第1話 特別進学クラス

 学園の校舎内通路を、2人の男女が肩を並べて歩く。ライトブルーのジャケットにスラックス。それは講師の身分を現すもので、生徒の場合はグレーである。


 背格好の似た2人だが、後ろ姿は雲泥の差だった。方や気迫に満ちた背中で、その片割れは、酷く項垂れている。



「アシュレイ様ぁ。本当にやるんです?」



 項垂れた女が、上目遣いで言った。桃色の髪でショートボブ。丸い瞳は潤みがち。両肩を寄せる事で、大きな胸を更に強調し、深い谷間を見せつける。その研究され尽くした仕草は、アシュレイの前でだけ披露されるものだ。


 ちなみに服装はというと、隣の男と比べて、肩の飾り紐が無い。それはサポート講師である事を意味している。



「ようやく見つけた魔獣殺しだ。手ぶらで帰るわけにはいかない」



 そう真顔で答えたのは、隣の男アシュレイだ。


 灰色の髪を肩まで伸ばし、前髪は後ろに横にと流す。少し焼けた肌には無数の刀傷。比較的荒れてはいるが、醜いという印象を与えない。なぜなら誰もが、鋭い切れ長の瞳に、強固な意思の光を見るからだ。人々は見惚れる事はあっても、侮る事など稀だった。


 歩調を揃えて歩くクエンも、かつて惚れ込み、遂には心酔した1人である。



「だからって、相手の言いなりになっちゃうとか。アシュレイ様らしくない。あんなジジイ、いっそのこと血祭りにして、剣を奪いましょうって」


「戦えば凄惨な事になるぞ。少なくともお前は死ぬ」


「うひっ。オーミヤでも屈指の実力者である、美少女精霊師クエンが、あんな老いぼれに負けないのです。消し炭にしてやるんです」



 クエンという女は、指先に火の玉を宿したかと思うと、息を吹きかけて消した。横顔はどこか気取った表情だ。


 一方でアシュレイは、厳しいと見ている。自分かクエンのどちらかは死に、最悪、返り討ちに遭うだろう。命を散らして倒れ伏す結末は、決して絵空事ではない。そう確信させるだけの技量と魔力が、あの理事長には備わっていた。



「やはり世界は広い。居そうもない奴が居るもんだ」


「それよりもアシュレイ様。本当に引き受けるんです?」


「無論だ。嫌だと言うならヒノカミに帰れ。講師くらい、フォローがなくてもやっていける」


「そんな事言わないで! アタシが居なきゃ色々困りますって。お仕事のサポートから肌寂しい夜まで!」


「まるで、伽(とぎ)でも任せてる言い方をするな」



 今は午後の授業中なので、辺りは活気に満ちている。外はチュニック姿で走り込むとか、革鎧と木剣で模擬戦に挑む生徒の姿が見えた。教室内は座学だ。魔術書や軍学書を片手に、講師が解説を述べている。



「思ったより生徒が多いな。ここの国民は、そんなにも殺し合いが好きか」


「今年度の生徒数は、留年者含めて89人。卒業時にAランク冒険者資格が与えられたり、色々と恩恵があるので、入学者は多いそうです。その代わり、卒業生は数えるくらいしか居ないとか」


「茶番だ。Aランクの資格が与えられるというより、Aランク相当の実力が無ければ、卒業できない。そんな所だろう」


「まぁ、そうでしょうね。でも、Fランクの下積みから始めるよりは、楽だと思いますよ。実入りの良い仕事を紹介してくれますから」


「冒険者といっても、所詮は殺し屋だ。相手が魔獣だの賊徒であっても、命を奪い合う立場になる。どんな言葉で飾ろうが、本質は変わらん」



 アシュレイは「自分も殺し屋だ」とまでは、わざわざ言わなかった。


 それからも通路を歩き続けると、突き当りに辿り着いた。1階校舎の端。扉には大きく『特別進学』と書かれていた。



「ここだな。オレの戦場は」


「通称で特進クラス。いわゆる、生え抜きを集めた感じなんでしょうね。なんせ特別って言うくらいですから。ジジイのセレクションとか、果たしてどんな逸材が待ち受けるのやら」


「クエン。お前はここまでだ」


「えぇっ!? お供させてくださいよ!」


「オレが講義をする間、色々探って来い。特に学内の情報が必要だ」


「そんな事言って……私の眼を盗んで、女子生徒にドエロイ事しようと考えてません? ダメですよ、10代のガキなんかに手を出しちゃ。ここは1つ、歳の近いクエンという……」


「良いからサッサと行ってこい」


「うひぃ。分かりましたよ、もう……」



 クエンは渋面を晒しつつ、その場で身を翻した。次の瞬間には既に居らず、七色に煌めく粒子が僅かに浮かんだ。転移魔術による移動だった。



「気持ちを切り替えるか。1日も早く、役目を終えなくては」



 アシュレイは教室の扉を開け放ち、脇目もふらず教壇に立つ。そうして眺めてみると、午前の日差しに照らされた、困惑顔の生徒達が見えた。


 木製の長テーブルが4列。そこに5人の生徒が腰を降ろしている。頭数はリストと一致した。1クラスに5名のみ。他と比べて圧倒的に少なく、クエンが言った『生え抜き』という言葉が脳裏をよぎる。


 全員が女子生徒というのは驚いたが、大した問題はない。戦働きと性別に、因果関係は無いのだ。



「よし。それでは魔法の授業を……」


「お待ちなさい。いきなり入ってきて。どこのどなた?」



 最後列の生徒が、アゴを上げつつ言った。すかさず横に突き出した右手で、宙空に弧を描く。それは蝶がたゆたう様な動きで、最後は口元へと運び、止めた。


 容貌も大仰な動きに劣らず、目立つ。斜めに前側を切りそろえた青髪で、毛先は緩やかなカーブの美しい巻き髪。色味もあいまって、清水が流れ落ちる様にも見えた。尖り気味な耳には、学生に不相応な、至宝をあしらったイヤリングが垂れ下がる。


 口元で笑っているものの、瞳は真逆の色を放っていた。豊かなまつ毛の伸びる、鋭い目だ。これは敵意だろう。武人であるアシュレイは、向けられた意思を瞬時に判断した。



「オレは、臨時で雇われた講師だ。名を名乗る意味など無い。お前らは、先生とでも呼べ」


「私は、誰なのかと尋ねているのです。講師である事は、見たら分かります」


「すぐにでも授業を始めたいんだがな……」



 アシュレイは言葉に詰まる。生徒の顔くらいは、一応把握していた。事前に名簿が手渡されていたからだ。しかし詳細は元より、名前まで覚えていない。そもそも覚える気すら無かった。


 この際、見た目だけで判断しよう。先を急ぐあまり、やたらと雑な結論に辿り着いた。



「口を閉じろ。お前は、そうだな……雨漏り。早く座れ」


「あ、雨漏りぃ……?」


「時間が惜しい。無駄口を叩くのは後にしておけ。授業を開始する」


「フザけないで! いきなりやって来て、訳の分からない事を言って!」



 侮辱と捉えた生徒が立ち上がり、テーブルを激しく叩いた。肩を怒らせ、今にも噛みつきそうな表情だ。


 他の生徒たちは狼狽えるか、困惑するばかり。ただし、1人だけは平然としていた。最前列に座る女子である。



「言い得て妙。その髪型、水が溢れてる様にも見える」


「セリス……私の事、そんな風に見ていたの?」


「良いからサーシャは座って。うるさい。元気っ子」


「アンタはそれで良いの!? こんな失礼で不愛想で見すぼらしくてクッソ汚らしい男に教えられるなんて! しかも女に縁が無さそう、絶対童貞よ。何されるか分かったものじゃないわ!」


「童貞に問題があるのなら、聖職者は全員NG。司教様が聞いたらどんな顔するか」


「おだまり! そういうのは別!」



 アシュレイは、目の前で間接的に罵倒されても、顔色を変えなかった。悪意を鼻息で吹き飛ばしただけだ。


 しかしその間も、サーシャという生徒は、あらん限りの罵詈雑言を叫び続ける。初対面で雑なあだ名というのは、確かに問題があるだろう。だがその報復行為も、ひどく冗長で過剰気味だった。


 そんな騒がしさの中、最前列の生徒が手を挙げた。セリスの隣に座る女子で、どこか、状況を窺うような顔色である。



「あの、先生。私も名前くらいは、お聞きしたいです」



 そう尋ねた少女は、茶色で長い髪を、頭の後ろで留めている。柔らかく楕円を作る髪型と後れ毛が、爽やかさと同時に、清潔な色気までも感じさせた。瞳は深い二重で、思慮深さを伴う。実際に優等生らしき態度に徹していた。


 礼儀正しく、美しい娘だ。しかし、アシュレイは強い印象も受けずに、こう感じた。肉ダレ饅頭に似てるなと。



「先生。今何か、失礼な事を考えました?」


「いや別に」


「それよりもお名前です。教えてくれないのですか?」


「名を聞けば、お前たちは言うことを聞くのか? 成績も上がるのか?」


「そういう訳では……」



 言いよどむ仲間を援護するかのように、雨漏りことサーシャが横入りした。両手を腰に当てて、ふんぞり返るような格好で。



「フンだ! どうせロクでもないヤツに決まってるわ! それこそ犯罪者とか、日陰者なのよ!」


「サーシャ。学園に選ばれた先生です、その辺はさすがに……」


「コイツも絶対、早々と逃げ出すに違いないわ。こんな生徒達、手に余るよーーって泣きながらね!」



 サーシャはそこまで言うと、指先を天井に向け、続けざまにアシュレイへと突きつけた。そして満足したかのように、鼻を小気味よく鳴らす。



「アンタの居場所なんて無いから。さっさと荷物をまとめて、故郷にでも帰りなさい」



 途端に静まり返る教室。そんな中で、アシュレイの拍手が鳴り響いた。妙に乾いた音だ。室内の空気は和らぐどころか、徐々に緊張感が満ちていく。生徒たちには、真綿で首が閉まっていくような感覚すらあった。



「そうかそうか。特進クラスのお歴々は、よほど自分の力に自信があるらしい。講師が泣いて逃げ出すと、ホザく程度にはな」


「あの、先生? サーシャの非礼は詫びますので、どうか穏便に……」


「これは座学をやってる場合ではない。付いてこい」



 アシュレイは、困惑顔の生徒たちを引き連れた。やって来たのは中庭。空いたスペースに、10メートル四方程度の結界を張った。



「さぁお前ら遠慮は要らん。全力で掛かってこい。実力がどんなものか、ここで確かめてやる」



 そう告げるなり、武器を地面にバラまいた。剣に槍に杖。訓練用の物で、刃が潰されているため、殺傷力は皆無に等しい。



「宜しいのですか。当たれば怪我しますよ」


「人の心配なんかするな。早く構えろ」


「先生は、何を遣うんですか?」


「オレは要らん。素手で良い」


「素手……!?」



 その言葉に、生徒たちは絶句した。歯を剥き出しにして、今にも食ってかかろうとする姿すら見える。



「知りませんよ。診療所通いになっても、責任なんて取りませんから」


「大層な自信だ。よし、オレに一撃でも入れたら、高級ディナーをプレゼントしてやる。全員にな」


「ならばついでに、財布も心配してください!」



 緩く構えただけのアシュレイに、袈裟斬りが浴びせられた。風切り音が頬の傍を通り過ぎる。



(最初は肉ダレ饅頭か……)



 アシュレイは半歩下がっただけで、攻撃をかわした。鋭い斬撃だが掠りもしない。



「そ、そんな……!」


「お前ら、お行儀良くする必要はない。一斉に掛かってこい」


「だったらお望み通りブッ殺してやるわよ、ストーンシャワー!」



 杖先が煌めくと共に、古代語を用いた術式が、円を描いて回る。すると次の瞬間、アシュレイの体に無数の石つぶてが迫った。



(お次は、雨漏りか……)



 アシュレイも手早く術式を展開、魔法バリアを張り巡らせた。それで飛来する石の全てが掻き消された。



「このクソボケめ、小癪な真似を……!」


「サーシャちゃん、どうしよう。この先生、もしかしたら凄く強いのかも……」


「怯んだら思うツボよ! 陣形を組んで一斉攻撃!」



 号令があると、生徒たちは速やかに動いた。雨漏り呼ばわりされた少女がリーダー格で、全員が指示に従った。動きそのものは悪くない。


 それからは前に剣士と槍士、武闘家を置き、魔術師は後衛。一呼吸だけ空けて、怒涛の攻撃が押し寄せてきた。



(こいつら、もしかすると……)



 アシュレイには1つの予感があった。その間にも炎の矢を避け、風の刃をいなし、剣撃を指先で弾いた。



(間違いない、コイツらは全員が……!)



 そうして何度目かの攻撃が終わると、生徒たちは肩で息をし始めた。消耗は激しく、杖で体を支える者まで現れてしまう。



(全員が異様に弱い。もはや素人も同然だ!)



 連携を狙ったハズが、全て、何一つ噛み合っていなかった。剣士はタイミングが合わず、好機を逃しがちだ。魔法は弱すぎるか、あるいは狙いを外し、全く脅威にならない。極めつけは槍士で、つまずいて転び、陣形すら乱す程だ。


 その中で武闘家は比較的マシだった。だがそれも足技のみで、拳打を放てば、途端に隙だらけになってしまう。



「これが、特進クラスだというのか……!」



 いっそ喜劇ならと思うが、これは観劇ではない。現実だ。アシュレイは愕然としながら、その場でへたり込む生徒達を眺めた。彼自身に怪我は無く、財布の心配も要らない。


 しかし事態は深刻だ。この未熟すぎる生徒たちを、育てなくてはならないのだから。


 胸に過ぎるのは怒りか、落胆か。彼は我が事ながらも読み解けず、しばらくの間、無言のままで立ち尽くすのだった。

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