第6話

(八)

 大男の瞳から淀みが除去された翌日。河原で顔を洗った後、俺は礼拝堂と呼ぶに値しない小屋に向かう。礼拝堂の前には隻眼聖女と大男が立っていた。

「では、除霊を始めます」

「ああ、頼む」

 どうやら今から除霊を始めるらしい。大男に別れを言いたかった的な事を心の中で思いながら、俺は事の成り行きを見守る。

「ほいっ」

 彼女は両掌を打ち合わせた。渇いた音が辺り一面に鳴り響く。たったそれだけの行為で世界は一変してしまった。

「……っ⁉」

 村の中にあった建物が物凄い早さで朽ち果てる。土肌が見えていた地面は雑草に覆われ、今の今まで感じ取っていた人の気配が跡形もなく消え失せてしまう。

 変化は一瞬だった。気がつくと、俺と隻眼聖女と大男は廃村の中に突っ立っていた。

「なっ……⁉ どうなって……⁉」

 視界に映るは天井が崩れ落ちた煉瓦の家。土肌が露出していた地面は草花で埋め尽くされ、家畜小屋があった場所は家畜小屋があった痕跡さえも喪失していた。

 礼拝堂と呼ぶには値しないボロ小屋を見る。礼拝堂だけは何も変わっていなかった。ある推測が脳裏を過ぎる。まさか俺がさっきまで見ていた村は──

「以上で除霊はお終いです。この村にいた死者は無事この世界から除去されました」

「……ありがとう、聖女様。みんなを解放してくれて」

 大男は隻眼聖女に深々と頭を下げる。先程まで半透明だった彼の身体は半透明じゃなくなっていた。どこからどう見ても唯の人間にしか見えない彼の姿を見て、ようやく理解した。大男が生者である事を。

(じゃあ、俺が話していた、あの老人は死者だったのか……⁉)

 背筋が凍てつく。老人が霊だった事実に怯えているのではない。自分が霊視できる事実に恐怖心を抱いてしまう。いつからだ? いつから俺は霊視できるようになったんだ……⁉

「もしかして、お前も視えていたのか」

 大男が取り乱す俺に声を掛ける。隠しても仕方ないので、俺はゆっくり首を縦に振った。

「じゃあ、お前も村の人に会ったのか?」

「い、いや、俺が会ったのは赤屋根の家に住んでいる老人だけだ。それ以外の人達とは会っていない」

「……そうか。村長と会ったのか」

 嬉しさと哀しさが入り混じった表情を浮かべながら、大男は口元を歪ませる。

「村長は何て言っていた?」

「……お前を救ってくれって言ってたよ」

「そうか、……そうか」

 噛み締めるように呟くと、大男は清々しい表情を浮かべる。そして、淀みのない眼差しで春天を射抜くと、俺達に今後の予定を始めた。

「オレ、ここから出るよ。ここで過ごした日々は大切だけど、今のオレじゃ、ここを守る事ができそうにない」

 少年のように微笑みながら、大男はボロ袋を肩に担ぐ。

「でも、いつか此処に戻って来る。もう一度、此処を人で一杯にしてみせる。此処に新しい村を興してみせる。それがオレの答えだ」

 春天のように清々しい笑みを浮かべると、大男は俺に頭を下げる。

「ありがとう。君達がいなければ、オレはあそこでのたれ死んでいた。いつか、また、この村に来てくれ。その時までに村を再興してみせるから」

 その言葉を告げた大男は俺達に背を向けると、河原とは逆の方に向かい始める。俺と隻眼聖女は、彼の包帯塗れの背中が山の中に消え行くまで、ずっと見守り続けた。

「……一体、どういう事だ?」

 大男が見えなくなった後、俺は疑問の言葉を吐き捨てる。

「大男は言っていました。『自分がこの村に来た時には、死体しか残っていなかった』と」

 俺の質問に答えながら、彼女はどこかに向かって歩き始める。俺は文句を言う事なく、彼女の後を尾け始めた。

「彼は言っていました。この村の人達は野盗に殺された可能性が高い、と。詳細は語りませんでした。ですが、焼け落ちた家屋と地面の血痕から察するに、この村の人達の末路が碌なものじゃなかった事を推測できます」

 村だった場所から少し離れた平地に辿り着く。そこには木で作られたお墓が立ち並んでいた。

「彼は村人達だった肉塊を此処に埋葬した後、唯一残っていた礼拝堂に引き籠っていたそうです。そして、……」

「俺達に出会った、と」

 墓に供えられた野花をぼんやり眺める。春風を浴びる野花は気持ち良さそうにそよいでいた。

「大男の経緯は分かった。でも、幾つか疑問が残る。何であの老人は生きているように振る舞っていた? 何で俺は死んだ老人を視る事ができたんだ? 俺の身に何が起こったんだ?」

「一つ一つ答えましょう」

 お墓から目を背けた彼女は、俺の目を真っ直ぐ見据える。唯一残った彼女の左瞳には俺の姿がちゃんと映し出されていた。

「何であの老人は生きているように振る舞っていたのか。それはあの老人を含め村人達の多くが自らの死を自覚していなかったからです」

「……どういうことだ?」

「自分達が生きていると勘違いしていたんです。恐らく死ぬ前の記憶を失くしているのでしょう。良くある事例です。この世に残る多くの霊は自分が死んだ事を自覚していません。自覚がないから、この世に留まっているんです」

 自分が死んだ事を自覚できていない。その事実にある憶測が頭に過ぎる。その恐ろし過ぎる憶測を打ち消すため、俺は自身の頭を左右に振った。

「何で貴方が霊を視る事ができたのか。それは貴方が私と同じくらい死に近い存在だからです」

 先程打ち消した憶測が再び脳裏を埋め尽くす。疑いたくない疑問が俺の脳を揺さぶる。堪らなくなった俺は、つい疑問の言葉を口にしてしまった。

「……俺は生者なのか? それとも、もう死んでいるのか?」

「それを決めるのは貴方自身です」

 隻眼聖女は俺から目を背けなかった。彼女の瞳に俺の姿が映っている。たった、それだけの事で俺の胸中にあった不安は払拭された。

「私の責務は生と死の混濁を防ぐ事。霊による被害を可能な限り防ぐ事です。生者を救う事でも死者に死を自覚させる事でもありません」

「じゃあ、何であの大男に手を差し伸べたんだ?」

「……自分のためです」

 隻眼聖女の姿を瞳に映す。幾ら彼女を眺めても、彼女の心の奥まで覗き込む事はできなかった。まだ彼女という人間を理解できていない事を痛感する。道程が長い事を理解した途端、苦笑いを浮かべてしまう。そんな俺を何か言いたげな表情で睨むと、隻眼聖女は河原──街の方に向かって歩き始める。

「とりあえず、旅を再開しましょう。もう此処に留まる理由はありません。私は一刻も早く街に行かなければいけないんです」

 場の空気を強引に変えた隻眼聖女は唐突に旅を再開させる。俺は無言で頷くと、彼女の後をゆっくり追いかけた。

 旅はまだ始まったばかり。俺達は春天を仰ぎながら、前に進み続ける。

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隻眼聖女 八百板典人 @norito8989

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