第2話 残るべき理由

 迎えた夕暮れ時。生徒たちは教室から姿を消し、学園内の寮に戻った後だ。広々とした校舎は寂しさを覚えるほど、静まり返っていた。


 しかし、そんな静寂を切り裂いて、足音を鳴らす男がいる。アシュレイだ。彼にしては珍しい事に、溢れ出る憤怒を隠そうともせず、ひたむきに歩いた。



「よくも、よくも騙した……!」



 開かれた瞳孔は、殺気すらも孕んでいる。仮に生徒が目撃しようものなら、腰を抜かす事は確実だが、幸いにも人影は無かった。


 アシュレイは怒りをそのままに、理事長室の扉を叩いた。しかし返答は無い。



「開けろ、アシュレイだ!」



 怒気を隠しもせずに叫ぶ。彼がこうまで怒る理由は、やはり特進クラスの件である。失望的な実技に始まり、その後の座学も散々だったのだ。


 試しに魔術論や軍学を教えてみたものの、理解度は0に等しかった。一応、1人2人くらいは、マシな成績である。だが、それですら一般レベルには程遠い。素人に毛が生えた程度だった。


 そんな生徒達、いわば落ちこぼれ相手に何を教えろというのか。偉業を成し遂げるのなら、相応の力量を備えたクラスを任せるべきだろう。


 そう思えば思うほど、アシュレイの怒りは募る。自然と態度も荒々しいものとなった。



「居るんだろう理事長! 開けろ! さもないと蹴破るぞ!」



 そう怒鳴りつけた時、足元に木の板が落ちた。主にメモ書きとして使われる物で、眼前に落ちたそれも同じ用途だった。



「所用につき、当面の間は留守にします。火急のご用件は学生課に問い合わせを。

学園理事長 エミリオ・マスター・フォートネス……!」



 アシュレイは怒り任せに木版をへし折り、壁に叩きつけた。そして、憤激冷めやらぬ様子のまま、学生課の中へと押し入った。


 そこで出迎えたのは、メガネの似合う好青年だ。若者と呼べる年齢だが、アシュレイよりは上で、三十路手前というお年頃。制服の色はカーキが基調。事務員を示すものだ。



「ええと、エミリオ理事長ですね。昼過ぎに学園を出たので、今頃は隣村じゃないですかね」


「一体どこに行った」


「帝都に用があるとの事、ウェスピリア帝都。騎乗ではなく、馬車での出立でしたので、片道5日程は掛かるでしょう」


「地図を貸せ。火急の用件だ」


「地図の貸出ですが、現在は禁じられています。そもそも、帝都への道は複数本あり、闇雲に探すのは得策じゃないですね」


「クッ……。あのジジイめ、これも計算づくか」


「それはそうとアシュレイさん。理事長から預かり物があるんですよ。探しに行く手間が省けました」



 事務員は麻袋を取り出し、アシュレイの手元に押し付けた。それなりに重たい。袋の口を開けば、大量の金貨が詰め込まれている事が分かる。



「これは、何の金だ……?」


「エミリオ理事長いわく、お賃金だそうです。4万ディナあるとの事」



 高給取りの水準だった。これが酒場のコックだとか、街の警備員であったなら、初任給は2万にも満たない。


 更に話を聞いてみると、寮費は不要で、給与の大半が手元に残ると言う。まさしく破格の待遇だった。



「なぜ、そうまでしてオレを……」


「さらに伝言が。アシュレイ殿は義理堅きお方。きっと給与以上の働きをみせてくれるはず。間違っても、仕事を放り出して逃げる様な人物ではない、ですって」


「クソッ。あの狸ジジイめ……!」


「狸というより、犬に似てると思いますよ。細顔ですし」


「ディティールの話はしてない」



 アシュレイは、その場で金を突っ返そうとしたが、事務員は返還を拒否。下手すれば、不正や着服を疑われると恐れたからだ。


 結局、賃金は受け取った。悩みに悩み、飲み込み難い違和感はありつつも、特に名案が浮かばなかったからだ。


 つまりは、講師の仕事を正式に請け負った事になる。



「帰ったら覚えていろ……!」



 アシュレイは、袋を雑に掴みながら、校舎の中を歩いた。昇降口から中庭に出て、別館に辿り着く。講師にあてがわれた寮である。敷地の反対側に位置する学生寮とは、別に分けていた。


 部屋の位置なら既に把握している。手荷物や私服もその中だ。いかに立腹であろうと、帰路を見失うほどではない。


 すると、夕闇迫る通路の半ばで、座り込む女が見えた。彼が頼るべき配下である。



「そこで何をしている、クエン?」


「待ちくたびれましたよ、アシュレイ様。授業が終わってから、今まで何してたんです?」


「野暮用だ。色々あった」


「もしや、既に目ぼしい女生徒をひっ捕まえて、ドエロイあれこれを愉しんで……」


「クエン。オレは今、冗談を聞き流せる気分じゃない。それよりも、仕事は終わったんだろうな?」


「それはもちろん。つうか顔怖いですよぉ、アシュレイ様ぁん」


「報告しろ。部屋で聞く」



 アシュレイは吐き捨てるように言うと、先に自室へと入った。後ろに続くクエンは、念の為、シャツの第2ボタンまで外しておいた。


 室内は簡素な作りだ。木造の手狭なスペースに、ベッドと物書き机があるくらい。他には備え付けのランタンと、両開きの窓。負い目を感じる程の待遇ではない。



「お前には学園の調査を命じた。首尾は?」


「上々ですよ、もちろん。この報酬はハグ&ナデナデ。ベッドで添い寝チュッチュまでありますよ」


「冗談を聞く気分じゃないと、言ったよな?」


「あっすみません。真面目にやりますんでハイ」



 クエンは何らかの危機を察知し、その場で直立した。そして、今日の成果を報告した。



「まず、この学園ですが、卒業するだけでも狭き門です。良い成績を残すか、社会的に認められる必要があります」


「条件は明文化されてるのか?」


「はい。校則にはこう書かれています。卒業資格は、次の条件のいずれかを満たす事。1つ、卒業試験の平均評価がB+以上。2つ、帝都模擬戦にて準優勝以上。3つ、新魔法や新兵器を発案し、各ギルドが有用性を認め、規定数以上の承認を得ること。4つ、冒険者ギルドにて、講師の補助無しに……」



 条件自体は多数あるが、どれも難度の高いものばかりだ。たとえ優等生でも、容易には達成できないだろう。アシュレイは頭痛を患った気分に陥る。



「やはり、単に卒業するだけでも難関か。卒業資格が得られない場合、留年するのか?」


「はい。もう1年間ミッチリと、学生をやらされます」


「そうまでして、なぜ卒業にこだわるんだ。学費だって安くはない。生徒は貴族ばかりか?」


「いえ、貴族もいますけど、平民の方が多いですよ。4対6くらいの割合です。特進クラスの場合、ほとんどが平民ですね。貴族の娘さんは1人だけかな」


「それは誰だ?」


「サーシャ・レイロード・グレイビー。グレイビー地方を治める、伯爵家のご令嬢です。派手な見た目だから、さすがに覚えてますよね?」


「サーシャ、サーシャ……。あいつか。雨漏り」


「雨漏り?」


「いや、何でもない。続けろ」


「まぁ伯爵家っていっても、女の子ですし、三女だし。跡取りじゃないですね。ここでの暮らしも、花嫁修業みたいなもんじゃないですか」



 アシュレイは昼間の一幕を思い返した。青く艷やかな髪で、確かに容貌は美しいと言える。しかし口が悪い。一に対して百はやり返す豪気さもある。


 将来、夫になるだろう人物は見知らぬ男だが、何となく同情心が込み上げてくる。



「ほかは商家とか、名門魔術師、猟師なんてのも居ますね。貧乏ってほどじゃなくても、金余りって家系じゃないです」


「家業を継げば良いだろうに。本人に才能があるのなら、卒業に向けて励むのも分かる。だが、留年してまでしがみつく理由は?」


「特典ですかね。色々とメリットがあるんですよ」



 クエンが言うには、卒業するだけで様々な恩恵が得られる。冒険者のAランク資格の他に、通行手形の免除、居住の自由。他にも帝都図書館へのフリーパス等と、数えるだけでも面倒になる程だ。



「なるほど。それなら、多少は理解できる」


「やっぱりオイシイ特権がありますから。背伸びして入学する生徒も、結構多いらしいですよ」


「背伸びか。特進の奴らは、それですら足りない。仮に爪先立ちしても、卒業すら不可能だろう」


「一応、全員の成績表を借りてきましたけど、見ます?」


「うっ……!」



 アシュレイは、手渡された羊皮紙を広げた。思わず顔をそむけてしまい、瞳も無意識的に細眼になった。そうして、徐々に明かされた成績は、想定以上の内容だった。



「F、F、F! ほとんどがF評価じゃないか……!」


「いやぁ酷いもんですね。所々がE、ごく稀にD評価もありますけど。ヤバいヤバい」


「こいつを見てみろ。槍術科のヒューリ・ロメオ、全科目がF評価だ! 他の連中よりも輪をかけて酷いぞ」


「この成績で、どうやって受かったんでしょ。入試もあるんですけどね。実技に筆記、あとは面接か」


「裏金の濫用を疑いたくなる……」


「ちなみに、一般的な留年生でも、平均Cくらいはあるんで。Fなんてよっぽどですよ」



 そのヒューリという生徒は、ある意味で印象的だった。事あるごとにソワソワし、周囲の様子を窺う仕草を見せた。それだけなら良いのだが、やたら足を引っ張る。今日の実技の時など、転んだり仲間と衝突したりと、隊列を激しく乱していた。槍術がどうのと考える以前の問題である。


 だが、他の生徒も似たりよったり。魔法の照準が合わないとか、殴りかかる瞬間に酷くためらう等。


 思い返すだけでも、徒労感が湧いてくるようだ。



「こんな奴らを育てあげろというのか……貧乏クジもいいところだ」


「大丈夫です? 頭痛でもしてます? おっぱいに顔を埋めると治るらしいですよ」


「今日はもう疲れた。寝る。お前も下がっていいぞ」


「えっ、晩御飯は?」


「要らん。もう寝る」


「そうですかぁ。そりゃ残念ですねぇ、おやすみなぁさいまし〜〜」

 


 クエンが足早に立ち去り、静かにドアを閉めた。


 一方でアシュレイは、寝ると言ったものの、眠りにつくことが出来ない。脳内で様々な出来事が、不安の皮を被って押し寄せるからだ。


 この状況下で、何が出来るのか。本当に講師を続けるべきか。生徒はまともに育つのか。万が一、皆が成長するとして、それをどうやって実現するか。


 悩みは尽きず、堂々巡りを繰り返す。



(……誰か来た)



 夜闇に包まれた室内に、何者かの気配を感じた。足音を殺し、少しずつ、奥の方へとやってくる。


 起き上がって問いただすのも、今はただ面倒に思う。盗人なり、暴漢だと分かったら、その時に飛びかかれば良い。そう思って成り行きを見守った。


 すると予想外の事に、謎の人物はベッドに潜り込んできた。アシュレイの背中に、分厚くも柔らかい物を押し付け、荒い呼吸まで浴びせてくる。



「クエン。何の用だ。お前の部屋は隣だ」


「あれ? 起きてました? あのですねぇ、さっきのご褒美、もらえてないなって思ったり」


「給金なら月末に支払っている」


「そんなぁ。お互い若くて独り身なんですから。もうちょい仲良くしましょうよぉ」


「出ていけ。寝ると言ったろう」


「そうですそうです。アシュレイ様は寝てるだけで良いです。あとはもう私の方で勝手に、ピュッと愉しい事をさせてもらう……」


「出ていけと言ったろうが!」



 その凄まじい怒声は、衝撃波をも伴った。床を何度も転がって追い出されるクエン。しかしその拍子に、通路で飾っていた花瓶が落ちて、盛大に割れた。修復が不可能なほどで、原型すら留めていない。


 やがて、講師寮にグレーの制服が来た。見覚えのあるメガネで、学生課の事務員だった。



「アシュレイさん。これはちょっと弁償して欲しいですね。不可抗力ならまだしも、夜の楽しみが原因ですから」


「それは誤解だが、弁償する」


「ええと、こちらは確か、1万ディナだったかなと」


「1万か。すると給金は差し引き3万になる。オレの働きも相応でいいか?」


「それで理事長が納得すると?」


「しないだろうな。そうだろうな」



 アシュレイはその場で支払うと、領収書を受け取り、学園の印がある事を確かめた。続けて眼を回して倒れ込むクエンを、隣の部屋に放り込む。そこまでやり終えると、急に何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。長々とした思考が嘘だったように、アッという間に眠りに落ちてゆく。


 こうして唐突に訪れた、講師として暮らす日々。それは彼が想定する以上に長く、それでいて実り豊かなものとなる。そんな未来が待っている事を、彼はまだ知らない。



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