第8話 強さの秘訣

 特進クラスに、朝の日差しが降り注ぐ。本日は軍学。古代の会戦を学びつつ、有難き金言を教わる授業である。


 ただしアシュレイの顔色が優れない。いや、優れないどころか、顔面蒼白だ。教材として用意した本を読み上げつつも、彼が脳裏に浮かべるのは、昨晩の出来事だ。集中を欠いている事は、火を見るよりも明らかである。



「ハンバニルは言った。『スピキオ、暇だし野球やろうぜ』と。スピキオはこう言い返した『野球のバットより、もっと良いものがある。さぁ強く握れ』と」



 理事長の意味深な言葉、課せられた宿題、遣えぬ剣。睡眠時間を奪い去るには、十分すぎる難題だった。そして食らわされた一撃も、ダメージが抜けきらない。そこに寝不足まで加われば、最悪のコンディションが完成するのだ。



「熱い衝突、飛び散る汗。壮健なる2人の男が、朝も夜も意地をぶつけ合う。そんな日々が続くと、さる男が寝所に訪れた。ハニカムルだ。『ハンバニル、スピキオ君。そろそろ私も交ぜ給えよ』『えっ、父さんもかい? これは参ったぞ』ハンバニルは息を切らしながらも、どこか微笑んでいるようにも見えた」



 こんなザマで故郷は、討伐は、救民は。のしかかる重責が焦りを生んだ。


 泣いても喚いても無駄だ。それは理解している。だが焦れた。せめて出口さえ見えたなら。一筋でも光明を見い出せば、進むべき道が分かるのに。


 本を掴む指先から、ミシリと小さな音が鳴った。



「先生。ちょっとストップ」



 唯一の出席者、セリスが手を挙げた。しかし、その姿も声も、アシュレイの意識には届かない。



「ハンバニル達を乗せた船は、やがてラブタルタル海峡を渡った。その間7昼夜。スピキオ達と繰り広げた、ぶつかり稽古の数といったら。全身に刻まれた痣は勲章にも劣らぬ……」


「先生。聞いて、私の言葉を」


「ンぁ? 何だ、今は授業中だぞ。質問なら後にしろ」


「その本、たぶん教材じゃない。妙に薄いし」


「はっ……!?」



 セリスの言う通り、それは教材ではなく娯楽本だ。図書室を一任された司書が、強くオススメする1冊であるため、目立つ場所に置かれていた。それをアシュレイは、ボヤリとした頭で掴んだという経緯がある。


 ちなみに、その司書が語るには「男は男同士、女は女同士で恋愛する事こそ、高尚なのだ」との事。その持論は、別に本筋とは関係ない。



「今のは、全部忘れろ。すぐに本当の教材を持ってくる」


「待って先生。教材なら要らない」


「要らないって何だ。授業にならんだろ」


「その代わり教えて。先生はどうやって強くなったのか」


「オレの話……?」


「興味ある。授業なんかより、凄く」



 アシュレイは、特に感慨も覚えず、曖昧に頷いた。そして、求められるがままに語りだす。今はとにかく、面倒だという想いが強い。



「まぁオレは知ってるだろうが、ヒノカミ国のオーミヤ地方出身だ。伯爵の嫡男として生まれ育った」


「子供の頃の成績は? 意外と落ちこぼれだったり」


「いや、優秀だった。武術も魔術も万能で、同世代でも頭一つは抜けてた」


「つまんない。銀のサジを二刀流とか」


「父上も母上も、事あるごとに褒めてくれたものだ。お前は一族の誇りだって、大きな手で頭を撫でながら」


「そういうのって、先生でも嬉しいの?」


「そりゃあ、もちろん」



 アシュレイは眼を細めて、在りし日の光景を浮かべた。それでも瞳が緩んだのは、ほんの一時だけだ。



「オレ達はやがて、故郷を追われる事になる。オーミヤの地を離れて、かれこれ10余年。一度も戻れた試しはない」


「それって、勢力争いとか? それとも異民族の襲撃とか」


「まぁ、そんな所だ。領民は全て、オーミヤから北西の、チブチという場所に避難している」


「そうなの。早く戻れると良いね」


「オレは故郷奪還を夢見て、修練に明け暮れた。血をにじませる毎日だが、所詮は子供。いきなり別人にはなれない。そんなある日、チブチの長が案内してくれたんだ」


「案内? どこに?」



 アシュレイは瞳を閉じた。蘇る記憶は、懐かしさよりも、寒気の方が強い。



「百八鬼の収魔行。命を落とす危険と引き換えに、強大な力を得ることが出来る。博打みたいな訓練場。そこへ案内してくれたんだ」


「何それ何それ。気になる教えて」


「残念ながら、詳しくは教えられない。長との約束でな。口外は厳禁だ」


「酷すぎる。ここから先は有料コンテンツ?」


「金の話じゃない。諦めろ」


「お金じゃないなら、純血を捧げるしかない。これも私が強くなるため。やぶさかでない」


「ボタンを閉じろ。やぶさかれよ」



 第2ボタンまで手にかけたセリスを、声で諌め、話を続けた。



「危険な訓練を終えて、強くなったオレは、オーミヤの奪還に挑んだ。結果は……」


「結果は?」


「惨敗だ。オレは確かに強くなったんだが、敵は想像以上だった。まともに戦えず、防戦一方だった。攻め込んだ側なのにな」


「先生でも敵わないとか。相手は化物すぎる」


「オレ達は、ヒノカミの王に願い出た。そうしたら、すぐに討伐隊が組織され、大軍がやってきた。地を覆い尽くす程の兵は5万。オレは勝利を確信したよ。これで、死んだ者たちの仇が討てるとな」


「それで、結果は?」


「倒せなかった。だが、動きを封じる事ができた。大結界。オーミヤの地に縛り付け、被害が広がらないよう、封印したんだ」


「そうなの。それじゃあ故郷は……」


「帰れない。今もオレたちオーミヤ人は、故郷を喪ったままなんだ」



 アシュレイは瞳を閉じ、静かに唸った。蘇る記憶は今も鮮明だ。


 不死の魔獣を封じた後、討ち取る力を、外の世界に求めた事。有力な若者を数名だけ連れて、ヒノカミを離れて外海に船を走らせた事。


 調査を進める傍らで、冒険者の生業を得た。なけなしの金を集めては食料を買い求め、故郷に送る毎日。行く先々の国で、援助を求めた事もある。しかし所詮は外国の、無名な小領主だ。門前払いになる事も珍しくない。


 幸いにも冒険者稼業だけは好調だった。支援物資も潤沢になり、自身の装備も充実した。こうなると止まれない。無茶を重ねて依頼を受け、受け続け、やがて破綻する。



(あの時、オレが冷静さを欠かなければ……)



 死んだ。苦楽を共にして、支え合った仲間達が、不毛の大地で命を散らした。自分のせいだ。自責の念は冷めやらず、年月が過ぎ去った今も、暗い影を落とす。


 心を縛り付ける程の、苦い記憶。それらは、たった一言さえも語らず、代わりに長い溜め息を吐いた。



「魔獣を封じたオレ達は、ヒノカミから出た。そしてこの大陸にやって来て、冒険者をやり、今に至る。終わり」


「突然!? これが打ち切りエンド?」


「うるさいな。全部話すとは言ってないだろ」


「でも嬉しい。先生の事が分かって。故郷に帰る時は、私も協力するから」


「そうか。それは心強い事だ」



 帰れない。魔獣殺しを扱えるようになるまでは。


 だが、どうすれば良い。修練なら、日夜欠かしていない。それは伸ばすというより、衰えるのを避ける為である。能力はすでに頭打ちだ。既に極限まで鍛え上げてしまったのだから。


 これ以上何をやれと。どうやって成長すれば良い。アシュレイは今も五里霧中だった。



「面白かった。でも参考にならない。真似できないなら」


「それはそうと、そこのお前。いつまで覗き見する気だ。用があるなら入ってこい」


「何の話? ついていけない」



 小首を傾げるセリス。その一方でアシュレイは、入り口の方を睨んでいた。やがて、ドアが静かに開き、作り笑いの少女が顔を覗かせた。


 茶色の長いおさげ髪。白く濁りの無い歯、逞しい肩周り。特進クラスのシャロンである。



「手コスリか。何の用だ」


「あの、なんつうか、アタシも参加したいなぁって思いまして」


「別に、許可なんか要るか。学費を払った真っ当な生徒だ。受けたいなら参加しろ」


「えっへっへ。じゃあ遠慮なく」



 シャロンが、両手を擦り合わせながら座席に座った。その奇癖は、状況もあいまって、やたら卑屈に見えてしまう。



「シャロン。今さら何しに来たの。風見鶏?」


「いやぁそのね、やっぱ強くなりたいし。教えてほしいなぁって思ったわけよ」


「一番弟子は、この私。今後は敬語で話す事。語尾にゲスをつける事」


「何だよそれ。大口叩くなら、せめて魔法をまっすぐ飛ばせるようになってから……」


「もう出来る。成功率はウナギ登り」


「えっ! マジで!? あんだけ苦労してたのに!」


「全ては愛の指導の賜(たまもの)」


「まだ、ほんの数日なのに……でゲス」



 シャロンは呆然としたのも束の間、その場で立ち上がり、アシュレイの傍に寄った。彼女は長身だ。そのままでは見下ろす格好なので、腰を折り曲げ、上目遣いの姿勢を作った。



「先生、アタシも教えてよ。このままじゃ卒業も出来ないしさぁ」


「シャロン。それは許されない。今日はみっちり、手取り足取り、魔術のお稽古やる」


「そう言うなってセリス。ついさっきまで先生を独占してたじゃん。今度はアタシに譲ったって良いだろうよ」



 アシュレイの瞳には2つの顔が見える。期待から微笑むシャロンと、無表情でも憤激が見て取れる、セリスの三白眼だ。


 面倒な事になったと思う。見どころのない生徒達を指導して、一体何を得るという。徒労感が腹に被さるようだ。


 だがその時、脳裏には昨晩の会話が駆け抜けた。



――宿題にしましょう。ヒントは、なぜ講師を依頼したか。



 この講師としての役割に、何か意味があるのか。時間の浪費としか思えない、遠回りに、メリットなどあるのか。


 アシュレイには何ら見通せない。それでも今は、手がかりすらない状況だ。断る理由がどこにあると言うのか。



「まぁ、別に構わん。午後は体術。ミッチリ鍛えてやるから覚悟しておけ」


「よっしゃあ! だったら昼飯はガッツリ食わないとね!」


「シャロンはずるい。2つの意味で」


「2つって何だよ。授業の他に、もう1つって事?」


「あだ名。私はまだ無い。お前とか、そこのって呼ばれる」



 今度はセリスがアシュレイに迫った。小さな体を懸命に使役し、シャロンを脇に追いやろうとする。



「先生、私にもあだ名。それ考えてくれたら、シャロンを教えても良い」


「お前の許可なんか要らないんだが」


「そんなのダメ。いい子にしなさい。さもないと、お嫁さんにいってあげない」


「娶る話もしてない、どうなってるんだ……」



 しかし、セリスの言葉にも一理ある。呼び名が無いというのは、何かと不便だ。


 アシュレイは、改めてセリスを見た。金色の髪のサイドテール。華奢で小柄。少食のため手足は細く、制服の袖がダボつくほどだ。そして無表情。瞳に感情を宿す癖があるので、無感情ではないが、表情の変化は乏しい。まるで作り物の人形だった。


 そこまで思い至ると、答えは出た。



「お前はガリ人形……だな」


「そう。人形のように精巧で均整のとれた容貌。そして細身。そのセンスは及第点」


「そうか。ありがたく頂戴しろ」


「あのさ、セリス。さっき嫁がどうのって言ってたけど……?」


「求愛された。だから将来は夫婦になる。これは避けられぬ宿命」


「えぇーー?! 年の差婚! しかも講師と生徒! こいつは禁断の香りがモワンモワンしてるでゲス」


「真に受けるな。全部コイツの戯言だぞ」



 いかに言葉で否定しても、年頃の少女たちは騒がしい。目を眩く輝かせ、いまだ未知なる愛だの恋だのと、忙しなく語る。


 アシュレイは、馬鹿げた事だと顔をしかめた。それと同時に、どこか憎みきれない面もあり、結局は不可解な騒ぎとして受け止めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る