第7話 魔獣殺し
アシュレイは心から後悔した。力の及ばぬ自分に。功を焦る余り、準備を疎かにした自分に。
そして、企みを看破できなかった愚かさに。
「ジーク、シズネ、リノ! 死ぬな! もうすぐクエンが来る、それまで頑張って……」
無情にも風が吹き荒れた。かつては体温を宿したはずの、仲間の遺骸が攫われてゆく。もはや生前の形は残していない。全てが灰となって、散りゆくばかりだ。
「なぜだ、どうして……オレだけ生かしたッ!」
静まり返った戦場に、暗雲がのしかかる。反響する自分の声も、不吉に吹き荒れる風の音も、何者かの哄笑のように思えた。
アシュレイは、喚きながら短剣を抜いた。そして己の掌を切り裂き、朱に染めあげる。
「どうだ、貴様らの求める魔力だ、生き血だ! 存分に食らえば良いだろうが!」
風は嘲笑う。愚かだ、矮小だ、些末で憐れだと。
アシュレイは、尚も掌を掲げて喚く。叫ぶ。吠え続ける。言葉が、言語の体を為さなくなった頃。ふと掌が温かな物に包まれた。
それが合図だった。意識は悪夢から引き離され、現実の元へと戻されていく。
「……クエンか?」
「アシュレイ様。酷くうなされてました。また、あの夢を……?」
「構うな。もう慣れた」
「お話した通り、今夜は決行の日なんですけど。大丈夫ですか? 何なら、別日に遅らせても」
アシュレイの顔が青ざめて見えるのは、蒼い月が照らすせいか。クエンは、自分の胸までも痛みを覚え、息を強く飲み込んだ。
「つい、うたた寝しただけだ。それに、剣の入手は早いほうが良い。オーミヤの民は、オレの帰りを待ち望んでいるんだ」
「分かりました。行きましょう。その前に、アリバイ作りですね」
「アリバイ?」
「もし誰かが部屋に来ちゃった時、無人だったら怪しまれるでしょ。時間が無いんで、凝ったものは出来ませんが」
「来客は無いと思う。ましてや真夜中だ。来るとしたらお前くらいだろう」
「まぁね。でも念には念ってやつです」
クエンは、寝具に細工を施すと、僅かに頷いた。それから2人は、窓から飛び出した。夜の学園を足早に疾駆していく。
蒼月が石畳を照らす。見回りの裏を突いたので、辺りには人の気配すらない。校舎内は、完全に無音であった。
「どうですか、私のリサーチは。完璧すぎて褒章ものですよね?」
「これくらいで騒ぐな。それよりも、結界の方はどうなんだ?」
「もちろん調査済みです。あのジジイ、超絶難解な結界を、しかも二段構えにしてたんですがね。その効力が激烈に弱まるのが、今夜なんです」
「確かに月が青い」
「ブルームーン。精霊すら見惚れる静謐(せいひつ)な夜。術者が離れた結界なんぞ、ちょちょいのドンですわ」
「そう願ってる。解除なんて、今はお前にしか頼めない」
「ウヒヒ。それはそうと、約束ですからね。特別なご褒美!」
「首尾良くやってから言え」
「だいじょぶでっす、全部丸ごとお任せあれ!」
2人は既に理事長室の前だ。まずは最初の関門、鍵代わりの結界だ。許可なく開けば仕掛けが作動し、見回り担当に発覚してしまう。
巧妙な結界だったのだが、クエンは苦もなく解除してみせた。青い月が効力を弱めている。扉のドアノブから甲高い音が鳴る。同時に白んじた結晶が飛び散り、虚空に消えた。
「よし、ここまでは上手くいった。次は?」
「魔獣殺しに直接、もう1つの結界が張られてます。そこまでは安全ですよ」
理事長室は、やはり薄暗い。濃厚な闇が広がっており、窓辺だけが、僅かな月明かりに染まる。アシュレイは珍しくも、怯む想いに囚われた。無人の室内は、どこか殺伐としており、戦場にも似た気配があった。
「気のせいだと思うが、理事長の気配が感じられる」
「確かに不気味ですけど、考えすぎですね。ジジイは今、遠く離れた帝都ですし」
「そうだな。慎重すぎるのも良くない。手早く剣を回収するぞ」
「承知ですぞよ」
クエンは、壁に掛けられた剣の傍まで歩み寄った。そして柄と鞘に、片手ずつ添えて、掌を煌めかせた。術式が走り、魔力が注がれていく。こちらは、やはり扉とは比較にならない結界で、厳重だった。
その成り行きを、アシュレイは黙って見守った。下手な助力はかえって危険を招く。それを知るがゆえに、背後でジッと控えるのだ。逸る気持ちを抑えつつ。
やがて高い音、そして散っては消える結晶片。解除に成功したのだ。
「ふぅ……。アシュレイ様、お待たせしました。これにて完了です」
「よし、でかした。騒ぎになる前に脱出するぞ」
「オッケーです。これでもう学園ともおさらば!」
クエンが鞘を握りしめ、持ち上げようとした時だ。アシュレイは唐突に冷や汗を流し、身構えた。クエンも一呼吸遅れて、剣から手を離した。
次の瞬間には、彼らの頭上で、何かが唐突に輝いた。
「嘘でしょ、結界なら全部……!」
「備えがあったぞ、さがれクエン!」
未知なる光に、飛び退る2人。それは幸いにも、危害を加えるものではなかった。身体に一切の異変は起きていない。
しかし、その代わりと言うべきか、最も恐れるべき事態に見舞われた。
「理事長エミリオ……!」
「アシュレイ殿。無人の執務室に侵入するとは。貴人とはいえど、許されざる振る舞いですな」
「どうしてジジイがここに……帝都に行ったはずでしょ!?」
「あなた方は、やたらと急がれてました。その気配を懸念して、剣の結界に細工を施したのですよ。万が一破られた時、私に知らせが届くようにね。後は簡単。転移術で舞い戻った、という経緯です」
「マジで? 結界にそんなん仕込めるとか……」
「日々勉強ですよ、お嬢さん。研鑽をお忘れなく。それにしても破られたのが、湯浴みや用便の最中でなくて、幸いでした」
理事長は、執務机の上に石をいくつか置いた。それは魔緑石の残骸で、既に色味を失い、灰色に染まっている。
「魔緑石で魔力を補ったか。1人で長距離を飛ぶとしたら、それ以外にあるまい」
「それよりもアシュレイ殿。私の疑問にもお答えいただきたい。なぜ約束を破るような真似を? 私の記憶が確かなら、あの子達が偉業を成し遂げたなら、というお話だったはず。いやはや、歳を取ると忘れっぽくなりましてな。いささか曖昧なのですよ」
「この……狸ジジイが……!」
「狸ですか。少しばかり太ってしまいましたかな。これでも若き頃は、大平原の狼などと評判でして……」
「戯言を抜かすな!」
怒りに震えるアシュレイは、全身に闘気をたたえ始めた。クエンは、それだけで全てを察し、更に一歩退いた。ちょうど後衛にあたるポジションだ。
「お前はオレに指導を依頼した。偉業がどうのとホザくから、相応の生徒を任されるものと思っていた」
「そのつもりですが。ご不満のようですな」
「何が特進クラスだ! 成績はどいつもこいつもF評価ばかり。剣技や魔術に至るまで、諸々がだ。たまにマシな科目があっても、せいぜいD止まりだぞ!」
「仰る通り。伸びしろに申し分ない」
「いっその事、そこらの村人に剣や魔術書を持たせたほうがマシだ! これがウェスピリア帝国でも、指折りの名門訓練校セントラル・フォートネスの実体だと言うのか!」
「私にとって、取り分け優秀な生徒を集めた。それが特進クラスです」
「見どころ無しのボンクラばかりだ。中には2回も留年してるヤツが居る」
「人は誰しも、得手、不得手を抱えています。そして、常識外れな程に極端である生徒も、中には居ます。磨き上げるのは困難なれど、いつかは素晴らしい才能が花開き……」
「この期におよんで綺麗事か!」
理事長の言葉は、最後のひと押しだった。どうにかして、理知の領域に収まろうとする背中を押し出した、最後の一手。
にわかに冷たい音が響き渡る。青い月が照らす室内で、片刃の剣が、ためらいなく抜き放たれた。アシュレイはとうとう武器を構えた。クエンもすかさず、愛用の杖を握りしめる。
「抜け。丸腰の戦士を討つ気は無い」
「ふむ……片刃の直刀、湖面のように滑らかな波紋。それが音に聞こえし業物『飛天の太刀』ですかな?」
「抜けと言ったろう。長々とは待ってやらん」
「やれやれ。その性急さは、紛うことなき短所ですな。どうやら貴殿は、理論派ではなく、実践的な御仁らしい」
「これ以上の問答は……!?」
理事長は嘆息とともに、武器を手に取った。ただし、それは只の剣ではない。壁に掛けた魔獣殺し、ビーストスレイヤーである。
「よりにもよって、それを選ぶとは……。皮肉のつもりか、老いぼれ!」
「早合点なさるな。ほれ、持っていきなさい」
「な、なんだと!?」
鞘ごと放り投げられた剣。アシュレイは眼を丸くして見定め、どうにか宙で受け止めた。クエンも口を大きく広げて硬直した。
「しょ、正気か! 誇りだなんだという話は何だった!」
「フッフッフ。今のアナタに近寄れば、斬られかねませんからな。無作法など承知の上です」
「これは、譲られたと解釈しても良いのか……?」
「もちろん。ただし、1つだけ条件があります。なぁに、すぐ終わりますとも」
「言ってみろ」
「ここで、鞘を払ってみてください。問題なく扱えるのなら、二言はありません。この場で差し上げましょう」
アシュレイは理解が及ばない。それでも、後腐れなく貰えるのなら、答えは1つだ。愛刀をクエンに預け、ビーストスレイヤーに持ち替えた。
右手で柄を握り、少しずつ、緩やかに引く。すると漆黒の鞘から、目も眩む程に美しい刀身が現れた。
「これが魔獣殺し。ビーストスレイヤー……!」
鞘が外れるごとに、アシュレイの心は高揚した。一気に抜き放ちたい衝動と、じっくり時をかけて対面したい欲望の、両者の狭間で揺れてしまう。
惚れる。魅入る。蕩かされる。どんな言葉を並べても遜色するという、かつてない感情に、若き心は全てを見失った。
「何という美しさ。こんな剣、世の中に2つと有るものか」
「アシュレイ様、大丈夫ですか? 何やら、体に……!」
クエンの言葉どおり、鞘の隙間から濃紫の煙が生じた。見るからに不穏な色だ。さらには煙は意思でもあるかのように、鞘から柄へ、そして柄からアシュレイの腕を伝って昇っていく。終着点は、彼の頭頂であった。
その頃になると、もはやクエンの言葉は届かない。心は剣の美しさに魅了され、陶酔しきっていた。
「これは、素晴らしい。無敵だ。決して誰にも負けたりはしないぞ!」
鞘を抜き終えると、両手で柄を握りしめたまま、切っ先を天井に向けた。均整の取れた両刃の剣。刀身は全てが宝石のごとく煌めき、身も心も吸い寄せられそうになる。
そうして眺めるうちに、心に囁くものがあった。是非とも試し切りをしたいと。それは巻き藁や棒きれであってはならない。血しぶきと共に魂を激しく散らす、生きた人間でなくてはならない、と。
「ちょうど、良いのが、いるなぁ。そこに、生きたニンゲンががガが」
「やれやれ、もう正気を失いましたか。多少なりとも耐性があるかと思いきや。予想通りも良いところですな」
「血を、ばらまけ、咲かせ。神の剣で、命を散らせええェエッ!」
「失敬、アシュレイ殿。荒療治になりますぞ」
振り下ろされる剣。達人の斬撃は、文字通り神速であり、予備動作など皆無であった。理事長は肩口から斬られて、胴が2つに割れた。いや幻だ。実体はアシュレイの隣である。
「悪く思わんでくだされ。そいやっ!」
「ゴハァッ!?」
理事長も達人だ。流れるような動作で延髄に蹴りを叩き込んだ。
アシュレイは防御もとれずにフッ飛ばされていく。それから体は壁を打ち抜き、隣の部屋まで転されてしまった。
例の魔獣殺しは、既に彼の手から離れた後だ。
「アシュレイ様、しっかり!」
クエンが傍に駆け寄り、アシュレイに魔力を注ぎ込んだ。肉体に超回復を促すものだが、ダメージは深部にまで届いており、治療は容易くなかった。
「アシュレイ殿。私は別に、意地悪や酔狂で、講師を依頼したのではありませんよ」
理事長は、体の奥底から息を吐き、全てを吐き切ると魔獣殺しを手に取った。彼の腕にも濃紫の煙が絡みつくが、動作は自然だ。漆黒の鞘に戻し、再び壁に飾った。
それから溢した溜め息は深い。アシュレイとの戦闘よりも、よほど神経を使った気配がある。
「い、一体何が起きた……」
「おや、もう口がきけると。気絶させるつもりでしたが」
「答えろ。今のは何だ……?」
「以前も申したでしょう。あまりの美しさ故に、神々すら愛し、多大なる祝福を与えたと」
「その逸話が何だ」
「存外にも察しがよろしくない。万事、過ぎたるものは毒なのですよ。薬は病を遠ざけますが、強すぎれば体を壊します。炎は暮らしを豊かにしますが、大火となれば、人も家屋も焼き尽くします」
「そういう事か……!」
「ご理解いただけましたか。この剣は、神の祝福が強すぎるのです。そのため、並大抵の者が扱えば、狂戦士化する事は必定。先程のアシュレイ殿のように」
それが戯言や建前で無いことは、アシュレイの骨身に染みている。突然、脳裏に響き渡る声。精神魔法などという、生易しいものではない。干渉どころか、魂を直接操られたかのような、強烈な支配。
とてもではないが、対抗できると思えなかった。
「理事長。アンタなら、剣を遣えるのか?」
「私でも無理でしょう。僅かな時間ならば、この通り理性を保てますがね。剣に魅せられたが最後。命尽きるまで刃を振るい続けるのが、関の山というもの」
アシュレイは全てを理解すると、拳を叩きつけた。続けて石床に雫がこぼれ落ちる。口惜しさのあまり、唇を強く噛みしめ、血が流れたのだ。
「せっかく、見つけたというのに……。遣えなくては、何の意味も……!」
「焦るな。何度だって言いましょう。結論を急がぬように」
「焦るなだと! 人の気も知らないで! オレがどんな想いをして辿り着いたと!」
「不死なる魔獣」
たった一言が、自棄になる心に冷水を浴びせた。
「……なぜそれを」
「東方ヒノカミを襲い、今もなお、未曾有の惨劇の傷跡を残す悪夢。あらゆる攻撃が通用しない、恐ろしき怪物だそうで。文献にも存在せず、その正体すら掴めない。そうして付いた名が、『不死なる魔獣』であると聞き及んでおります」
「随分と耳聡い男だ」
「いつ何時、ウェスピリアでも発生するか、分かりませんからな。通り一遍くらいは調べておりますよ」
「その怪物を殺す為に、魔獣殺しが必要だ。斬りつけた相手の魔力を吸い尽くすと言われる、唯一無二の剣が」
「そうなのでしょうな。しかし残念ながら、遣い手がいない」
「オレはどうすれば……。今この瞬間にも、オーミヤの民は、不安に苛まれているというのに!」
アシュレイが、拳で石床を激しく叩く。クエンがどうにか止めようとするが、殴打は止まない。
その姿を、理事長はそっと瞳を細め、眉尻まで下げた。
「その辺りでご容赦ください。床が抜けてしまいますよ」
「ここまで来て。ようやく、終わりが見えたというのに……!」
「私は、貴方ならばと考えています。心すら魅了してしまう、ビーストスレイヤーを遣えるのは」
「何だと……。それはどういう……!」
アシュレイは、緩やかに立ち上がろうとした。しかし、手を着いた矢先、肘から倒れてしまう。すかさずクエンが、寝転がる背中を抱きしめた。
「心、技、体。その全てが人智を超えた時、剣の力に堪え得るかと。予想の範疇なのですがね」
「剣技を極め、日夜身体を鍛えている。死線だって何度もくぐり抜けてきた。それでも足りんと言うのか」
「これは、そうですな。宿題にしましょう。ヒントは、なぜ講師を依頼したか、ですな」
「なぜ勿体ぶるんだ!」
「教えるのは簡単ですが、それでは意味がない。自分と向き合い、考え抜いてこそ、得られるものがあるのですよ」
「時が惜しい。オーミヤの民は、今も苦境の真っ只中なんだぞ」
「辛くとも堪えねばならぬ。気が急いても、粛々と準備をせねばならぬ。事前準備が重要であること、貴方もご存知なのでは?」
「……クソッ!」
「1度、頭を冷やしなされ。考えるのはそれからですよ」
理事長はそこまで言うと、今度は出入り口に顔を向けた。
「そこのイタズラ猫ちゃんたち。夜更けに出歩くものではありません。消灯時間なら過ぎてますよ」
その言葉に答える代わりに、物音が響き、やがて足音に代わった。
「やれやれ。好奇心旺盛なのは、歓迎すべき事ですが……」
理事長は、再びアシュレイの方に向き直った。そして、やや大仰な仕草で頭を下げた。
「ごきげんよう。アシュレイ・ロード・オーミヤ殿。以後は家名を汚す振る舞いなど、慎まれるよう」
別れの言葉。平たく言えば、出ていけという意味だった。
アシュレイは、未だ自由にならない身体を酷使して、理事長室を後にした。クエンの支えがなければ、這ってでも帰るつもりである。
「負けた。完膚なきまでに負けた。命がけで鍛え続けてきたのに……」
アシュレイは夜空に向かって呟いた。そこは、蒼く輝く満月が見える。不意に惨めさを感じて、視線を落とした。そうしても、見守られている錯覚が不快だった。
今はともかく、講師寮に戻りたい。気持ちは急いても、体は自由にならず、一歩ずつ刻みつけるように歩いていった。
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