に捕まる事になるが」


「じゃあ、あのクソボケ講師も、同じだと言うの……!」


「話はお終いかね。そんな理由では、クビになど出来ない。ましてや、彼は得難い講師なのでね」


「冗談じゃないわ。どうしてあんな奴の肩を持つのよ……!」


「冷静になりたまえよ、サーシャ・レイロード・グレイビー。君は本来、明晰な頭脳を持つはずだ。それがこのような奸計を巡らすなど、浅慮と言わざるを得ない」


「アンタも、あいつらと一緒よ。私に優しくない。きっと敵なんだわ……!」


「まったく。君はどうやら、繊細で曇りやすいようだ。本来の知能が働けば、大人顔負けの策謀を思いつくだろうに。一体何が君をそこまで」


「おだまり! 私にケンカを売ったこと、絶対に後悔させてやるわ!」



 まさか、捨て台詞を吐くなどと。付き添っただけのアイリーンとヒューリは、とばっちりである。学園の最高権力者に啖呵を切った、その一味となったのだから。



「サーシャちゃん、謝ろうよ。ごめんなさいって謝っとこう!」


「うるさいわね! とにかく帰るわよ。作戦変更!」


「私も、ごめんなさいした方が、良いと思います……」


「ヒューリ! アンタまで裏切るっていうの? そんなの絶対許さないから!」



 騒がしき3人は、喚き声と共に室内を後にした。すると理事長室は静けさを取り戻す。



「やれやれ、激しい娘だ。話に聞く以上だった」



 忘れかけていた紅茶を、口に含んでみる。興ざめする程にぬるく、すぐに手元から遠ざけた。



「サーシャという生徒、何か腹の中に隠しているのか。少し過剰に思える」



 不自然な態度を振り返り、エミリオは思考を巡らせた。しかし、それも長くは続かない。学園の中央通り、理事長室の窓から、見慣れない馬車が停まるのが見えたからだ。



「来客の予定は無いが。どこぞの貴族連中か……」



 その人物は、後に分かる事だが、セリスの叔父である。後見人である彼は、学業不振の姪を引き取りにきたのだ。


 アシュレイが赴任してより、未だに団結が出来ていない特進クラス。そのうちの1人は今、退学という不名誉な形で、学園を立ち去ろうとしていた。

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