第10話 兄弟弟子
シャロン・グリシア、17歳。あだ名は手コスリという武術科の生徒だ。特徴的であるのは、やはり背丈だ。周りより頭1つ分大きく、筋肉の付き方も悪くない。父は猟師で、生業を手伝ううちに、自然と身体が出来上がったという。
そんな恵まれた身体を持つシャロンだが、成績は宜しくない。筋力や持久力の評価はDと、比較的マシな部類だが、他は概ねE。特に実戦実技は最低のFと、目も当てられない。適正無しと言って良い。また癖の強い生徒かと、アシュレイは眉間のシワを深くした。
午後は予定を変更して武術の訓練。今日もグラウンドの端を借りつつ、授業が始められた。
「よし。お前たち、準備は良いか?」
「もちろんですよ。バッチリですから!」
拳を鳴らすシャロンは、着替えを終えていた。ノースリーブシャツに、ミニスカート。その下にタイツを着込んでいる。この装いだと、細長く結んだおさげ髪が、似合うように見えた。少なくとも、動きやすそうではある。
その隣では、杖を携えたセリスが控えた。こちらは着替えておらず、グレーの制服姿だ。
「まずは打ち込みだ。上段の拳打をワラ人形に打ってみろ。型は好きにして良い」
「ワラ人形を、素手で打つんスね?」
「そうだ。合図があるまで続けるように。では、はじめ」
シャロンが、緊張の面持ちで構えだす。思ったより悪くない。実戦実技が最低評価の割には、練習の後が見て取れた。
一体何が致命的なのか。今後を思えば、早いうちに欠点を見つけておきたい所だが。
「いきます。とりゃーー!」
消極的な絶叫から、拳が乱舞する。ちゃんと腰の入った打撃だ。それなりの威力があるだろう。
しかしアシュレイは、早くも異様さに気付く。彼が目利きだから、というのではなく、誰でも思うだろう事を口にした。
「手コスリ、ちゃんとワラ人形に当てろ」
「あっ、やっぱそういう感じですか。こ、壊したら嫌だなぁとか、不安で不安で……」
「壊しても構わん。その時は新しいものを用意するし、在庫切れなら、メガネの事務員に調達させる」
「お、オス。そんじゃあ遠慮なく……」
再びシャロンが構えた。次こそは本気でやれ、と無言のまま眼で語ってみせた。しかし、未だに拳は触れない。僅かな隙間を保つことで、直撃を避けていたのだ。
「聞こえなかったのか、それとも聞く気が無いのか。オレはワラ人形に当てろと言った」
「いや、そうなんですがね。誰が触ったか分かんないじゃないすか、コレ。鼻ほじった手で触れたり、トイレ行っても手を洗わず、そのまま持ち運んだり」
「そんなヤツが居るかもしれんが、いちいち気にするな。今は授業に集中して……」
「気になりますよ! そんなの汚らしくて触れませんもん!」
シャロンが弾かれたようにして、顔をアシュレイに向けた。見開いた瞳には強固な意思と、微かな蔑視が紛れている。
「手コスリ。お前、潔癖症か?」
「まぁ、有り体に言えば、そういう人種ですかね」
「もしかして、ひっきりなしに手を擦り合わせるのも?」
「気になっちゃうんすよ。ドアとか手すりとか、そういう所に触った後って」
「致命的だな。拳で殴れない武闘家だなんて、魔力の枯渇した魔術師みたいなものだぞ」
「足技があるじゃないですか。靴で蹴り飛ばす分には平気ですから」
「両手を封じるだけでも、ハンデとしては十分だ」
シャロン、殴れない。性格が災いして、拳打が使えないというのは、相当に厳しい縛りだ。だったら別の科目を学べと思うし、実際口に出した。
「素手で触れないなら、武器を使えばいいだろ。剣だの槍だったら、肌が接触せずに済む」
「嫌ですよ。斬ったら、返り血を浴びるじゃないですか」
「じゃあ魔法を学べ。魔術にしろ精霊術にしろ、遠くから攻撃できる」
「無理ですって。アタシに勉強なんか。古代語とか覚える気にもなんない」
「お前は何で入学した! そんなザマじゃ、卒業すら夢物語だぞ!」
「だから先生に教えてもらいたいんスよ! お願いします、スゲェ必殺技とか教えて!」
「そんな都合の良いやり方が有るか。とにかく手を出せ」
おずおずと差し出される両手に、アシュレイは布を巻き付けた。主に手の甲を護るように。
「せ、先生。これは……?」
「保護布。本来はケガ防止とか、そういう意味合いだが、お前のケースにも利くだろう。直接触れずに済むんだから」
「あの、これちゃんと洗ってます? すげぇ使い込んだ後が……」
「ここまでやっても不満か。オレは体罰ってもんが嫌いだが、必要悪だと、考えを改めるべきか」
「ヒッ。やりますやります!」
シャロンは再び、腰を落として構えた。そして棒立ちの人形目掛けて、拳を浴びせる。叩く。殴る。今一つ及び腰であるのは気になるが、形の上では問題ない。
「ガリ人形。あいつは普段から?」
「そう。汚れる事を嫌う。手洗いも頻繁だし、ジュースの飲み回しも避けてる」
「それは致命的だな。冒険者にとって、最悪の欠点かもしれん」
「どうして。武闘家は戦う時、素手じゃない。手甲とか、すね当てとか、色々付ける」
「問題視するのは別のシーンだ」
冒険者暮らしは、清潔から程遠い毎日だ。街に居るうちは身綺麗にできても、いざ討伐だの捜索だの仕事を請ければ、身体がどうしても汚れる。水浴びを許されれば上々。洞窟に三日三晩潜り込み、指先の泥を落とす暇さえない。そんな依頼も珍しくはないのだ。
酒場で浴びるように酒を飲み、行きずりの女に金銀珠玉を気まぐれに贈る。豪放で快活、まばゆい輝きを放つ人生。それは、死と隣合わせに生きる彼らの、ほんの一部分に過ぎないのだ。
「よし。打ち方やめ」
アシュレイが声をあげると、シャロンは手を止めた。そして膝に片手を置くことで身体を支え、空いた手で額の汗を拭い去る。呼吸も荒い。もっとスタミナが必要だが、今はこんなものか、とも思う。
「すぐに息を整えろ。次に合図したら、今度は足技を浴びせるように」
「ゼヒィ、ゼヒィ。ちょっと、ペースが……」
「是非是非と言うくらいだ。そのやる気は買ってやる」
「これ、ちがう……。是非じゃ、ない……」
「武闘家は牽制を任される事が多い。身軽だからな。そのため、戦場では一番駆け回るポジションだ。出来るだけ体力を培っておけ」
打ち方、はじめ。両手が打ち鳴らされると、シャロンはよろめきつつも構えた。そして中段の蹴りを、左右の足で繰り返す。
アシュレイは、思わず口から「ほう」と漏らした。足技は拳よりもずっと上手い。躊躇が無いので、体重の乗った攻撃が連続で突き刺さるのだ。ワラ人形の悲鳴が聞こえるようである。
「なるほど。サボっていた訳じゃないと。それなりに努力してるようだな」
シャロンの動きを観察していると、不意にジャケットの裾を引っ張られた。セリスである。
「先生。私もやる。布巻いて」
「お前が? 別に構わんが、怪我するなよ」
「たぶん、大丈夫。魔力強化も使える」
「良いだろう。気の済むまでやってこい」
望まれるがまま、拳に布を巻いてやる。セリスは微かに頬を綻ばせると、ジャケットを脱ぎ捨てた。そしてブラウスとスラックスという出で立ちになると、空いた人形を見据えた。シャロンの隣に並び立つ格好だ。
するとセリスの全身が、ほの明るく輝き出す。体内の魔力を活用し、自身の体をコーティングしたのだ。
「シャロン。兄弟子の実力を見せてあげる」
「フヒッ、ハヒッ。細腕セリスが、格闘? そりゃあ面白そうだねっ」
「とりゃあーー」
気合と呼ぶには、どこか芯の緩い声。しかし、思いの外、型は正確だ。人形の胴に向けて放たれた拳。それはワラだけでなく、支柱の棒までも激しく揺らした。
アシュレイは思わず瞠目(どうもく)した。それだけ、眼前の光景が不可思議だったのだ。
身体を魔力で強化しても、それはあくまでも上乗せでしかない。皮膚や骨を守り、筋力をいくらか増幅させる程度だ。別人になるまでには至らない、というのが定説である。
「馬鹿力……いや違うな。これは技だ」
続けて繰り出される拳に、アシュレイは確信を得た。腕力は並。それでいて技量は高く、繰り出した攻撃が芯まで届いているのだ。
やがて稽古が終わる。するとシャロンとセリスの明暗は、無情にも克明に分かれた。方や、ワラにへこみだけが刻まれたもの。方や、ワラは膨らんだままでも、支柱がへし折れたもの。
メンツを潰されたシャロンは、恨みがましい声を晒す他なかった。
「ずりぃなセリス。魔力を使って、こんなスゲェ技かますとか……」
「使えるものは使う。兄弟子を敬うように。ゲスを忘れない」
「まだ続いてんのかよ、そのネタ」
その場に座り込む2人に、アシュレイは歩み寄った。褒め称える様子でない事は、眉間のシワから推察できる。
「ガリ人形。1つ聞かせろ」
「何なりと」
「お前はどうして魔術科なんだ。武術科だったら、それほど苦労も無く、A評価をもらえるんじゃないか」
セリスは、問いかけに対し、瞳を伏せた。そして押し黙る。無音の時間は、やたら冗長に感じられた。
「魔術師になれって。そう言われた」
「それは両親にか?」
「違う。叔父さん」
「叔父……。その言いつけは守らなきゃならんものか?」
「この話題は嫌い。楽しくない。代わりに3サイズ教えてあげる。71、59、73」
「代わりになるか。知る気もない」
それからは着替えを促し、更衣室に向かわせた。午後の授業は終わりだ。
アシュレイの胸には、微かに引っかかるものがある。その場に立ち尽くしてワラ人形を見つめた。アイツには何かあるぞと、へし折れた支柱が、そう告げたように思えた。
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